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号泣とエレベーター、そして少年

私は小さい頃からあまり泣かない子だった。注射をうっても、階段から落ちても泣かなかった。卒業式でクラスの皆が号泣の嵐でも、あまりに泣く級友たちがひどく滑稽に見えて、私は笑いをこらえていたくらいだ。
当然泣いた記憶はある。でも小学校低学年のときに見ていたアニメに感動して泣いた、というぐらいだった。10歳になるくらいからパッタリと泣いた記憶がなくなっていた。

先日、美容室から歩いて帰っていると小学生たちが下校していた。午後2時半過ぎ、少し日が傾いて街ゆく人々は昼ごはんをとうに食べ終わっていて、まったりとした雰囲気をまとっている。みんなはもう、明日のことを考えているのだろうか。
そうした雰囲気は人々から街に侵食し、広域のまったりフィールドを形成している。でも小学生たちには関係がない。今から何をして遊ぼうか、というキラキラした目をしている。どうやら通学路にはまったりフィールドは適用されていないようだ。

ふと向かいの歩道に目を向けると、号泣している小学生男子がいた。4年生か5年生だろうか。遠目でも嗚咽しているとわかる。何があったんだろう。喧嘩?なくしもの?なにもわからないがとにかく号泣していることはわかる。
泣いてることが悔しくて顔をくしゃしゃにして涙を堪えるが、それでも溢れ出るものは止めることはできない。涙は感情の発露だ。いいぞ少年。泣け泣け、止まるな止まるな。
ふと鮮やかに記憶が蘇る。彼と同じくらいのときに自分も号泣した記憶。彼とあのときの自分がオーバーラップした。

実家はマンションで、私は中層階に住んでいた。だから必然とエレベーターを使う。階段を使うこともそこまで苦じゃない距離だったが、特に下校するときはランドセルだの手荷物だのがあったので、必ずエレベーターを使った。
マンションには同級生が何人かいて、男子連中とはみんな仲が良かったが、女子とはそうではなかった。小学校の高学年ともなれば男女間の隔たりは大きくなるものだ。私は先頭だって女子に吹っかけたりしなかったが、関わり合いも避けていた。

ある日、私がエレベーターに乗ろうとすると女子2人が乗り込んできた。その2人は私より高層階に住んでいて、そして気の強い人たちだった。嫌な予感をピリピリと背中に感じた。
私が降りる階に着いたとき、2人はニヤニヤしながら降りようとする私を突き飛ばして、閉ボタンを押した。私は度々脱出しようと抵抗したが、2人がかりだとどうしようもなかった。
どうやら2人は最上階で私を降ろそうとしているようだ。そうなるととても面倒くさい。最上階から自分の部屋までの距離はかなり離れている。だが、2人は降りるときも私にエレベーターを使わせるつもりは毛頭ないようだ。
私の脳裏には2人を殴打する、という選択肢も浮かんでいた。でもできなかった。私はガンジーの様に無抵抗不服従の姿勢だった。この期に及んでも、私には良心の呵責があって、強くブレーキを踏むように自制心が働いた。

結局私は最上階で解放された。私の地元を一望するその景色は普段なら包み込むように朗らかさがあるが、そのときばかりはどんよりと悲しい色に塗りつぶされていた。
とぼとぼと階段を降りていくうち、涙が溢れ出てきた。彼女たちに何をしていたわけでもないのに加害されたという不条理さ。何も手を出さない人間を攻撃していいという思想に感じた理不尽さ。もっと方法があったんじゃないかと思う悔しさ。もし殴っていたら自分の方がより怒られたのではないかと思うと世の中に怒りも湧いてくる。
勿論小学生なのでここまで言語化できていなかったが、そんなことを号泣しながら考えていたのだ。それでも誰かに泣いているところを見られたら恥ずかしいから、必死に嗚咽を抑えて顔を鬼の形相にして涙を堪えた。

号泣しながら歩く少年、君はどんな理由で泣いてるのかな。堪えないで泣いてればいいさ。泣くことは恥ずかしいとこじゃないから。そして、君が泣いた原因をすべて誰かに吐き出せばいい。

私なんて歳を重ねるごとにどんどん涙もろくなってるぞ。映画館で観た無限列車編で号泣してマスクがベショベショになったし、どこかのショッピングモールでこどもが放った「ポケモンが好き!」という言葉を聞いてウルッときた。小さい頃なら鬼の形相で耐えていただろうが、今は違う。
素直に受け取って、素直に表すように心がけている。そのほうがスムーズに次に行けるから。そして、多分そのほうが楽しい人生を送れると思う。

現在午後3時。うーん。おやつ時に少年を眺めて目を細め、大きくゆっくりうなずく成人男性。彼にはさぞかし気味悪く映ったことでしょう。しかし、少年よ。世の中には色んなやつがいるんだぞ、これも勉強だ!ワッハッハ!

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