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会いたい人がいて、待っている人がいる

「お墓参り、行きたいと思っているの。
お葬式には…行けないから。」

その夜、友人YちゃんはTさんの隣にいた。
正確に言えば、隣で寝ていた。
ふと目を覚ました時、
Tさんはいびきをかいていた。

おかしいな、いつもいびきなんてかかないのに…
疲れているのかな…

再び寝ようとするも、いびきが気になって眠れない。
いびきだと思っていた。
でもそれはただのいびきではなかった。

声をかけるが返答はない。

いびき…じゃない…
呼吸が…おかしい。

そう気づくまでにはさほど時間は要さなかった。

当時20歳、看護を学ぶ学生としてその予感は正しかった。

救急車、今すぐに!

…いや…呼べない…

パニックになりながらも、Tさんの友人Sさんへ電話をする。

「あなたは今すぐに立ち去らなければならない。
わたしがこれから向かう。わたしが到着したら
救急車を呼ぶ。いいかい、落ち着いて。それまで彼のそばにいて。」

Sさんが到着、救急車を待つ間、どのくらいの時間だっただろうか。

「あなたの存在は知られてはならない。わかるね。ここから先は私にまかせて。また連絡する。」

その後、YちゃんとTさんが再会することはなかった。

Tさんの死因はくも膜下出血だった。


Tさんは単身赴任中。
歳の差は30歳以上。
YちゃんとTさんは公にはできない関係だった。
その関係を「文化だ」とする発言もあったが、
いいかわるいか、で言えばよくないこと、ではある。
肯定はできないが、その発言以前からそうした関係は存在していたことは事実である。
だから、私がYちゃんとTさんの関係を知った時、
肯定も否定も出来ない複雑な心境であったことは記憶している。
自分にとっては文化、とは言えず、
異文化、こういう世界もある、事実として存在する、
そう理解しようとしていた。


その関係が永遠には続かない事は最初からわかっていたことだが、
こんなかたちで終わるとも思っていなかった。

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「お墓参り、行きたいと思っているの。
お葬式には…行けないから。」


数年後、
あの時のYちゃんの言葉を思い出したのは、Uさんが亡くなった時だ。

「冗談、ではなく本当の話」のUさん

Uさんの最期に立ち会えなかった自分と
Tさんの最期に立ち会えなかったYちゃんが重なる。

Uさんが亡くなった時、私はお墓参りに行きたいと思った。
Uさんに会いたかったから。
Uさんと話がしたかったから。

いつしか時は流れたが、
その思いが消えたかと言えば、消えてはいない。


遠くのものを美しく感じるのは
思い出は美化されてゆくものだから、だろうか。

失いたくないものは
時とともにどんどん美化されてゆくのだろうか。

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助産師になったYちゃん
大学時代の友人の弟と結婚し、数年後、お母さんになった。

久しく連絡をとっていない。

Yちゃん
出会いって不思議だね。
出会いがあれば別れもあるけど、
出会えなかったはずの景色に出会えることもある。

失うことは苦しい、だけど
何かを失っても
何かを得るようにできているんだね。

また会いたいね。

帰省はできない今だけど、
亡くなった人たちは帰って来てもいいよね。

会いたい人がいて
待っている人がいる


2021年、夏 コロナ禍のお盆に思う。

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