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五感全開で日常を送る

自宅にいることが多くなり、生活の質をあげたいと感じるようになった。これは考えるとか思うではなくて、そう感じるのだ。普段、なんとも思わなかった些細な行動が気になり始めた。

「なんか、めんどうだ。」

「こうしてくれた方が楽なんだけど。」

「あれっ。置きっぱなしだった。」

さまざまな場面で、気になり出したら次々と見えてくる。本来、潔癖症だったA型人間は、忙しいなどの理由で感覚が鈍っていたもようだ。

いけない、いけない。

何がいけないって、知らず知らずのうちに、生活空間の歪みはジワリジワリと五感を蝕んでいたのだから。五感が鈍っていると、大事な何かを見過ごして生きているのと同じだ。

とりあえず掃除をしてみる。

普段しない所まで掃除をしても、たいして汚れていない。それでもスッキリはしたけどモヤモヤ感は拭えない。

拭えなかったけど、掃除をしたからモヤモヤの原因は他にあると判明して一歩前進した。と疲れた自分を慰めてみる。

毎日の微かなイライラはなんだろう?思考は除いて、私の五感はセンサーのごとく空間を調査する。

ある日、ふとある場所が気になりだした。階段の下の押入れだ。通るたびに、視線がむく。思いきって中のものを全部引っ張り出してみた。

すると押入れの一番奥に、すっかり忘れていた食器たちが沢山いたのだ。

京都の陶磁器専門店で購入した、清水焼。その器を手に取ったときに思い出した。物にも波動があって、大切に扱うと物に助けられるんだよという話を。まあ、真偽のほどはわかりませんが・・

ただ私は、その器たちが使ってほしいといっているように感じたのだ。おかしな事をと思いつつ、もう隙間のない食器棚にどうやって納めようかとため息が出る。

暗い所から解放された清水焼さん達は、使ってもらう気満々のご様子。もう一度押し入れの中で眠っていてくださいとは言えず、ここは奮起して断捨離も兼ねての模様替えに取り組んだ。

人は、多くの時間をある空間の中で過ごしている。

その空間ごとに何かを感じとっていて、左右されていると思う。

意識的にも無意識的にも。

それは、人だけでなく、人以外の物たちの波動も大きく存在しているはず。

「大事な何か。」

それは、「感覚が心地よく働きながら生きていること」

居心地がいい、何故か仕事がはかどった、インスピレーションが起きた、前向きな気持ちになったなど

整った空間で生活することは、努力しなくても確実に質を上げてくれる大切なこと。


「好きなものが、洗練された状態で、機能して、自然な形で収まる。」

その基準は、人さまざまで、正解などない。

自分が居心地良く、ご機嫌で過ごせたらいいのだ。

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