丹田に力を入れる
私の中高時代は暗黒で、ほとんど記憶がありません。🤣
静止画のような脈絡のない映像は残っているのだけど、その前後が抜けていることが多いのです。
だから、皆さんが昔の話をさも昨日のことのように書かれるのを見ると、すごい記憶力だなぁ、とか羨ましいなぁ、とか思ってしまいます。
***
例えば、昨日のこの記事。
高校時代の応援の練習にまつわる思い出が書かれています。
笑いながら読んだのですが、すーーーっと脳裏を横切るものが。
そうそう、私にもあった、そういう思い出。
私は昔っからちょっと変わっていたかもしれません。
怖いもの知らずだったのか、世間に対して斜に構えていたのか、妙な行動を取ることが多かった。
45年前の高校の応援団と言えば、学ランをきたむさっ苦しい男ばかりの世界。
女子がいたとしても、せいぜいマネージャーというのが関の山。
私の通っていた高校にはこのマネージャーすらいませんでした。
高校は文武両道を掲げていたので、スポーツも盛ん。
応援団も人気の部で、毎日裏山に向かって大声を張り上げていました。
何を考えたんでしょうかねぇ。
応援団のドアを叩いたのです、たったひとりで。
ツテもなく、連れもなく。
当然、最初は「はぁ??」と相手にもしてもらえませんでした。
でも、しつこく通って、通って。
しまいには入部を認められたのです。
これは、当時、すごいことでした。
周囲には白い目で見られました。
でも、いじめられることは全くありませんでした。
それは今思うと不思議なぐらい。
ただ相手にされてなかった・・・・だけかもしれませんね。🤣
めんどくさいから、入れておけ!的な扱いだったのかもしれません。
ただ、残念なことに
今でもそうなのですが、私が応援すると、ことごとく負けてしまいます。
高校野球の県予選に1回応援に行ったっきり、外で応援したのはそれが最初で最後でした。
結構、強いと評判だったんですけど、その年は1回戦敗退。
おかげで、私の応援団の思い出は、裏山に向かって日が暮れるまで叫んでいた応援の練習だけです。
丹田に力を入れる。
腹のそこから、声をだす。
多少、振り付けもありましたが、ほとんど発声で終わっていました。
でもこれが、気持ちよかった。
当時の鬱々としたやり場のない思いを思いっきり吐き出せていたんですね。堂々と誰はばかることもなく叫べたのですから。
この経験はその後の人生にも役立ったかもしれません。
声はでかいです。
意外と肝も据わっています(覚悟を決めるまではグジグジですが、その期間は短い)。
卒業してずいぶん経ってから、姪っ子が同じ高校に進学しました。
私は応援団に入っていたことは誰にも言いませんでしたが、なんと姪っ子も応援団に入ったと聞いてびっくり。
ただし、私の時代とは段違いで、既にダンス部のようなチア部のような女性優位の部に変わっていたようです。
時代はとっくに変わっていました。
私の在籍した数年は女性は唯一人。
そこからどうやって華やかな人気の部に変わっていったのか、私には想像もできません。
タイトル画像は”ソエジマケイタ(キャラ・写真・似顔絵)”さんにお借りしました。
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