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アメリカにおける食のコペルニクス的転回

 今年の連休にアメリカに渡った。娘がカリフォルニア州サンフランシスコ郊外に住んでいて、サポートを求めてきたからだ。画家である娘が、このたびGAFAを形成する一企業の新築建物群の巨大な給水貯蔵タンクの壁画を描くことになり、4月から現場で仕事を始めていた。もちろん絵を描くサポートをしたわけではなく、孫のベビーシッターを頼まれていたのだ。

 約5年ぶりのアメリカだった。コロナ禍で行く機会が失われ、行こうにも行けなかったのはみなさんと同じだ。表面的にはあまり変化は感じられなかった。サンフランシスコ市最大の危険地域テンダーロイン・ストリートは5年前も今年も変わっていなかった。当然街頭を彷徨う人々も大半変わっただろうし、街並みも少しばかり変わっていた。そんな危ないストリートにどうして行ったかといえば、娘の壁画がエリス通りとジョンズ通りの交差点近くのホテルの側面いっぱいに描かれていたからだ(google map:Cats Coronado Hotel or Mentone Residental Hotel  photo ref.)。

 テンダーロインストリートはサンフランシスコの中心から数ブロックしか離れていない。歩いて行けるところに市庁舎があり、シビックセンター、公立図書館、アジアアート博物館などもある。

 新宿西口のビル群と歌舞伎町の間の距離より近い位置にある。この地区に集まってくる人々はほとんどが薬物中毒者であるといわれている。ゴスペル合唱隊でも有名なグライド・メモリアル教会が貧しい人々に一日三度の食事を提供しているので、生活に困っている人々が集まってくるエリアになっている。一般の人は用がない限り近づかない所になっている。この教会はその他のソーシャルサービスも多岐にわたって行っており、たくさんの老若男女を集めている関係からか、昼間は比較的平穏だった。娘はこの地区に一ヶ月以上も通って仕事をしてきたので、その辺の事情に精通していた。以前は二歳の息子を連れてくることは絶対なかったらしいが、今回は息子を連れてきたが抱っこしていて手放しにすることはなかったのは若干の懸念があったからだろう。

 この荒んだ地区に壁画が描かれたのは、町の篤志家がフィランソロピーの一環として壁画を寄付してこの地域を明るくしたいということだったろう。このような地区では違法なグラフィティが正当な壁画に上書きされて、台無しにされることが多いが地上5mから15mくらいの高さで描いている娘の壁画は無傷であったが、観ているわれわれは周囲の人々に目を配りながらの鑑賞で、気持ち穏やかにゆっくり見る余裕がなく短時間で引き揚げてこざるをえなかった。ちなみにフィランソロピーphilanthropyの語源はギリシア語で「愛+人間=人間愛」の造語で慈善活動を通して人々に精神的幸福を提供するような活動を言う。同様の言葉では「愛+知恵・知識=philosophy 哲学」がある。またグラフィティやグラフィックなど語幹がgraph-はやはりギリシア語grapho(=書く、描く、スクラッチする)の動詞から派生している。

  旅行者としてサンフランシスコ周辺の観光地をまわるかぎり、訪れるところは初めて見る光景ばかりとなり、食べるものもレストランやテイクアウトの店(アメリカでは持ち帰りをテイクアウトとはいわない)ですますことが多いだろう。旅行ではその国の生活実態はわからない。壁画を見に行ったテンダーロインストリートも危険地域といわれたら、車で通過することがあっても、よほどの目的がなければ足を踏み入れることはないだろう。デパートに行っても、関心のないフロアに行くこともないからそのフロアについて知らないが、行ったフロアについては表面的ながら全体がわかったように感じるのが旅行というものだろう。

 観光目的に旅行するとき、旅人がほぼ立ち寄らないところにスーパーがある。ただその町で生活する居住者にとってはスーパーマーケットは必須な要件になる。前回来たとき娘とともにスーパーに買い出しに行った記憶と、今回買い出しに行った印象とではかなり違っていた。今回目についたものが、前回はなかったのではないかという思いがよぎった。店内には品目を表示するプレートが掲げられていたが、商品名の他にオーガニック(organic 有機製品)と表示されたものが多く見られた。

