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なぜか読みたくなる文章

「いいなあ、この文章」

そういう文章に出会う。

理由は何だろうか。

文のスタイル
言葉の見せ方
行間
テンポ
リズム感
情景描写
話の展開

たとえば
私は村上春樹が好きだ。
村上春樹が書く文章が好きだ。


数ある作品の中のひとつ

「使いみちのない風景」というエッセイがある。

彼が旅先で撮った写真と記憶を言葉で紡いだエッセイだ。

僕らの中に残っている幾つかの風景、
いくつかの鮮烈な風景、
でもそれらの使いみちを僕らは知らない。


使いみちのない
知らない
「ない」と言っておきながらも




たぶん僕らはそこに自分のための風景を見つけようとしているのだ。
少なくとも僕はそう思う。
そしてそれはそこでしか見ることのできない風景なのだ。
僕らにはおそらくそのような風景が必要なのだ。
どれほど使いみちがなかったとしても、
それらの風景を僕らは必要としているのだし、
それらの風景は僕らを根本的にひきつけることになるのだ。


必要なのだ
必要としているのだ
ひきつけられるのだ
「必要だ」と繰り返している。

そして、語っているのは
「僕」であるが
「僕ら」と表現することで読者をひきつけている。

「ない」のに「ある」
くりかえすことで生まれるリズム


しかし、意味が分からない表現、というのも確かにある。

それでも一度リズムにのってしまうと読んでしまう。
読めてしまうのだ。

村上春樹風に言うなれば

意味なんてないんだ。
意味なんてものはもともとないんだ。
意味なんて考えちゃいけない。
意味なんて無意味だ。

みたいな感じだろうか。

まるで歌詞みたいだ。

そういえば
彼のデビュー作は「風の歌を聴け」だ。

歌うように
リズミカルに
メロディをかなでるような文章

それが村上春樹の書く文章であり
読みたくなる理由のひとつなのだろう。




なんの変哲もない



けれども 意味がある風景



きっと なにか 
心をかきたてられたなにかが
あったはず

そんな思いで
今日も
写真を撮っている               そんな思いで                 今日も 
写真を見ている

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