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「面白いから生きてて」と言われ、書くことにした
挫折を経験したすべてのひとへ
あなたの人生に誇りをもってほしい。
わたしは努力ができない。
そのことに気づいたのは10年以上前、高校受験のときだった。
受験生なのに、勉強をはじめられない。
わたしよりずっと成績が悪い子でも勉強を頑張っているのに。
おかしい。なにかがおかしい。
進学校に入学しても、わたしは勉強を頑張れなかった。
うちの生徒の平均勉強時間は平日3時間、休日5時間。
わたしの平均勉強時間は30分未満。
どうすればやる気が出るんだろう。
わたしは解決策を探すために、自己啓発書を読みまくった。
そのなかで、印象深い本を見つけた。
ひとつは、
ケリー・マクゴニガル著「スタンフォードの自分を変える教室」。
やる気について気の持ちようを説くのではなく、科学的な視点で意志力の出しかたを説明する点が、ほかの本を読んでもしっくりこなかったわたしにとって新しく衝撃的だった。
科学によって、やる気の問題が解決できるかもしれない。
わたしにそういう考えを与えてくれたのが、この本だ。
もうひとつは、
あーさ著「めざせ!ポジティブADHD」。
この本はとにかく明るい。分かりやすい。そして前向きだ。
わたしは、自分がやる気が出ないのは、じつはADHDだからではないかと疑っていた。
この本でADHDによるこまりごとへの対処法が明るく書かれているのを読んで、希望がもてた。
この本を読んだADHDの当事者は、勇気をもらえるだろうなあ。
そう思える本だった。
やる気の問題について、
こまっているひとに届いて、効果があって、役に立つ。
こまっているひとが希望がもてる。
そんな本が必要なんだ。
本と出会うなかで、わたしはそう考えるようになった。
勉強に手をつけられずこまったわたしは、カウンセリングを受けた。
しかし、いくらカウンセリングで話しても、わたしはやる気を出せるようにならなかった。
現状のカウンセリングは、はなしをきくだけで、問題解決につながっていない。
わたしのように具体的なこまりごとがあるひとに必要なのは、問題解決だ。
そこでわたしは決意した。
心理士になって、相談者の抱える問題をカウンセリングで解決する方法を研究しよう。
そして、わたしのこころに残った本のような、こまっているひとの力になる本が書きたい。
しかし、そこからのわたしの人生は七転八倒だった。
あたまのよさだけで有名国立大学に合格したが、大学の課題が出せなかった。
授業を休みがちになった。病院でうつ病とADHDの診断がついた。
やはり努力ができないのはADHDが原因だった。
うつ病になって、無理して頑張ると体調を崩すようになった。
心理士養成大学院は不合格になった。浪人するも、研究計画が書けなくなり、体調を崩し受験できなくなった。
社会人になって、大学院に行くお金を稼がなきゃ。
このころのわたしは、「こうあらねば」という理想に押しつぶされていた。
そんななか、ADHD当事者の借金玉さんが2冊の本を出した。
1冊目の本「発達障害の僕が『食える人』に変わったすごい仕事術」。
机の上を片づける方法が「手を伸ばして机の上を右から左へスライドさせる」なのは笑ってしまった。
この本でおすすめされていた「ものをなくさないためのバカデカいビジネスバッグ」は、今も愛用している。これがあると、ものを出すときにかばんをゴソゴソやらなくてすむんだ。
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2冊目の本「発達障害サバイバルガイド」を買ったとき、わたしは心身がまいっていた。
読みたかった借金玉さんの本を開くと、最初に導かれたページにはこう書いてあった。
うつの底にいるあなたへ
なにもするな、この本も読むな
吹き荒れる雪のなかに無理やり出ていくのは危険だ
わたしは本を閉じ、読むのをやめた。
ああ、この作者さんは信頼できるなあ。
体調が回復したあと、もう一度この本を開いた。
そこには、こまりごとへの具体的な対処法がたくさん書かれていた。
クレジットカードを使った金銭管理の自動化や、
香りと音とアイマスクを活用して五感をさえぎり自分を休ませる「強制終了」などは、わたしも取りいれている。
また、「休むことは常にベターな選択」など、わたしたちが生きのびるために役に立つ考えかたも書かれていた。
こまっているひとに届いて、効果があって、役に立つ。
こまっているひとが希望がもてる。
借金玉さんの本は、まさにそんな本だった。
わたしもこんなふうに、読み手の実際の困難に寄りそった本が書けたらなあ。憧れは育っていった。
大学院受験をやめて、体調をととのえ社会復帰するためリハビリ中の時期のことだった。
わたしは苦しんでいた。
精神障害者支援を行う団体のセカンドレイプ、マイノリティーを扱うメディアの理事の性加害、オンラインカウンセリングの会社の代表の二次加害と役員による労働搾取、それらに対するバッシング。
社会的によいことをする団体が、次々と問題を起こした。
対人支援を仕事にしたいと考えていたわたしにとって、この問題は他人事ではいられなかった。
かれらの行為は責任を問われることだ。
しかし、わたしはこう思ってしまった。
「もしわたしがかれらと同じ立場だったら、なんのまちがいも犯さずにいられただろうか。わたしも彼らとなにも変わらないのではないか」
被害者が十分にケアされていないなかで、加害者の弱さに寄りそう発言自体が二次加害として問題視されていた。