 スーパーは今回オーガニック製品であふれていた。調べたところアメリカでは野菜はもちろんのこと、牛肉・豚肉・鶏肉、果物・ジュース、牛乳・チーズ、ビール・ワイン、パン・ケーキなどなども農薬や化学肥料を使わないで生産されたものが売られていた。それらのどれにも製品のラベルシールにオーガニックという表示がみてとれた。どうしてだろうと考えてみた。化学肥料や農薬の大量生産国で名をはせたアメリカでオーガニックって噓だろう。アメリカこそ無害だという化学肥料や農薬を大量に使って農産物を作っている国じゃないか。ところがここに来てみたら、スーパーは有機食品だらけじゃないか。アメリカ社会が今までの農産物生産方式にノーを突き付けて、有機物を使って生産した農産物を売買する方向に移行したことがスーパーの売り場に出現していた。

 日本のスーパーで売っている有機食品は野菜ぐらいしか表示されていない。そう考えると、日本で売られている食品の大半は農薬や化学肥料を使っているのではないかという疑念がわく。近頃の日本の消費者は野菜・果物などについては、見た目が美しいものしか手に取らないので、農家は農薬や化学肥料をふんだんに使って、野菜や果物を生産していると聞いたことがあった。野菜や果物だけでもその状況なら、食肉や乳製品などは家畜がどんな飼料で肥育されているかわからないわけだから、ほんとうに安全なのかという思いがした。

 自分勝手な思い込みで国内で生産された食品や産物は美味しくて健康によいと考えていたが間違いだったのではないかと気づいた。アメリカを含む世界は農薬や化学肥料を使う農業から無農薬・有機肥料へ転換しているらしいことを肌で感じたからだ。今まで国産品こそ健康によいと能天気に生活していたが、世界の潮流に乗り遅れた食生活をして悦に入っていたのだ。やはり農薬や化学肥料を大量に使う農業が問題だったのだ。日本でも近年アレルギーや喘息をはじめとして様々な病状に悩む人々が増えていることは知っている。近ごろの人はひ弱になったという風潮がただよっているだけで、原因究明がなされていない。小さなお子さんをもつお母さんは割高な有機食品・野菜などを上記の病気にならないために買っているといった記事や映像を見たことがあったがピンとこなかった。品質が良くて、旨いといわれている国産農産物なのに、あえて有機栽培農産物を消費する意味が分からなかった。農薬の悪影響については、レイチェル・カーソン『沈黙の春』という名著は知っていたが、環境にやさしい農薬も開発されて、昔に比べて安全性が格段に向上しているはずだと勝手に思い込んでいた。

 アメリカの農業が大きく転換したのは、世界的な農薬・植物種子のバイオ化学メーカーモンサント(現在バイエル)が一人原告の農薬害裁判で敗訴して、損害賠償金と懲罰的損害賠償金を合わせて320億円の支払いを命じられたときからだ。それ以前からモンサント社製農薬の有害性を検証しようとしたが、モンサント社は様々な妨害工作を行ったので有害性が認められなかったが、ようやく裁判所で有害性の評決が下ったのだ。日本でも水俣病が裁判所に公害病と認定されるまでは原因が他にあるという主張がなされていたし、それに加担する学者もいた。裁判所が工場排水に含まれていたメチル水銀が水俣病の原因であると認定することによって社会的既定事実になり、損害賠償責任が論議されていくキッカケになっていった。水俣病は地域的な病気であるが、モンサント社製農薬は使えば薬害が起こる可能性があり、どこでも強弱はあるものの害をもたらすから、無農薬の食品を人々は求めていくことになったと思われる。

 そもそも有機農業はどうして起こってきたかといえば、化学肥料を長年使うと農地が荒れ、収穫量が減っていくことが知られていた。植物が成長し、実を結ぶには窒素、リン酸、カリウム等の三種類の肥料が不可欠といわれている。これらの肥料を直接に投入すれば即効的に効果がでて、収穫量がふえる。植物にとっては3要素は不可欠であるが、それだけでは永続的な収穫量は期待できない。植物が成長するには肥料の三要素に加えて、根が十分にはることができるやわらかい土が必要になる。化学肥料を多用すると、土が硬くなり、それに伴って収穫量が減少していくことが知られている。

