やる気教室第2話 やる気がでなくなる脳の仕組み
〈前回までのあらすじ〉
県内有数の進学校である岩晴(いわはれ)高校の1年生の成瀬波 成瑠(なせば なる)は、勉強のやる気がでなくてこまり果て、学校の相談室へと足を運ぶ。
しかし、そこにいたのはネット麻雀をしてサボっている相談員のもぐちゃん先生だった――?
もぐちゃん先生は、自分は「やる気がでない人間のプロ」だと豪語する。
なるは、やる気がでない自分の悩みを話しはじめる。
「わたしは怠けている」と自分を責めるなるに、もぐちゃん先生は「なるは絶対に怠けていない!」と断言する。
もぐちゃん先生が言うには、やる気がでないのには脳のメカニズムがあるようで――?
成瀬波 成瑠(なせば なる)
岩晴高校1年生。やる気がでず、勉強に手をつけられなくて悩んでいる。1日の平均勉強時間は30分未満で、課題を〆切までにだせないこともある。
朝のトーストについついマーガリンとジャムを多めに塗りたくってしまう。
もぐちゃん先生
岩晴高校の相談員。「やる気がでない人間のプロ」を名乗っており、やる気のはなしをすることにやる気があふれている。
デスクワークのやる気がでず、相談室でサボっている。
彼女に食べ物を与えるとそれはそれはおいしそうに食べるらしい。
相談室で、わたしはもぐちゃん先生のはなしを真剣に聞いていた。
「さて、じゃあやる気がでないメカニズムについて話していこうか。
やる気がでない原因には
の3つがあるんだ。
まずはそのうち、1と2について解説するぞ」
「先生、1と2はどう違うんですか?」
「そうだな、『1. 脳や自律神経の調子がわるい』っていうのは、一時的な脳の不調だ。これは脳を休ませれば改善する。
『2. 生まれつき脳の特性にかたよりがある』っていうのは、生まれ持った脳の体質とでも言おうか。脳の体質そのものは基本的に治らない」
(治らない……ってことは、2の場合は一生このままってこと……?)
「さて、まずは『1. 脳や自律神経の調子がわるい』について解説していくぞ。最初に自律神経のはなしをしようか」
「たしか自律神経って、交感神経と副交感神経のことですよね?」
「さすがワハ高生! その通りだ。
自律神経はわたしたちのからだの調子を状況に合わせてととのえてくれる」
※ワハ高生:岩晴(いわはれ)高校の生徒のこと
「たしか交感神経が、わたしたちが戦ったり逃げたりするときに活性化されるもので、副交感神経が眠ったりリラックスしたりするときに活性化されるものだったような……」
「むかしはそう言われていたな。だが最近になって、副交感神経には腹側迷走神経と背側迷走神経の2種類があることがわかったんだ。それぞれの役割を書きだしてみるとこうなる」
「交感神経が興奮状態、腹側迷走神経がリラックスモードなんですね。……背側迷走神経の『凍りつく』っていうのは? やる気がでない状態に似てるようですけど……」
「ご明察。この背側迷走神経が優位になっているとき、やる気がでづらくなるんだ。
人間は危機に陥ったとき、交感神経を優位にして戦ったり逃げたりする。ところが、戦うことも逃げることもできないときがある。そんなとき、背側迷走神経が優位になってからだを凍りつかせる。
たとえば、自分を襲おうとするこわいひとをまえにして、声がでなくなったりからだが動かなくなったりするのは、背側迷走神経がはたらいてるからだ」
「でも、よっぽどじゃないと、ふだんわたしたち、こわいひとに襲われることなんてありませんよね?」
「ああ。ところが、慢性的なストレスにさらされると、『戦っても逃げてもムダ』と脳が認識することがある。この図を見てくれ」
「まず、からだがストレスを受けると、①警告反応期に入る。いちどからだがショックを受けてストレスへの抵抗力が落ちるが、ストレスに対抗するためにからだがストレスへの抵抗力を上げる。
つぎに、②抵抗期で、からだはストレスにうまく対処しようとする。交感神経が優位になり、興奮状態がつづく。このとき、交感神経がはたらいているからからだは元気に感じるが、実際には疲れが溜まっていく。だけど、このときはストレスに対処するホルモンの影響もあって、疲れに気づきにくくなるんだ。
