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似合わないけど身につけると決めた理由

子供の頃に着ていた服は、ほとんどが母のお手製だった。学校から帰ると、縫い物や編み物をしていた母の姿を今でも鮮明に覚えている。

高学年になって、茶系のタイトスカートを作ってくれた。いつもは、紐付きのフレアースカートが定番だったから、少し大人になった気持ちになって、嬉しさのあまり3日位毎日履いて登校した。

当然、クラスメートから「洗っているの?」と聞かれて我にかえった。毎日同じスカートを履いていく私を心配して、「今日は別の服にしたら?」と言う母の言葉なんて耳に入っていなかったのだ。そのぐらい嬉しかった。

もちろん、スカートはちゃんと夜に洗濯をしていた。スーパーのワゴン販売で、プラスチックのミニ洗濯板を買ってもらい、セッセと給食のエプロンを洗ったりする子供だった。

大人になると、ファッション雑誌に夢中になった。
「ヴァンサンカン」「ヴァンテーヌ」「ELLE」などのどちらかというとコンサバ系が好みだった。

もう一つの理由は、「CanCan」や「JJ」など、流行りのファッションが似合わなかったのだ。

似合わないと、余計に憧れる気持ちが強まり、似合わない事へのコンプレックスもあったように思う。

ファッション専門家の診断を受けて、自分の骨格、顔の形、髪や肌の質、カラー診断など、色んな角度から分析して、似合うものを教えてもらったりもした。

「自分に似合うもの」

いつのまにか、そればかり追求していた。それは、答えがあって、正解を求める作業に似ていたかもしれない。

もちろん、自分に合うと信じてきた服を着た時は、垢抜けて見える。

でも、いつしかその情熱も冷めてしまった。ファッションに興味がなくなってしまったのだ。

似合う服を探すのも疲れた。これだけ服が溢れているのに見つからない。そもそも楽しくないのだ。

もともと正解なんてなかったのかもしれない。顔の形が丸い人は、襟はこの形が似合うなどのマニュアルももういらない。いるのは、自分が着てみたいという思いと、着てみて感じる、その気持ち。

昔、アクセサリーについてファッション専門家に言われたなぁ。
あなたは顔の作りがハッキリしているから、本物でなくていい、大ぶりのものを身につけなさいと・・・

その当時から、私は繊細なデザインをさりげなく身につけている女性に憧れていた。

似合わなくていい。
似合わなくていいから、これからは好きで憧れていたものも選ぼう。

鏡に映った、小振りの淡水パールのイヤリングは、私の気持ちを華やかにしてくれた。


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