だから、この気持ちはこころに秘めた。
SNSで事件についてなんども調べる。
バッシングをするひとたちの視線を感じる。
おまえは加害者だ。
おまえは加害者だ。
おまえは加害者だ。
画面のむこうから責められている気がした。
わたしは死にたくなった。
自分ひとりで気持ちを抱えきれず、わたしは相談員をしている知人に相談した。
わたしは自分の気持ちをぜんぶ話した。ここに書けない気持ちもぜんぶ。
話し終わったあと、その知人は言った。
「もぐさんの考えは、人間としてとても当たり前だと思うよ」
わたしは知人のほうを見て、聞いた。
「わたしって、生きてていいんですかね」
知人は答えた。
「面白いから生きてて」
わたしが血反吐を吐いてのたうち回った苦しみや自責の念に、そのひとは意味を与えてくれた。
この痛みはただわたしの「生きてていい」を否定するものではなく、むしろこの痛みこそがわたしの「生きてていい理由」のひとつだった。
その知人のことばが、わたしのこころの支えになった。
同時に、わたしのなかで、まえから持っていたある考えがわきあがってきた。
「面白い」。
このことばは、私が周囲からよく言われるのだ。
「もぐさんの考えは面白いね」
何人かからそう言われていた。
自分の考えを発信してみたい。
しかし、あたまのなかにバッシングがよぎる。
「わたし、自分の考えを発信したいんですけど、インターネットが怖いんですよね」
わたしはそう知人に話した。
それを聞いて、知人はこう答えた。
「もぐさん、”ジン”って知ってる?」
ジン? お酒の名前? それとも時代劇だろうか?
「マガジンのジン。Z-I-N-E」
ZINEとは自分で作る冊子のことらしい。
「ZINEなら自分の目の届く範囲でしか取引できないから、安全だよ」
そういうものがあるのか。わたしはZINEを作ろうと決心した。
そうしてできたのが、エッセイとハウツーの雑記ZINE「Domanda」だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1718426733815-W9WhHA4UhH.jpg?width=800)
Vol. 1~7まで発刊されている
ZINE「Domanda」には、自分がADHDの当事者として抱いた疑問や、試行錯誤を重ねるなかでの気づき、日常のなかで考えたことを書いた。
たとえば、「支援者マニュアル」という記事では、自分が支援者とすれ違うなかで考えた、「支援者にたいせつにしてほしいこと」をつめこんだ。
欠点を許容してほしい、命や尊厳を大切にしてほしい、決めつけやレッテル貼りをやめてほしい、おかしいひと扱いしないでほしい、などだ。
「履歴書テンプレ通りに自己PR書かなくてよくない?っていう話」という記事では、履歴書の見本の型どおりに自己PRを書いたら人物像が偏るのでは?もっと人柄が伝わる書きかたのほうがいいのでは?と主張している。
自分のZINEが売れると嬉しかった。感想が届くとさらに嬉しかった。
書店さんに思いきって営業して、ZINEをお店に置いてもらえるとなるともう最高だった。書店さん側から「あなたの作品をお店に置きたい」とお声がかかったときは飛び跳ねていた。
自分の書いたものが誰かに響くのが嬉しかった。
体調が回復したわたしは、パートをはじめた。
だけど、うまくいかなかった。
最初のパートは福祉施設の支援員。利用者さんとの関係に悩んで行きづまったわたしを、上司は「ちゃんと仕事をしないひと」と評価した。わたしは職場に行けなくなり退職した。
支援する相手とうまく関われない。よくない対応をしてしまう。
支援する相手を傷つけたくない。いまの自分は、まずい。
なんども相談して、わたしは対人支援職を一度諦めた。
心身のリハビリをしながら働こうと思い、A型作業所を利用した。そこではデータ入力の仕事をしていた。
途中までは順調だったが、ある日体調を崩した。医師に相談したら、「仕事がつまらないんじゃない?」と言われた。
A型のスタッフに、自分の能力に合った仕事を振ってほしいと頼んだ。そんなわたしをスタッフは「なにものかになりたくて高望みしているひと」とみなした。
わたしは自分の能力を軽く見られるのがつらくて、A型をやめた。
わたしはこんな簡単な仕事すら続けられないのか。
いまのわたしを大学の同級生が見たら、
「アラサーにもなって自立できないかわいそうなもぐちゃん」
と哀れむだろう。
新しく仕事をはじめなければいけないのはわかっている。
だけど、わたしは障害者雇用に不信感をもっていた。
「企業にとって都合のいい障害者像」にハマりにいくのがつらかった。
かといって、一般雇用で働けるほど体調が安定していなかった。
障害年金の審査のために書いた、自分が生まれてからいままで歩んだ人生の年表を見る。
「あ、わたしってちゃんと不幸だな」
わたしは絶望した。
そんなとき、わたしは高校の同級生とお茶をした。
彼女は私大の社会学部に進学したが、進路を考え直して東大の法科大学院に入っていた。
自己評価が地に落ちていたわたしは、彼女にきいてみた。
「なんで、ほかにまわりにかしこい子がいるのに、わざわざ遠くに住んでるわたしに会ってくれるの?」
彼女はこう答えた。
「学問っていうのは、知らないことがたくさんあるってことを学ぶためのものなんだよね。学ぶほど、自分という存在の小ささを認識するんだよ。
わたしは、『東大生? すごいね!』って言われるのが嫌い。東大という肩書きはわたしを指してない」
彼女には悪いが、さすがかしこいひとの思考回路は違う……!