交感神経を優位にしてストレスに対処する状態がつづくと、心身が限界を迎える。すると③疲憊(ひはい)期に入り、からだがストレスに抵抗できなくなる。背側迷走神経が優位になり、あたまやからだがうまくはたらかなくなり、憂うつな気分に襲われる。当然、やる気もでなくなる」
「なんか、こわいですね。自律神経は自分の意思ではコントロールできないから……自分が気づかないうちに、ストレスをためて心身が限界を迎えるんですね」
「ちなみに、『慢性的なストレスにさらされるとがんばれなくなる』というはなしをしたが、この『慢性的なストレス』というのは、『進学校で生活する』とか、『先生に叱られつづける』とか、『勉強しなきゃというプレッシャー』なんかも含まれるぞ」
「たしかにつらいですけど、でもそれはうちの生徒はみんなおなじだし、先生に叱られるのはわたしの行いに問題があるから……」
「なる、重要なのは他人と比べてどうかじゃなくて、自分がどう感じるかだ。自分がつらいと感じるなら、それは堂々とつらいと言っていいんだ」
「もぐちゃん先生……」
「さて、はなしを進めるぞ。からだがストレスに抵抗できなくなると、脳にある変化が起こる。やる気のエネルギーがでなくなるんだ」
「やる気のエネルギー? それっていったい……」
「わたしたちの脳には神経回路がはりめぐらされている。そこに神経伝達物質が運ばれることでわたしたちはさまざまな行動をすることができる。やる気をだすには、ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が必要になる。ところが、ストレスによって脳が調子をくずすと、これらの神経伝達物質がうまくはたらかなくなるんだ」
「やる気がでないのは、やる気のもとがはたらいていないってことですか?」
「そういうことだ」
「でももぐちゃん先生、それだと変です。
もぐちゃん先生はさっき、やる気のもとが『ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリン』って言いましたよね。
たしかドーパミンって、ゲームとかするときに分泌されるものだったと思うんですけど。
わたし、勉強するやる気はでないけど、ゲームには熱中してしまいます。ゲームに熱中してるってことはドーパミンははたらいているんだから、やる気がでないとおかしいです」
「そこに気づいたか。なるはかしこいな。実はな、これは知り合いの精神科医に聞いたんだが、ゲームのようにすぐ快楽が得られる短期快楽行動と、勉強のようにさきの未来に快楽が得られる長期快楽行動では、ドーパミンがはたらくメカニズムが違うらしいんだ。なるがいま話したのは、短期快楽行動はできるけど長期快楽行動はできなくなってる状態だな。これはストレスでまいっているひとにわりとよくあるはなしなんだよ」
※作者注:この点は書籍化のさいに精神科医の先生の監修を入れる予定です。
「そうなんですね。おなじドーパミンでも、行動によって作用が違うんですね」
「ああ。ちなみに、ストレスでさっきの背側迷走神経が優位になって、神経伝達物質がうまくでなくなる状態をうつ状態と呼んだりする」
「『うつ状態』か……わたしにはあてはまらない気がするなあ」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、うつって、真面目で神経質で責任感がつよくてやさしいひとがなる病気ですよね? わたしとはほど遠いと言うか」
「なる、それは偏見だ。うつ状態はストレスを受ければだれでもなる。ほかのからだの病気と同じで、条件さえそろえばだれでもなりえる」
「でもうつって、食欲が落ちたり眠れなくなったりする病気ですよね? わたし、ごはんもきちんと食べてるし、ぐっすり寝てますよ?」
「そこらへんはひとによる。うつ状態の症状は、ひとによってちがうんだ。『この症状がないからうつではない』と断言することはできない」
「うーん、そう言われても……わたし、うつなのかなあ……?」
