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『聴くことから始まるダンス』遊行編vol.5 即興ダンスフィールドワークLOG :

京都芸術大学舞台芸術研究センター舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点 2024年度 研究リサーチプロジェクト
「聴くことから始まるダンス」~耳を澄まして悲喜交々に巡る、高解像度なドタバタ[High-resolution Slapstick] 
研究代表 垣尾優(大阪市在住 ダンサー)のフィールドワークLOGです。https://k-pac.org/openlab/12419/

これは、「聴く」「リアクション」をキーワードに、なぜか気になる場所を、記憶を思い出すように踊り巡る即興ダンスのフィールドワークです。また、道中、出会った人にもそんな場所を尋ね、それらを手がかりに、次へ辿るように歩き巡ります。
フィールドワーク同行者も募集しています。年齢性別ダンス経験不問。問い合わせなど kakioproject@gmail.com


24.「構えなど、本来あり得ない」

出典:Books Esoterica第29号『古武道の本』 学研

ルートPa/ 
6月14日 再度、藤田邸跡公園(旧藤田邸庭園)へ。
この、池泉回遊式の和風庭園「藤田邸跡公園」(ふじたていあとこうえん)は、近代の大阪を代表する実業家藤田財閥の創始者・藤田伝三郎(藤田傳三郎)が明治時代に造営した大邸宅、この大邸宅跡に開かれた都市公園であり、大阪市指定名勝にもなっている。
公園の東には藤田家が収集した美術品を収蔵した藤田美術館が隣接(戦前までは同じ藤田家本邸の屋敷地)。東洋古美術品約2000件を収蔵している。「曜変天目茶碗」(ようへんてんもくちゃわん)など9件の国宝、53件が重要文化財と民間所有ではトップクラスの美術館。
なぜかどうにも、声をかけれない、今日も暑い、前回ここを訪れた時は鼻血が出てるし、仕方がないなと思ったが、今回もなぜか人に話しかける気にならない。人は沢山いる、ここは海外からの観光客にも人気なようで、外国の方、カップル、ひとり散歩をしている人、寄り添うお爺さんお婆さん、植木職人など、いわば声をかけ放題の状況なのだが、なぜかそんな気にならない。
庭園というひとつの世界が確立されている場所であるからなのか、そのサイズ感が影響しているのか、私の体調の具合か。
そんなことを思っていると、ふと、この場所は”隙”がない、このことに気づいた。
良いとか悪いとかの話ではない。隙がある、隙がない、これは私にとってダンスの技術論としても興味深いテーマである。
しかしとにかく、実際今からこれからどうしようか?としばらく虚に彷徨っていたが、隣接の美術館に行ってみることにした。美術館のエントリースペースである「あみじま茶屋」は、近代的な機能美を追求した清潔感ある直線的な空間である。ここでは、お団子とお茶も提供している。
和装の団体やツーリスト、カップルなどたくさん人はいたが、ここにも隙がない。
冷房がきいたこの空間のベンチに座って美術館の催しや予定を流すモニターをしばらく眺めていた。
そのうち、この美術館に収蔵されているという、国宝『曜変天目茶碗』が無性に見たくなってきた。
茶人で数寄者 古田織部(ふるたおりべ)を主人公にした漫画『へうげもの』を読んで以来、茶器に興味を持っているのだが、名物大名物と呼ばれているような本物を見たことはなかった。ぜひ日本、世界に三つしか完品はないという国宝の茶碗がみたい。”隙”を知る手がかりにしたい。
尋ねると入館料一千円。キャッシュレス決済のみということで焦ったが、交通系カード(JR西日本ICOCA JR東日本SUICAなど)でも支払えた。支払後残高74円、に、チケット販売の方とギリギリでした、ギリギリでしたねとやりとり。
元は蔵だろうか、金庫だろうか、高さがゆうに2メートルは超える大きくて黒い重厚な観音開きの扉。そこが入り口。スタッフに連れられ大扉の前に立つ。遅くも速くもないちょうどいい、しかし威厳がある速度で、内扉が機械仕掛けで横開きに開く。スタッフの行ってらっしゃいませという見送りを受け、何かアミューズメント施設に入るような別世界へ赴くようなそんな心持ち、足取りで、薄暗い内部の空間に向かって、身体を運び入れる。背後の扉がまた、ゴゴゴゴゴと閉じ、私の周りはさらに薄暗くなった。
左側に光、入ってすぐの部屋の左手に通路。この美術館はここから始まる。
5メートルほどの距離のこの通路の突き当たり、この縦長の壁に、プロジェクションで文章が投影されている。ゆっくり、浮かぶように消えるように次々と映し出される文字達は、明けるような暮れるような加減の光の変化も伴って、文字というより声のようになって、読むというより、誰かに語りかけられているようである。
−美術品を「みる」
ことに 特別な知識は必要ありません 色を 線を 形を 質感を 
じっくり時間をかけて眺める
美術品について「きく」
と その先が広がります そのものの歴史 宿る美意識 
それを愛した人々 より深い感動がそこにあります。
心が動いたことを誰かに「はなす」
感動はさらに強く心に刻まれ はなした人と繋がることが出来るでしょう−
何かが始まるんだ、そんな期待に私は俄然、揚ってきたのだった。