 土壌には数十億単位の微生物が住んでおり、有機物を消費して生活しているが、微生物が有機物を消費して無機物に変容すると、それが植物の肥料になる。土壌に肥料の三要素になる有機物があれば、微生物が土壌中を活発に活動して土を柔らかくして植物の成長を促し、有機物を無機物に変える働きをすることにより収穫物の質・量を改善できる。ところが有機物を含まない化学肥料は当初は即効的に収穫物の質・量を飛躍的に増加できるが、年ごとに有機物が減少した土壌の微生物が食糧難から減少死滅していくと、土壌が劣化して硬化し、化学肥料を大量に使っても期待する収穫量は得られない。ただ有機物肥料は微生物の分解に依存しているので、即効性が期待できないデメリットがある。追肥などでは化学肥料が有効にはなる。

 従来の農業は有機物肥料と無機物肥料を適宜調整して使用すると共に、害虫を駆除したり病気を防いだり、病気の拡大を止めるために農薬が使われていた。この結果が土壌中の微生物の減少を招いて土壌を劣化させ、収穫物には残留農薬が含まれて健康被害をもたらすという弊害がおこってきている。有機農業をやっている人にいわせれば、地中の微生物が有機物を肥料に分解して消費している土地においては害虫の被害を抑え、病気の発生を抑止するが、微生物が減少した土地ほど害虫や病気の被害がひどいといわれる。結果として、農薬が過剰に噴霧され、農薬の被害が昆虫や微生物、そして作物にも及ぶという悪循環となる。

 何が根本原因で健康が損なわれたのかわからないとき、人々は破天荒な原因を捏造する。水俣病のとき、原因不明の病が発病したのは先祖の祟りだとか、血の汚れ、風土病や伝染病とされ差別や人権侵害が起こっている。ほとんどの公害はすべての人々に均一に病状が現れるものではなく、軽いものから重いものまで個人差もある。また症状も多様な広がりを見せるのが普通であり、原因の追究が困難なことも多いため、原因確定を阻んでいる。

 アメリカの例は農業に従事していた人が農薬を散布する仕事を長年行ってきたら末期のがんになり、農薬製造会社を訴えたところ、農薬の有害性が認定されたのを受けて、各地で同様の訴訟が起きた。このことがきっかけとなり、農薬に恐れを抱く人々が、有機物を使った食品を求める傾向が強くなっていき、全国的なブームになっていった。もちろん以前から体に変調をきたし、原因が特定できない中で不安を感じていた人たちも、農薬の有害性が裁判で認められると農薬が原因でないかと疑い、有機物食品を選ぶようになったことも需要を掘り起こした。結果として、パラダイムシフトがおこり、有機物・無農薬食品が市場で優勢になっていったのではないかとおもわれる。

 今まで国産の農産物こそ品質が優れ、美味しいという信仰が刷り込まれてきた気がする。さまざまな食品にはこれ見よがしに「国産」と銘打って販売されている。外国食品はたくさんの農薬を使い、ポストハーベストという収穫後にも防腐剤や防黴剤、防虫剤などの薬品を使っているから国産はその点まだ安心だみたいな認識があった。なんでも国産の方が割高なのは安全で美味しいからだと思い込まされていた。実際は生産にあたって、かかるコストが外国に比較して高いので値段が高くなっただけかもしれない。

 アメリカに行ってはじめて、海外で大きな変化が起こっているのに気が付いた。日本では以前から有機野菜などがスーパーや専門店で売られていたが、マイナーな存在にみえたし、アメリカに行く前も行ってからも大きな変化がみられなかった。マスメディアも大々的に取り上げてはいなかった。外国産食品に対するいわれなき偏見も固定化して、国産の食品こそが世界で安全・美味しいものという共通認識があった。

