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「平和」という言葉がつく団体は、右も左もいかがわしい

いま話題の統一教会、現在の正式名称は「世界平和統一家庭連合」だ。

中曽根康弘世界平和研究所、笹川平和財団、なんてのもあるね。

「平和」とか「世界平和」とか、ことさらに名乗る団体はいかがわしい感じがする(個人の感想です)。

「平和」というと、創価学会・公明党(自称「平和の党」)とか、上記の例では「右」に多いような印象だが、昔は「左」に「平和」がつく団体が多かった。

ベ平連なんかが有名だが、それとは別に、ソ連が「平和共存路線」というのを唱えていた影響もある。昔の左翼は自分たちを「平和勢力」とか呼んでいた。

「平和と社会主義」なんとか委員会、というのがソ連派政治団体にあった。

社会主義概念が混乱してくると、「平和と民主主義」何とかとか、「平和と生活」何とか、という団体が生まれた。そういうのは、たいがい左翼系だった。「社会主義」は使わなくても「平和」は使う。

「平和」とつくと、「あ、左翼だな」と思ったものだ。

平和都市宣言、なんて垂れ幕を垂らしてる自治体は、左翼議員が多そうだ、と今でも思う。私が住む川崎市含め、神奈川県は宣言都市が多いが、朝日新聞の読者も多い。

しかし今は、上述のように、右にも「平和」を名乗る者が多い。

「平和」は、左翼臭や右翼臭やカルト臭を消してくれるマジックワードと思われているらしい。

戦争や軍事に関する真面目な研究や法律も、無理に「平和」を名乗る。「平和安全法制」とか。無理やりすぎるだろう、と思う。

私が政治団体なり宗教団体なりを立ち上げるとすれば、「平和」という言葉だけは絶対に使わない。もし本当に平和を希求する団体であるとすれば、なおさら使わない。イメージが悪すぎる。

平和相互銀行はスキャンダルで潰れたし。関係ないけど。

とにかく「平和」と聞くと、疑ってかかるのがよい。これは、普通人にとって生活の知恵だと思う。

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