参照:
藤田美術館 | FUJITA MUSEUM藤田美術館 | FUJITA MUSEUM
旧藤田邸庭園(藤田邸跡公園) ― 大阪市指定文化財…大阪市・都島の庭園。 | 庭園情報メディア【おにわさん】

25.「決して魔法ではない」

出典:『タラブックス インドの小さな出版社、まっすぐに本を作る』 
野瀬奈津子 松岡宏大 矢萩多聞 / 著 玄光社

ルートPa/
国宝『曜変天目茶碗』をはじめ、『三彩駱駝俑』『人物俑』『空中信楽釣花入』『古伊部烏帽子箱水指』『黒楽茶碗 銘ほととぎす』『秋草鶉散紅葉絵共蓋火桶形香炉』『茶杓 銘 紫衣』『西行物語図屏風』『紫式部日記絵詞』などをじっくり見た。
特別な知識は必要ないとあったが、専門的な知識はあったらあったで色々読み解けて面白いだろうなと思いながら、自分のできること、
「聴くこと」をした。テーマは”隙を学ぶ”だ。

『曜変天目茶碗』は、やはり見事だった。そして、じっくり聴けば聴くほど、どうしようもなく触りたくなった。
この茶碗を手に取って触感や重さ温度を感じたい。両手いっぱいでくるむように持って、誰もいない小さな部屋で、へたり込み、背中を丸めて口をつけ、茶をちびちび啜りたい。そんな想いが一瞬強烈に湧いたことに驚いた。数寄者たちが、茶碗を取り合って命をかけて一喜一憂する、一国の価値にも匹敵する茶器があるなど数々の逸話があるが、その欲望の一端が少しだけ解った気がした。
国宝ということで、もっと隙がないもの、完璧さを感じるようなものと思っていたが、『曜変天目茶碗』は言うなれば隙があった。だから吸い込まれる、広がる、触りたくなる。
他の美術品にも触りたくなったものがいくつもあった。『紫式部日記絵詞』(むらさきしきぶにっきえことば)などは、これも国宝だが、自分が思ってたより遥かに人間臭かった。その、手や人間を感じる作品は、ちょっと落書きしてもいいよと言っているようだったし、『茶杓 銘 紫衣(しえ)』は、自らを犠牲にしても人を救おうと覚悟を決め生きてきた、おっさんが生の最後に冗談を言ってニヤッと笑ったようだったし、『古伊部烏帽子箱水指』(こいんべえぼしばこみずさし)は、年老いた身体のように深く愛おしかった。
話しかけられることは、隙を作ること、今私がしたいダンスはいわば隙をつくる、隙だらけのダンスだ、この隙という空白が広がりや共鳴に繋がるのではないか?このフィールドワークのテーマである聴くこと、大テーマである、共鳴について考える。隙はさらに先がある。
美術館を出ても、隙についてや、話しかけられるにはどうしたら良いかと考え込んでしまって、藤田邸跡公園を出てすぐにあったベンチに座っていた。
白く小さなマルチーズが目の前に来たので、かわいいですねと言った。ら、間髪入れず、飼い主の女性に、あそこの工事はなんのためか知ってますか?と唐突な質問を受け、そこから話が始まった。
彼女は憂いていた。現代社会に対するさまざまな憂い。宗教、国際政治、日本の政治、政治家、暴力、支配、ディストピア、権力と金の実体について、人体や食品家畜土地へのワクチンやホルモン剤など化学物質、薬の過剰摂取投与など、薬害の問題、南海トラフ地震、日本のこれから、倫理について。
賛同できることもできないこともあったし全く知らないこともあったが、溢れるように出てくる言葉を何よりきちんとじっくり聴こうと思った。このフィールドワーク、記憶やダンス、自分のことなどは彼女が私に尋ねるまで言わないで、まず聴き切ろうと思った。1時間半聴いた頃、彼女は私に尋ねた。ところで、あなたは何してる人?
お互いやお互いの間、この空間がだんだん綻んでそのうち楽しくなっていったのはなぜか?
隙、、隙、、隙、、。世の中は憂いが多いし、ルートPaの次に向かう場所も未だ決まってないが、悪くない気分で帰宅した。

ダンスメモ:隙を作る身体的技術として。 
一、眉間の力を抜く。 一、虚空を眺める。

26.「意識にのぼる記憶、のぼらない記憶」

出典:ブルーバックス 『記憶のしくみ 上 』ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル/著 講談社

