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【大槌町地域おこし協力隊活動報告】2024年5月活動記録

こんにちは!毎度投稿が遅れてしまい申し訳ございません!
5月の活動記録を報告します。
よろしくお願いいたします。


ガメラ出没??緊急事対応

MOMIJIが役場から受けている仕事の一つ、鹿などの野生動物の死骸回収や網に引っかかった動物の止め刺し・回収(通称網シカ)を行う緊急事対応があります。
毎月最低でも一回は出動するためちょくちょくこの報告書にも書かせていただいてますが、今月は面白い緊急事対応が発生しました。
それがこちら・・・

おとなしくて可愛いリクガメちゃんです。

でかい亀です。
この通報を受けた際、一メートルを超える大亀と言われていたので、ドキドキしながら矢のような速さで現場に駆けつけました。
流石に甲羅のサイズは一メートルもなかったのですが、首を限界まで伸ばすと一メートル近くなるような亀でした。
もちろん、大槌町内固有の亀ではなく、ペットとして飼われていたものが脱走した、ということがこの物語の結末で、飼い主さんが判明したため電話をかけ、脱走現場まで回収に来ていただきました。
また、近所の方が、警察に通報していたようで、現場に駆けつけた警察官の方もテンション高めでした。
毎日の業務がルーチン化しているため、このようなハプニングは平凡な日常のちょっとしたスパイスとなるものです。
とりあえず、デカ亀ちゃんが無事に飼い主さんのもとへ帰れてホッとしました。

クマ罠ホカクン

先月に引き続き、クマ罠を設置しました。
今年は昨年よりも体感としては出没頻度は少ないように感じます。しかし、まだまだ町内に出没しているため気は抜けません。
5月は順調に捕獲がのび、なんと!5頭も!捕獲しました!!

5月最大の熊
この個体はおそらく人生で見たクマの中で一番大きかったです。冬であれば150kgほどあったかと思います。

クマ罠設置は重いため人員が多くないと設置できません。
その分解体もできなくなるため工程をしっかりと立てながら進めていきたいです。

解体

5月の搬入頭数は44頭でした。
インターン生もいれると5人も解体班がいるため、少々手余り気味でした。
3月は搬入が止まらず、やってもやっても熟成庫の鹿が減らずにブチギレながらナイフを振り回していた頃がもはや懐かしく感じますね。
一頭あたりに割ける解体時間が増えたため、5月は時間優先ではなく、仕上がり優先で解体を行いました。
僕が肉の仕上がりで一番気をつけていることは、酸化して黒ずんだ肉をトリミングする際などに肉に段差をつけずに行うことです。
特に難しい部位がモモ肉のシンタマです。シンタマは名前の通り丸っこいお肉で、 ナイフの動かし方を平面(2d)だけで意識するのではなく、奥行きも意識しながら動かさないと、すぐに肉の層まで切ってしまいます。

シンタマ。トリミング後の様子。少し段差がついてしまっています。

外モモも気をつけるポイントがあります。
通常肉の銀皮は皮だけを極力トリミングしないといけませんが、外モモは銀皮だけを剥がそうとするとすぐに破れてしまい、一発で銀皮の切除ができません。一発で切除できないとどうなるかというと、ナイフを複数回肉に当てる必要があるため、若干の段差ができてしまいます。
そのため、外モモの銀皮剥がしは、あえて肉の第一層目(肉に層があるわけではありませんが、感覚的なものです。)を皮にのこして皮ひきするようにしています。

うまくいった外モモ。美味しそうです。
一筆で皮を剥いだため段差がありません。ブリリアント!

このように小さなことにもこだわりを持ち、創意工夫を重ねて向上心を持ち続けることが、この仕事を愛せる秘訣だと個人的には思っています。
夜寝る前などに「こうすれば・・・🧐明日試してみよう!」みたいなことを考えてみると、毎日同じ仕事でもやりがいを持ち続けることができます。

個人の活動

泥棒キャンプ(通称ドロキャン)

かける隊員と一緒に。

仕事終わりの19時〜4時までの泥棒みたいなキャンプをしてきました。
次の日も仕事だったのですが、問題なく出勤できたので休みの日じゃなくてもキャンプできるんだなと思いました。

帰りは山菜を摘んで帰ってきました。

対馬帰省

大槌の家をでて36時間後ぐらいに実家に到着しました。
ちょっとした海外旅行ですね。
久しぶりの対馬はいいとこでした。
島を出るまで気がつきませんでしたが、朝日と夕陽が見られるというのは島ならではですね。

島の最南端にせり出ている岬。ここは日の出から日没までの太陽の軌跡をみることができます。

対馬博物館というものができていたので利用してみました。
なかでも面白かったのが、「浦社会」という考え方。
対馬は大槌の三倍近い人口がありますが、大槌より栄えている印象はありません。大きな島に人口が散らばっているせいだと思います。
小さな漁村がたくさんあり、対馬は土地の9割が山地のため、個々の集落が孤立していて、車が普及する前はさぞかし大変だっただろう、と僕も思っていました。しかし、写真にある通り、船を用いることで私たちが思っているよりも密なネットワークが形成されていた、というものが「浦社会」という考え方です。
そこで思い出したのが俵家の歴史です。昔、「俵屋」という屋号で和菓子屋を営んでいた際に、作った和菓子を船を漕いで売りに行っていた、ときいたことがありました。
その時は「なんと大変な!」と思いましたが、実は当時では隣町へいくのに一番楽な交通手段だったのですね。

外に住んでいることで地元の良さ、面白さを知ることができます。

いままで読もうとも思わなかった島の歴史本などを買ってみました。

最後に

暑い夏が始まりそうな予感ですが、暑さに負けずに頑張っていきたいです!


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