「もぐちゃん先生は医師じゃないからなんとも言えんが、ひとつ確実に言えるのは、自分でうつ状態だと気づけるひとは少ない。こころの疾患は目に見えないからな。
そして、なるがうつ状態であろうがなかろうが言えることは、やる気がうまくでないとき、脳が疲れている可能性があるということ。脳のはたらきを悪くしないために必要なのは、自分を追いこむことではなく休養だということだ」
「そう言われても、課題が自転車操業で……」
「心中お察しするよ。先延ばし&〆切地獄って大変だよな~。もぐちゃん先生も何度涙を流したものか。
しかし、これだけは覚えておいてほしい。なるの心身よりも大事なものはないんだ。取れるときに休息は取ってくれな。ときには〆切を投げ出してもだ。罪悪感とか持たなくていいからな、ほんとに。」
「でももぐちゃん先生、わたし勉強してないから、そもそも疲れようがないんじゃ……?」
「なるはむしろ普通に勉強できるひとより疲れて見えるぞ? 勉強してなくても四六時中常に考えてるだろ、『勉強しなきゃ』って。勉強のことを忘れてだらだらしたり、好きなことを楽しんだりする時間も必要だ」
「そう言われても、やっぱり考えてしまうんですよね。『こんなことしてる場合じゃないのに』って」
「まあ、なかなかすぐにはむずかしいよな。もぐちゃん先生でよければサボるのに付き合ってやるぞ?」
「勉強したくて相談してるのに、サボりを手伝ってどうするんですか、先生……」
「やる気がでやすい健康な脳を保つためには、息抜きも必要ってことだ。冗談抜きで本当にサボりに付き合うからな? ただし、ほかの先生がたには内緒な」
「まあ……しんどいときには検討します……」
「さて、そろそろつぎの『2. 生まれつき脳の特性にかたよりがある』のはなしに入ろうか。
脳がからだを動かすとき、神経をとおして信号を送る。その神経はシナプスっていう、星形にひもがついたようなものがつながってできている」
「さっき話したドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質は、シナプスから隣接するシナプスへと運ばれるんだ」
「さて、この図を見てくれ。右上のほうに『トランスポーター』っていうのが書かれているのがわかるか?」
「再取り込み口、って書いてありますね」
「このトランスポーターは、余分な神経伝達物質を回収して再利用しているんだ。
しかし、ひとによってこのトランスポーターが神経伝達物質を再取り込みしすぎて、その結果神経を流れる神経伝達物質が少なくなるひとがいる。神経伝達物質がうまく伝達されないと、やる気がでにくくなる」
「それが、『生まれつき脳の特性にかたよりがある』ってことですか?」
「そうだ。生まれつきの脳が原因でやる気がでない理由はほかにもある。この脳の図を見てくれ」
「ここに書かれている、中脳黒質緻密部や側坐核、線条体といった部位は報酬系と呼ばれている。わたしたちが報酬を追い求めるときにはたらく部位だな。ひとによって、この報酬系のはたらきがわるいひとがいるんだ。だから、脳が勉強の報酬に価値を見出せず、やる気がでにくくなる。
ほかにも、注意や感情、行動をコントロールする前頭前野のはたらきがわるくて、がんばろうという方向にきもちを制御できずにやる気をだせないひともいる」
「脳がハンデをかかえてる……」
「そうだ。もぐちゃん先生が"『がんばる』の大変さはひとによってちがう"って言ったのは、ひとつにはこの脳の特性の差があるんだ。それともちろん、さっき言ったうつ状態のひとは、健康なひとよりもがんばるのが大変だよな」
「ひとによってがんばる大変さが違う……。ほかのひとと脳を交換できないから、まだ実感がわかないです」
「まあそうだな。ちなみに、生まれつきの脳の特性のかたよりがつよいと、ADHD(注意欠如・多動症)という診断がつく」
「ADHDなら知ってます。小学校のとき同じクラスの子にいました。じっとしていられなくて、よく遅刻と忘れ物をしてて、うっかりミスが多くて、そんな感じの子でした。
うーん、それなら、わたしとは違いそうですね」
「なるほど?