 ところが世界では、これまでの農業生産を大きく変えようという動きが徐々に高まっていったようだ。アメリカをはじめとしてヨーロッパ諸国や中国までもそのムーブメントがひろがっているようなのだ。十分検証したわけではないが、ものの本にはそう書いてあった。そういえば中国産の食品には有機栽培と表示されているものも見かけるが、国産のもので有機栽培食品と表示されているものはほとんど見かけない。アメリカでも、日本の食品を扱うスーパーではパッケージにオーガニックの表示がないことが当たり前になっている。もちろん外国でも全面的に有機栽培食品を生産している国はほとんどないとおもわれるが近年比率が急に増加している。こうしてみると日本は周回遅れの状態になっているのではないか。国の方針では2050年までに有機栽培の割合を25%にする目標を表明しているようだが、具体策があるようにはみえない。寡聞にして知らないことが多いが、大きな運動にはなってないようだ。

 なんか日本においては健全で健康な食生活が未来永劫に続くような気がしないのは筆者を含めた少数しかいないのだろうか。有機農業を実践している人たちのウェブサイトがネットに散見されるが大きな広がりになってないのはどうしてだろうか。経済性や生産性を追求した結果、日本の農業は国民を犠牲にして、農業組織や農民が収益を得る手段としか考えていないのだろうか。あのアメリカだって、すべてではないが効率の悪い有機農業に舵をきっていて、有機栽培された食品や有機栽培された原料を使って食品を生産し、市場に提供している。日本よりはるかに国民からの支持を受けて認知されている。

 このままでは日本の食が知らぬまに、農薬の被害ばかりでなく、放射能が及ぼす農地汚染や海水汚染が複合して私たちの健康をむしばみ、生きる意欲を失わせる病を誘発する可能性があると感じている。水俣病のような公害病は地域的なものだったが、農薬は全国的規模で使用されていて、放射能との複合汚染から生まれるさまざまな症状は容易に特定できないから公害病にも認定されずに人々の健康をむしばみ、死に至らしめるかもしれないのだ。

 サンフランシスコ市(シティ)テンダーロインストリートに佇み、希望や将来を見失ったような人々がストリートを彷徨う様子を思い出すと、われわれも状況としては同じではないか、このままでいったら彼らと同じような閉塞状態を感じながら、抗えないところに追い込まれていくのではないかという感覚がある。日本で使われているアメリカ製農薬の有害性が明確に証明されない限り、これからも当たり前のように使用され続けられるだろうし、原発事故の放射能汚染も厳然と存在するわけだからなかったことにできないので、悪影響がないとはいえない。

 テンダーロインストリートに集まる重度のドラッグ中毒者は人生をダメにすると分かっていても薬に手を出し、やめようと思ってもやめられない状況に追い込まれていると考えると、日本の人々もまた同じ境遇になっていている雰囲気がある。国産の食品を食べ続けることは、健康をむしばむ可能性があると分かっていても、ほかに食べるものがないので食べざるを得ないということだ。そこに救いはあるのだろうか。

 政府や自治体、各種農水林業界団体は、刹那的自己保存に終始して危機を回避する根本的対策を講じないだろうから、消費者に悪影響が広く顕在化してからでないと重い腰を上げないだろう。いままでもこれからも日本に住む人々は、人間にとってもっとも重要な食の安全に怯えて生きていかなければならない時代が続く。そんなすさんだ不安・心配を少しでも和らげるには心の平安を求めるしかない。自分が最初の犠牲者になるかならないかは、だれにもわからない。芸術こそ、心の不安・焦燥感を和らげるものではないかと考えると、音楽や舞台芸術・映画・絵画などは一時的とはいえそれを忘れさせる効果を持つ。 

 ドラッグ中毒者が集まってくるテンダーロインストリートでは町が荒んだ印象を与えがちなので、町を明るくするような壁画がストリートに描かれたのは芸術にアクセスできないホームレスの人々に唯一無一文でも芸術に触れて、自己の人生に対する不安・焦燥感を和ませて、再生の「きっかけ」を感じてもらえたらということで企画されたのではないか。と壁画を見ながら夢想した。


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