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君の後ろを歩きたい

「なんで後ろを歩くのよ?」
 彼女は立ち止まって振り返る。その顔は不満で溢れていた。幅のない歩道では、僕は無意識のうちに彼女の後ろについてしまう。どうやらそれが気にくわないようだ。

「前を歩いてよ」
「いいけど」そう言って彼女の前に出る。

 僕は背が高い、なんなら歩くのも速い。前を歩くといつも困ってしまう。一体どのくらいの速度で歩けばいいのだろうかと。速すぎると彼女を置いて行ってしまう。それが気になって、何度も何度も後ろを振り返っては彼女を見てしまう。それはそれでなんだかウザい気がして、そうなってしまわないように速度を落としてゆっくりと歩く。今度は逆に遅すぎてしまわないだろうかと、考えてしまう。自分より歩きが遅い人にとっての心地いい良い速さって、わからない。前を歩くのって、とても難しい。

「ごめん、やっぱり後ろがいいわ」
 僕が彼女の後ろにいこうとすると、彼女も下がって抵抗する。これでは、お互い下がってしまって一向に前に進まない。

「なんでなのよ」
「君を置いていってしまいそうで……」
 怖いんだ、とまでは口に出せない。
 以前付き合っていた彼女は、それを理由に僕から離れていった。僕は置いていったつもりはないんだけれど、スタスタ歩いていくのを見て冷めてしまったらしい。

「わかったわ。誰か来るまで、一緒に歩こうよ」
 横に並んで、僕達は一緒に歩く。彼女が視界の隅にいるだけで、自然と歩幅が合う気がする。
 しばらくすると、向かいから人がやってくるのが見えた。僕が彼女の後ろに行くために歩く速度を落とすと、彼女も負けじと速度を落とす。ついにはお互い下がり始める始末。

 結局、根負けした僕は、立ち止まる。ここぞとばかりに彼女は僕の後ろについた。擦れ違った人は、怪訝な顔をして僕たちを見ていた。なんだと思われたんだろうか。っていうかこれじゃあ、誰かと擦れ違う度に止まってしまうじゃないか。思わず笑ってしまった。

 僕は右手を後ろに回して、手招きをした。多少無理はあるが、後ろにいる彼女と指先をつないで、そのまま歩いた。

――あれから10年が経った。
 僕は今、3歳の娘と手をつないで歩いている。
 幅のない歩道、向かいから人が歩いてくる。僕は娘を自分の背後に誘導する、手をつないだまま。
 こういう時、僕はあの攻防を思い出してしまう。この子も大きくなったら、誰かとそのようなやりとりをするのだろうか。

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