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通じ合う気持ちはコミュニケーションから始まる

近ごろ、高齢の方から話しかけられることが多い。

先日、駅の近くで友人を待っていたとき、お婆さんが可愛い服を着たダックスフンド犬に話しかけていた。

「お母ちゃんは買い物に行ったからな。大人しく待っときや。」

その話し方は、ダックスフンド犬と、少し離れた私と、両方の耳に届くような声量だった。

携帯を見ていた私は、そっと声のする方を見てみると、お婆さんと目が合った。お婆さんは、椅子タイプの手押しカートにもたれかかって、こちらを見ながら笑っていた。

「可愛いですね。」と話しかけると、「ハハハ。賢い子やねんで。」と嬉しそうに返事をされた。「お座りしとき。」と言うと、そっとお尻を下ろしてお座りをする。

凛とした表情は、考えているように見えた。

お婆ちゃんとダックスフンド犬。お互い会話を通じてコミュニケーションが確立している関係なんだと、勝手に長いつきあい故の絆の深さなるものを想像した。お婆ちゃんが、お母ちゃんと言っていた人は娘さんのことで、買い物から帰られて少しだけ言葉を交わした。

お婆ちゃんは、92歳。歯は全部自分の歯で、娘の私は総入れ歯だと、お婆ちゃん同様とにかく明るく話される。お婆ちゃんはお元気そうだが、腰が圧迫骨折しているから、しんどくなったら椅子に座って、娘さんがが推して帰るのだそうだ。

ダックスフンド君は高齢のお爺さんらしく、私の足元まで来て甘えてくる。

普段、知らない人と話すなんてあり得なかった私が、以前からの知り合いのような親しさを感じながら会話をした。

楽しくて、もう少し話していたいと思うひと時だった。


また別の日のこと。

電車の座席に座っていたら、杖をついた高齢の方たちが乗ってこられた。

席を譲ったけれど、座らずに扉のところに立っておられた。

通路を挟んで座っていたお婆さんが、それを見ていて、「親切は受けとらなあかん。受けとらん人に席を譲ることはない。あんたが座り。」と話しかけてきた。

「親切は受けとらなあかん。」

その言葉が、気になった。

席に座らなかったとしても、何のリアクションも無かったことを言われたのかもしれない。行きずりのほんの一瞬のことだけど、今の時代、忘れがちな何か大切なことを教わったように思った。


コミュニケーションはキャッチボール。

誰かがボールを投げる。そのボールを受けた人は、投げ返す。ボールは言葉だけとは限らないけど。

大切なのは、お互いの気持ちが通じあうことが前提にあるということだ。


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