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思わず笑った「ゆるゆる料理レシピ」

偶然、目に飛び込んできた料理レシピが、私の価値観をガラッと変えた。感心すると同時に気が軽くなったという話だ。

最近の私は、お菓子をつくることが多い。お菓子は、最初から決まった材料を揃えて、計量もキッチリとする。他にも、道具に水分がついていたらいけないとか、泡を潰さないように静かに混ぜるナドナド。決まりごともたくさんある。

私は不器用で、応用力があるタイプではないので、決められたことをコツコツするのが性に合っている。だからお菓子作りの工程は、レシピを見ながら忠実におこなっているのだ。

さて、私が偶然見たゆるゆる料理レシピとは、もちろんお菓子ではなく、レンコンとミンチ肉の照り焼きだった。(因みに、今夜のばん御飯に早速つくってみたら、とても美味しかった。)

そのレシピの記載が、「お肉は、お好きな肉で。」「塩胡椒は、入れても入れなくてもいい。」「中華アジは、お好みで。」「ミンチに入れる榎茸は、入れなくてもいいし、他の材料でもいい。」

これらの文字を読んだとき、一人声に出して笑ってしまった。

ありえない。

今まで見たことのないワードばかりだ。せめて、「ミンチは豚肉、なければ合い挽きでも可」とか。

お肉はお好みって、お菓子なら、小麦粉でも強力粉でもどちらでもって事になるのだろうか。

とにかく、ツッコミどころ満載だ。

レシピの内容は、家を建てる工程でいえば、柱が立っているだけだ。この間取り、和室なら、壁は?床は?扉は?ちょっと強引な例え、解釈かもしれないけれど、少なくとも私にはそんな風な印象をうけた。

私の本棚の半分はしめている料理本で、こんな発想の本はない。これもSNS発信だったからできる事なのかもしれない。いや、レシピとしてのあり方だから、発信の媒体は関係ないか。

だけど、これからの時代、初めに出来上がりの写真があって、次に材料が記されていて、その次は作る工程がわかりやすく説明されているというレシピ形式も崩れていくのかもしれない。

たしかに、肉じゃがだって、地域によっては牛肉派と豚肉派に分かれていて、それもある意味お好みだ。ただ、そこをわざわざ「お好みで」と記載するのは優しいようで、一見つき放したような印象もあった。

ここにも、「選択の自由」という時代の風が吹いていると感じた。

レシピにそって作る料理には、「失敗」という結果はほとんどなかった。なぜなら、大胆に「自由」とは記されていなかったから。

私にとってレシピは教科書だった。

今流行りのひらめきクイズは、昔の知識量を競うクイズ番組とは全く違うものらしい。

それと同じで、お料理も自由に発想を広げて、自分の好みを追求していこうと思う。

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