ルートPa/
6月26日、三たび、藤田邸跡公園に。
淀川に面したこの一帯の広大な地は、もともと寺院『大長寺』の境内地であった。
1885年(明治18年)に発生した淀川の大洪水(ルートMで訪れた旧毛馬閘門、ここも大阪の20パーセントが浸水したというこの大洪水がきっかけで作られた。)、この大洪水により荒廃したこの地を藤田伝三郎が買い取り(同時に大長寺に新たな土地を寄進)、1893年~1896年(明治26~29年)にかけて当初の屋敷が造営された。太平洋戦争/大阪大空襲の被害でこの本邸・西邸などが焼失した後、今は、公園、迎賓館、美術館などに利用されている。
今日も相変わらず、人は多い。試行錯誤学習は続く。
写真を撮り合い、散歩する二人の女性。
日本語で話しかけると、びっくり戸惑った様子、中国人の方だった。大阪に来て二日目、しかし快く話に応じてくれた。
東京在住のアスカさん、とアメリカボストン在住のレラさんである。Google翻訳やノートでの筆談で補足しながら自分の素性やこの企画のテーマなどを説明し、色々お話を伺う。中国の方とは、筆談による漢字で話が伝わることも多いが、この当たり前のような事実が示していることは、実は凄い、深い、事だと改めて思う。
おすすめな場所について尋ねると、アスカさんは、東京三鷹にあるという太宰治の墓や記念館。
なぜそこ?なぜ太宰?と思い、伺ったり調べたところ、太宰治作品の「喪文化」(疲れやすく、退廃的なマイナスの心情)が、現代の中国の若者に共鳴を呼んでいるという。私は中国人の学生と接する機会も多いので、思い当たる節も多く、大層納得した。
リラさんは、うーん、ボストンの、と言いかけたが、ボストンは何もないなと、ニューヨーク、NYの映画館、METROGRAFE という場所をすすめてくれた。
さらに、私の即興ダンスを見て思い出した記憶を聞かせてもらう。
アスカさんは、地図アプリを開きながら、彼女のホームタウンである中国の東北(ドンペイ)平原、(これは後で知ったが、東北平原は中国最大の平原だという、とにかくとんでもなく広いだろう)、そこで彼女は5歳の時に迷子になったことがあるという、背の高い草と河の間で、彷徨った記憶。この記憶を思い出したという。
レラさんは、ニューヨークのある夏の午後、ベランダでソファに横たわってみてた外の景色、木々の中、鳥がジャンプしてる様子を思い出したという。
言葉がままならないことがひどくもどかしい時もあるが、互いの想像や推測、ノリで進むような珍道中な時間は濃く、楽しかった。
公園内には茶室の雰囲気を模した休憩所やパラソル型のベンチなどがいくつかある。
この一つに、3人の女性が座っていた。
彼女たち3人は何かバランスが良い。3ピースバンド、スタンドバイミー、そんなワクワクするようなチーム感が漂っていた。
アキラさん クミコさん、ユウカさんであった。
公園の閉園時間が迫る中、慌ただしかったが色々快く話していただいた。
私の即興ダンスを見て、アキラさんは、ジグザク、タイトルをつけるなら『不思議』と。
兵庫県の神戸出身というクミコさんは、”和”を感じた、思い出した場所は最初は、ここで結婚式をしようか迷ったという場所、神戸ソウラクエン、そして、神戸諏訪山(すわやま)のビーナスブリッジからみる山や山登りの記憶が浮かんだという。
ユウカさんは、踊りを見て、こわっ、えっ、ちょっと気持ち悪い、でも、私はこういうのが嫌いではない、だって人間は綺麗なことだけではないから、そして、続けて、私はよく知らないけれど暗黒舞踏(あんこくぶとう)というものを見たことがある、大阪市の中心地区、中之島(なかのしま)にエステサロンがあるんだけど、そこに勤めるすごく綺麗な友達が、暗黒舞踏を踊ったのを見たことがあってその曝け出すような気持ち悪さにすごく感動したのだ、そのことを思い出したと語ってくれた。
閉園を告げるオルゴールの音楽が流れ、公園職員の方がもう門を閉めるよというギリギリまで彼女たちは付き合ってくれた。
じっくり3回、この場所に通った甲斐があった。
ルートPa 次に向かう場所の候補は、
東京三鷹、ニューヨーク、神戸ソウラクエン、諏訪山、男性も来店okという中之島エステサロン。

参照:
三鷹市 |太宰治文学サロン 人民中国
NYで最もチャーミングな映画館 「Metrograph」であれもこれも♡ – エディター福田真梨のNYC 06 | 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報
神戸市立相楽園 – 神戸市中央区 相楽園 SORAKUEN GARDENのご紹介サイト
ビーナスブリッジ – Feel KOBE 神戸公式観光サイト
clear healing salon

vol.6へ続く→


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