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日常の中の丁寧さの話

“丁寧な暮らし”というハッシュタグと共に投稿された、お洒落に盛り付けられた料理や整えられた部屋の写真。SNSでよく見かける誰かの生活の一部だ。時間と手間をかけて作られた料理にも、雑貨一つ一つにこだわった部屋作りにもとても憧れる。
だけど日常的に自分のためのご飯に手間をかけるのは私には難しい。しかも部屋を整えるセンスは持ち合わせていないし、整理整頓は苦手だ。1日気合を入れて、特別な“丁寧な暮らし”を実践することはできるかもしれないが、日常に落としこむことは恐らく無理だろう。

そんなずぼらな私だが、日々慌ただしく生きていく中でも忘れたくないと思っている“丁寧さ”が2つある。

1つ目は、飲食店を立ち去るときには必ず“ごちそうさまでした”を伝えること。お店の味に満足していてもしていなくても、これは必ず守るようにしている。加えて、味に満足した時は、できれば作ってくれた料理人に対し「美味しかったです」の一言を。接客に喜びを感じた時には「素敵な接客でした」を伝えるようにしている。私は学生時代、3年半飲食店でアルバイトをしていたから、これらの言葉が何よりも働く人の力になることを知っている。笑顔で“ごちそうさま”と言って帰っていくお客さんをお見送りするのは、とても清々しいものだった。お金のためだけじゃない価値がそこにあることを忘れないためにも、気持ちを伝える丁寧さを省かないようにしている。

2つ目は、忙しくても、例え1日遅れてしまったとしても、友人の誕生日には「おめでとう」と連絡をすること。誕生日は1年に1度、誰もが主役になれる日だ。「おめでとう」の日でもあり、産まれてきて、出会ってくれたことに「ありがとう」と改めて思う、とても特別な1日。喜ばしいことに、年に一度のその一言から会話に花が咲くこともある。再会に繋がることもあるから、最近会っていないなという人にもできる限り伝えるようにしている。単純に、自分の誕生日に思いがけない人から連絡がきたら嬉しいし、そのお返しという理由もある。どんなに忙しくても、辛いことがあっても。誰かの誕生日に素直な気持ちで「おめでとう」といえるだけの心の余裕は持ち合わせていたい。

なくても生きていける2つの言葉だけど、なくてもいいものを自分以外の誰かに使うことが大切だと思っている。人との関わりに少しだけ“丁寧さ”を持つ気持ちは、相手へだけじゃなくて、自分の気持ちも優しくしてくれる。きっと明日も明後日も東京は忙しくて暗いニュースが街を覆っているけれど、人が人を思う少しの優しい気持ちが伝わって、繋がっていけばいいなと切に思う。


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