”淋しい”を考える
GW後半戦は、ちょっぴり淋しく過ごしました。
でも、うりもさんが淋しがっている私を素敵だ、とコメントしてくださったので、そうか、淋しがっていいんだなと気づきました。🤭
ちなみに「寂しい」と「淋しい」の使い分けですが。
とあったので、今回は「淋しい」を使います。
そもそも、どうして淋しいのかと考えてみたのです。
ひとつは、GW前半を実家で過ごし、とても楽しい時間を持った後、両親を弟に託して戻ってきたから。
いっしょにいると、振り回されることが多くて、何度も深呼吸をします。
だから、早く自分の時間を持ちたいな、とも思ったりするわけです。
でも、いざ離れてしまうと、脳裏を横切るのは無邪気な笑顔や冗談ばかり言って笑っている声。
できることなら、喧嘩してもいっしょにいたい、と寂しさが募ってきます。
もうひとつは、1年半続けていたゲームのコミュニティーを去ったから。
だんだん楽しくなくなり、それなら続けても意味ないなと、踏ん切りをつけたのは紛れもなく自分だけど。
やっぱり、さよならを言った直後は、こみ上げてくるものがあって。
どうしてかな?? 清々したはずなのに。
きっと、出会った頃のワクワク感やワチャワチャ感を思い出していたんですね。
ゲームそのものも楽しかったけど、同じ時間、同じネット空間に存在し、会話していたのは生身の誰かで、毎日のようにその場の雰囲気を共有していたことが嬉しかったんだと思います。
年齢も性別も職業も関係なく、家庭でも職場でもないサードスペースで。
楽しかった時間は本物だったから。
私は部活とか習い事をしてこなかったのですが、これってそういうのと似てるんでしょうかね。
今の私が孤独なわけでは決してないのに、
逆に、環境にも人にも恵まれているのに――noteもあるのに――、
ときどき、ポッカリと穴が空いてしまって、淋しいと感じることがあります。
それってどうしてだろう。
いつものように誰か書いていないかなと検索してみます。
【寂しいと感じるとき】ってほぼその通り!と共感できますが、【寂しいの根本的理由】は、なんだかピンときません。
私の場合は、そんなことないと思うけどなぁ。
若い頃の淋しさは前述した内容で説明ができそうだけど、年齢を重ねて感じる淋しさとはちょっと違う気がします。
両親の淋しさとはなんだろう。
私の淋しさとはなんだろう。
しばらく下書きに置いて、家事をしながら考えてみました。
私の淋しさは、きっと喪失感(ロス)に近いですね。
それは自己肯定感が低いからでも、心が通じる理解者がいないからでもありません。
本当に楽しかったから、大好きな人たちとの思い出だから、感じるんですね。
両親とはそう遠くないいつか、別れがくるということ、ゲームの仲間たちとは、あの頃のように楽しむことはもうできない、ということ。
そういうことを考えると淋しくなるんだと思います。
まっ、一時的な感傷ですね。😌
でもそれだけ、宝物が増えたってことだから。
まだまだ人生は長い。
次のワクワクを探そうっと!! と、思っています。
(ゲーム仲間どっかいないかなぁ~😆)
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タイトル画像は”光文社新書”さんにお借りしました。
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