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年老いた両親からの大きなプレゼントを受け取る

「正直、何度も『もうダメかも』、と思った。でもそのたびに、『いや、もう一度帰るんだ。絶対、うちに帰るんだ。』と思い直して踏ん張った。」
外泊中の父は、目の前の青々とした畑を見渡してそう語った。

***

父の退院が決まり、私は介護休暇の手続きをした。
2ヶ月強の闘病生活を経て、晴れて父は自宅に帰ってくる。
これが幸運なのか、父の底力なのかはわからない。
しかし、入院中ずっと父が望んでいた「帰りたい」が叶うことをひとまず素直に喜びたいと思う。

一気に体力の落ちた父とおとぼけ度が進んでいる母を、限界集落で生活させるという選択がこの先、どうなっていくのかはわからない。
介護休暇中にどんな出来事が待っているのだろうか。

***

医療現場の過酷さと冷たさと矛盾に満ちた悲しさを痛いほど知っている。
誰かが悪いわけではないけれど、誰もが少しずつ自覚のない共犯者だ。
私は自覚している共犯者なので、人よりたちが悪いかもしれない。

便利、満足、美味しい、心地いい、楽しいを追求して、それを手に入れ、あるのが当たり前と錯覚し始める。
でも、そのプロセスで溜まったツケは自分で払おうとはしない。
そのツケはどこに溜まっているのか!
最たるものが病院とか介護施設ではないかと思っている。

苦しいときの神頼み

病院へ行ったら「治してもらえる」と勘違いしている人があまりにも多い。
誰も人を治したりはできない。
人を変えられないのと同じ。

変わるのも、治るのも、その人自身。
病院や医療従事者は「治る」と信じる手伝いをしているにすぎない。
こうなるまでの自分の生き方を振り返り、自分が撒いた種の「実」をしっかり見て、受け止めなければ、何度でも同じ「実」がなる。

再度、苦しいときの神頼み

神様はなんとかしてくれるかもしれないが、今の日本の医療現場にそんなチカラはない。
一度入院すると決めたら、それなりの覚悟が必要である。
不自由、孤独、拘束、痛み、感染のリスク、嫌な音、光、匂い・・・・・。
それは回復するための治療より、元来持っている回復するチカラを削ぎかねない。

これらに対して、苦情もたくさん目にする、耳にする。
確かに認めざるをえない部分も多い。
改善の余地は大いにある。
仕方がないから目をつぶって、などとは言わない。
でも、死に方も考えたことのない人に、医療現場の文句ばかりを言ってほしくない。
書いているうちに、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。(苦笑)
それは、自分自身への怒りでもあったから。

***

年老いた両親からの大きなプレゼントを受け取ることにする。
この世に誕生させてくれて、大切に育ててくれて、死に様まで見せてくれようとしている両親に、私ができることはそう多くない。
今、私にできることといえば時間をともにすることぐらいかな。
その時間でいっぱい語ろう。
両親の物語を聞き、生きてきた時間に共有し、少しずつ死に方を語ろう。

「こうなったら、死ぬまで生きるよ。」と3本の歯をむき出して笑う父が帰ってくる。
父の生きるチカラを最大限に引き出せるように、もう一度ナイチンゲールから始めようと思う。
せっかく、看護師という職業を選んだのだから。


タイトル画像は”T_GAI”さんにお借りしました。
きれいですね・・・・。
心が暖かくなりました。


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両親の介護を通して感じたことをまとめてみました。


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