彼女は厳しいことを言っている。
要は、「肩書きよりもそのひと自身がどうあるか」を問うているのだ。
「それで、なんでわたしに会ってくれるの?」
そうきくと、彼女はうーんと考えた。
「わたしのお母さんが入院してたときがあったじゃない? あのときもぐちゃんは普通に話してくれたから」
「え、それだけ?」
「うん。あのときのわたしは生活がしんどかったから、あなたが普通に接してくれたことに救われた」
「え、でもわたしはあなたが好きだから話しかけてただけだよ?」
「ふーん? じゃあもぐちゃんに対する信頼度が上がったわ」
なんじゃそりゃ。よくわからなかったけど、嬉しかった。
無職のわたしは、うつ病の当事者会に参加した。
そこには、わたしよりも状況がひどいひとがたくさんいた。
はじめて会に参加した日の帰り、長年ひきこもりのミユキさんが「また来てね」と微笑んで手を振ってくれた。
多量服薬と救急搬送を繰り返すサクラさんは、わたしがつらいときに背中をさすってはなしをきいてくれた。
娘を児童相談所に引きとられてしまったアケミさんは、わたしを気にかけて声をかけてくれた。
元妻に養育費を払っていないカッペイさんは、みんなが行きづまったときにちょっとしたシャレを言った。
わたしはここにいるひとたちにたくさん力をもらった。
そしてわたしのことを、ここにいるひとたちは信頼してくれた。
「絶望を経験しないと、希望を見つけることはできないんだよ」
そうみんなから教わった。
わたしが書いた小説に、こんなセリフがある。
「今の人生も、オリンピックに出たかもしれない人生と同じくらい価値がある。今の私だからこそ分かることやできることがあるって気づいたんだ」
わたしとつながってくれたひとたちから学んだ、たいせつなこと。
どんなに落ちぶれたように見えても、わたしたちはひとの役に立てる。
一生懸命勉強して、やりたいことをたくさんやるのがわたしの夢だった。
わたしの障害はそれを許してくれなかった。
なにも持っていないと思っていたけど、わたしにもひとに手渡せるものがあった。
挫折を経験したあなたへ。
自分の思い描いたとおりにならなかった人生は味気ないかもしれない。
やりたいことができて輝いているひとをみて、劣等感をかかえているかもしれない。
みじめでこんな人生なんてやめてしまいたいとすら思っているひともいるかもしれない。
そんなあなたに伝えたい。
あなたから力をもらっているひとがいる。
あなたの力を借りたいと思うひとがいる。
はからずも周りに影響を与えることがある。
それはあなたが願った「なりたい姿」と同じくらい、価値のあるものだ。
あなたの代わりはどこにもいない。
あなたの人生に誇りをもってほしい。
以前、エッセイストの豆塚エリさんに尋ねたことがある。
「どうすれば自己表現を仕事にできますか」
豆塚さんはこう答えた。
「たくさん本を読むこと。自分が考えたことは案外ほかのひとも考えてる。オリジナリティを出すにはほかのひとが書いたことの一歩先を書く必要がある」
ぐうの音も出ないほどそのとおりだと思った。
わたしはコツコツ書くのはできるが、コツコツ読むのは苦手だ。
ここでも努力がわたしの前に立ちはだかるのか……。
そこにきて、藤原華さんのnote「自分に自信がなくて吐きそう」だ。
自信が何でできているか。
努力だ。
わたしは努力ができない。
しかも、無理して頑張りすぎると体調を崩す。
体調を崩すと、文字どおり死ぬ。
うつとはそういう病気だ。
この記事は、コンテスト「なぜ、私は書くのか」にむけて書いたものだ。
コンテストの突破条件は、藤原華さんのnote「自分に自信がなくて吐きそう」を超える作品を作ること。
わたしに藤原華さんの努力を超えられるか?