なる、聞いてくれ。もぐちゃん先生は、この学校でも前職でも遅刻をしたことがない。忘れ物だってめったにしない。事務仕事はかったるくてきらいだが、それでももぐちゃん先生の事務にはミスが少ないことに定評がある」
「? それがどうかしたんですか?」
「もぐちゃん先生はADHDだ」
「えっ……えっ? あっ、もしかして、子どものころは遅刻や忘れ物、うっかりミスがあったけど、おとなになってなくなった、とか……?」
「いいや、子どものころもそういったこまりごとはない。
言っただろ? もぐちゃん先生は『やる気がでない人間のプロ』だって。
もぐちゃん先生にADHDの診断がついているのは、おもにやる気をだすことに困難をかかえているからだ。
なにが言いたいかというと、『この特性がないからわたしはADHDじゃない』というかんがえかたは誤りなんだ。遅刻をしないADHDのひとも、忘れ物をしないADHDのひとも、うっかりミスをしないADHDのひとも存在する」
「ということは、わたしもADHDの可能性がある……?」
「なるがやる気の問題を抱えていたのは子どものころからか?」
「そういえば、これまで努力という努力をしてきた試しがないです。ピアノを習っていたときも、家で全然練習をしなくて、発表会のまえにはいつも補習をしてもらってました。英語教室に通っていたときも、英文の暗唱テストの準備をサボっていつも教室に向かう車のなかで覚えてましたし、塾の宿題もやりたくなくて塾をやめました。中学のときはテニス部だったんですけど、朝の自主練もつづかないし、家でトレーニングしないし……」
「それだけのエピソードがあれば、可能性は否定はできないな」
「もぐちゃん先生……脳の特性のかたよりって、治らないんですよね……?」
「なおりはしないが、ましになるぞ」
「えっ……そうなんですか?」
「ああ。さて、いま挙げた、『1. 脳や自律神経の調子がわるい』『2. 生まれつき脳の特性にかたよりがある』の解決策のはなしをしようか。
うつ状態が気になる、もしくは自分にADHDの疑いがある場合、相談するべきは精神科や心療内科だ。
もし診断が下りれば、精神科や心療内科では抗うつ薬やADHD治療薬といった薬をだしてくれる。この薬は神経伝達物質やトランスポーターのはたらきをととのえてくれるんだ。薬が合えば、やる気がだしやすくなるぞ」
「精神科や心療内科……よくわからなくてこわいかも」
「もぐちゃん先生も定期的に通ってるが、べつになんてことはないぞー? 受付すませる、待合室で待つ、診察受ける、会計すませる、おしまい。精神科や心療内科にきてるひとも、大多数はこまりごとを抱えているだけのふつうのひとだしな」
「でも、わたしが精神科や心療内科に行っていいのか心配です。行ってもなにも診断がつかなかったらどうしよう、ばつがわるいです……」
「からだの病気だって、早期受診がだいじだって言うだろ? こころの病気もおなじだ。気軽に受診していいんだよ。
行かなくてあとでたいへんなことになるほうがまずいと思うぞ? うつ状態は悪化するとうつ病などの気分障害になって、日常生活が困難になるし治るのにも時間がかかる。それに、ADHDによるストレスもこじらせると二次障害といって、気分障害になりかねない。それと……」
「それと?」
「もぐちゃん先生ももっとはやく、高校生のときにADHDの診断が下りていたらと思うと、涙が……」
「そ、そうなんですね……」
「もし精神科や心療内科を受診する気になったら言ってくれ。養護の先生との連携とか、保護者のかたへの説明とか、いろいろ準備をしておくよ」
「ありがとうございます。持ち帰って考えてみます」
「さて、次回相談室にきてくれたらいよいよ『3. やる気をだす方法の問題』のはなしをするぞ! なる、また次回もきてくれるかなー?」
「うーん……」
「え。きてくれないの。そこは『いい○も!』って言うところだろ!?」
「もぐちゃん先生、いまの若い子にはそのネタ通じませんよ。だってもぐちゃん先生、相談室で麻雀したり生徒を相談室に無理やり連れこんだりするへんなひとだし……」
「もぐちゃん先生は傷つきました。事実でも言っていいこととわるいことがあると思います」
「やっていいこととわるいことがわかってないのはもぐちゃん先生のほうでしょ。もう、冗談ですよ。またきます。もっとやる気のことについて勉強したいですし。それに、わたしがこないともぐちゃん先生、またサボるでしょ?」
「まことにおっしゃるとおりでございます……」
「それじゃあもぐちゃん先生、またお願いしますね」
そう言って、わたしが相談室を去ろうと立ちあがったときだった。
「ああそうだなる、あとちょっと時間もらえるか? 頼みたいことがあるんだ」
「なんですか、先生?」
「なるの子どものころからいままでのはなしを聴かせてほしいんだ。さっき脳の問題についてはなして、精神科や心療内科のはなしもだした以上、こちらでもなるの状況をくわしく知っておきたくてな」
「あっはい、わかりました……」
~次回へつづく~
今回の参考文献
ADHDの正しい理解と生活のヒントーー日本イーライリリー株式会社
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