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差別と憎しみ

明治維新からこっち、日本近代150年の基本路線をひと言でいえば「脱亜入欧」だ。

アジアから抜け出して、西欧白人クラブの一員になりたい。その一念で進んできた。

そして、それは成功した。現在のほとんどの日本人も、この結果に満足し、この路線は基本的に正しかったと考えているように思える。

この基本路線の、唯一例外になっている時期が、いわゆる15年戦争(満州事変〜大東亜戦争)だ。

日本は、白人クラブに入れてもらおうと、必死に明治・大正を駆け抜けた。白人と同格になろうと、めちゃくちゃ努力したのだ。

しかし、1924年の米日本人移民排斥法に象徴されるように、白人クラブは日本人を差別していた(それについては欧米派の朝日を含む当時のメディア全てが怒り狂っていた)。その差別を感じ取り、日本は悔しかった。これほど努力したのに・・・と。その感情が次第に憎しみに育っていく。

日本は韓国を併合したのち、中国大陸に侵攻した。しかし、当時の日本が憎んだのは西欧の侵略者であり、アジアではなかった。当時の朝鮮や中華政府では西欧に対抗できないので、日本がアジアを指導しようとしたわけである。

日本人の普通の感情としては、自分たちと外見が同じ中国人を殺したりするのは抵抗があった。それは火野葦平の戦争小説などに正直に書かれているし、戦時中でも、そうした意見が検閲で消されることはなかった。真の敵は白人だと思っていたからである。

しかし、このような日本の行動が、朝鮮、中華に対する差別意識に基づいていたのも事実である。明治維新という「革命」を成し遂げた日本にとって、彼らはいかにも遅れていて救い難いと見ていた。だからこその「脱亜入欧」だったのだ。

つまり、当時の日本は、鬼畜米英を憎んだ一方、アジアを差別した。

憎しみと差別は、別の感情だが、裏と表である。

この二つの感情の関連を、人間はしばしば理解できない。それが歴史にいかに悲劇を生んできたことか。

差別された側(アジア)は、差別者(日本)を憎む。

しかし、差別者(日本)は、その憎しみを理解しない。

そもそも西欧に差別された日本は、米英に憎しみを向けた。

しかし、その憎しみを、差別者(米英)は理解できなかった。

歴史の中で何度もこのパターンが繰り返される。

差別したら、憎まれる。

差別されたら、憎む。

正しい、正しくない、ではない。人間性の真理として、それを忘れてはいけない。

特に8月になると、中韓の反応にそれを感じることができる。

日本が、その憎しみを理解できないとすれば、かつて中韓を差別したことと共に、かつて日本が同じように西欧に差別され、西欧を憎んだ経験を、忘れているからではないだろうか。

(日本の一部の右派が、「アメリカ万歳」の一方で、中韓をいまだに差別することを情けなく思う。)

「8月ジャーナリズム」に意味があるとすれば、この「差別と憎しみ」の循環の悲劇を、歴史の教訓として蘇らせることだろう。

しかしーーその点では右派がいう戦後の「洗脳」の結果かもしれないがーー日本がいかに米英から差別され、それを憎んだかについては、ほとんど触れられない。

ただ、日本がアジアにひどいことをした、という話に終始しがちなので、「自虐的」などと言われる。

「中韓が日本を憎むのが分からない? 日本がかつて中韓を差別したからだ。それは、白人に差別された日本人が、かつて白人を憎んだのと同じだ」

そう教えた方がいいのではないか。前半だけを教えられるから、なんとなく納得いかない思いが残り、説得力も減るのではなかろうか。

メンタリストDaiGoとかいう、私の知らない人の差別発言が炎上しているという。

最近の若い金持ちにありがちな発言、という意見があるようだ。

庄屋などの、昔の金持ちは、地域の周りの貧乏人に決して威張らないようにしていた。

いつも貧乏人に腰を低くして、村祭りなどには率先して大金を寄付し、デカデカとそれを神社の境内に張り出した。

(今も、地方の地主などの金持ちに、同様の態度を見ることができる)

なぜなら、金持ちが、貧乏人を馬鹿にしている、差別している、と思われると、憎しみを受け、祭の時の山車が家に突っ込んできたり、蔵に火をつけられたりするからだ。

差別したら、憎まれる、ということを知っていたのである。

今回のも、炎上というより、一揆みたいなものだ。

差別者の差別を、差別された側は忘れない。その憎しみはいつまでも続く。機会があれば復讐する。差別者が滅びるまで、あるいは被差別者が自滅するまで、徹底的に攻撃する。

8月は、そのことを学ぶ、よい時期だ。



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