答えはNOだ。
ではどうするか。
たたかう土俵をずらす。
藤原華さんとは違う価値観を示す。
わたしのように努力が人並みにできないひとにも、ものを伝える価値はある。
どんな人生にも意味がある。
文章の神さまはきっと、わたしたちに開かれている。
自信が何でできているか。
有限性だ。
自分ではない誰かになろうとしないことだ。
自分に絶対にできることを積み重ねることだ。
あなたにも、できる。
自分に絶対にできることを積み重ねていけば、それはあなたの自信になる。
わたしがやりたいことのはなしをさせてください。
わたしと同じようにやる気が出なくて苦しんでいるひとの力になるような作品を作りたいんです。
高校生のとき、大学合格者座談会で先輩が自分の努力を話しているのを見て、
「努力ができないわたしがあそこに立って、同じ悩みを持つひとの力になりたい」
と思っていました。
いざ合格すると、引っ越しの都合で座談会に出られなくて、ほんとうに悔しかった。
だからわたしは、やる気が出なくて苦しんでいるひとにメッセージを届ける活動をはじめました。
最初は、母校での少人数の生徒へのスピーチでした。緊張でどもって、早口でまくしたててしまいました。
もっとひろく届けようと思って、記事「やる気が出ない、頑張れない君へ(進学校の中高生向け)」を書きました。
(↓の記事はその記事のリライトです)
しかし、やる気をテーマに書かれた記事ってたくさんあって、わたしの記事は埋もれてしまいました。
だから、記事の内容をフリーペーパーにして配りました。だけど、金銭的にも時間的にもフリーペーパーをたくさん刷るのは難しかった。
自己啓発書には、やる気について書かれた本がたくさんあります。
しかし、じつは自己啓発書に苦しめられるひとがいる。
科学的なアプローチや独自のメソッドを持ち出すのはよいのですが、それが、やる気を出すことに障害があるわたしたちのようなひとを想定して書かれていないことがあるのです。
結果、それを読んだわたしたちがうまくできなくて傷つく。
特に、「やる気がなくてもできる」というフレーズがわたしは大嫌い。
うつを経験したから分かります。この世にやる気が必要ない行動なんてありません。
やる気に関する自己啓発本は、だいたい元からやる気があるひとが書いています。そういうひとには「やりたいのにどうしてもやる気が出ない」という実体験がないのです。
「やりたいのにやる気が出ない」という感覚が分かるひとが、その気持ちに寄りそって書いた本が必要です。
わたしは悔しい。
わたしが高校生のときからもう10年以上たつのに、今日もあの学び舎で、やる気が出なくて苦しんでいる後輩たちが、課題が出せなくて先生に呼び出され、叱られ、自分を嫌いになっています。
もっとやる気の問題について知ってほしい。
生徒だけじゃなくて、教育関係者にも読まれる本を作りたい。
わたしは、noteでやる気に関する連載を書こうと計画しています。
タイトルは「もぐちゃん先生のやる気教室」。
やる気が出なくて悩む高校生の成瀬波 成瑠(なせば なる)さんが、相談室でサボってばかりだけど「やる気について語る」のだけは人一倍やる気があるもぐちゃん先生との対話をとおして、やることに手をつける方法を学んでいきます。
内容はこんな感じ。
・やる気が出なくなる脳の仕組み
・絶対にできる小さな目標を続けよう
・課題は細かく分解しよう
・目標は小さくしよう
・自己啓発書に気をつけろ!
・PDCAは回らなくていい
・失敗は進んでる証
・最も効率のよい勉強法
・自分は変われないのか?
etc.
![](https://assets.st-note.com/img/1718356510434-JDzy8uIxLy.png?width=800)
セリフを一部公開
連載が終わったら、書籍化するつもりです。
こまっているひとに届いて、効果があって、役に立つ。
こまっているひとが希望がもてる。
そんな連載にしたいです。
わたしを応援してください。
わたしは、自分に確実にできることをひとつひとつ積み上げることしかできないけれど。
こまっているひとに一筋の希望をもたらすような作品を作りたいんです。
みなさま、よろしくお願いします。
(第三者のプライバシー保護のため、実際の出来事を改変した箇所があります。)
(「おまえは加害者だ」という表現について……これはわたしのこころの動きとしてそう見えていたということです。実際の当時の批判は誰かへの攻撃というよりも、ただ問題点を追求し被害者のケアを訴えるものでした。)
駆里もぐのプロフィールはこちら
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