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プレゼントにおけるセンスと人柄の話

以前、はてな匿名ダイアリーで話題になった「ピカチュウの婚約指輪をプレゼントしたら婚約者に泣かれた」という話。第三者からみていてもしんどいけど、他人事でもないなと思ったので、贈り物についての話をしたいと思う。

わたしは、贈り物を介して相手からの気持ちがよくわかってしまう。例えば両親からの旅行のお土産や、食べ物の仕送り。「どうしてこれを?」と思うくらい、不思議なもの、使い勝手の悪いものが送られてくる。たとえば謎のキーホルダー。突然のナイフ。渋めの柄のハンカチ。正直いって、27年間一緒に暮らしたことがあるとは思えない。子どもの好みやツボをわかっていない感じが伝わってくる。

ほかには、中学校時代のクラスメイトがくれた、キャンドル。当時ヴィレッジヴァンガードとかが流行っていたから、きっとそこで買ってきてくれた香りのするキャンドルと、鳥籠のようなキャンドルケース。女子の間では「入浴剤とか、香りの良いもの」を送れば無難という空気がかつてあったので(いまも多少あるだろう)、渡すものが浮かばなくて多少困ったのかな、という印象だった。でも問題はそこじゃなくて、キャンドルのサイズが大きくてケースには入らなかったこと。些細なことだけど、そこまで考えてはなかったんだなと。クラスメイトにおけるわたしの価値が見え透いていたようにも思ってしまった。

いっぽうで、私の戦友。大学時代から同じような業界を志し、切磋琢磨している友人はずいぶん鋭い観察眼をもっている。「飲むと原稿が進むお茶」という名のお茶をお土産にいただいたのはとても嬉しかった。「これ絶対好きでしょう」と渡された、北海道銘菓「白い恋人」のリアルなマグネットにも感動した。

また、元職場の先輩。わたしの変な趣味を理解していて、それに合ったプレゼントを贈ってくれる。「オホーツク流氷カリー」というルーが真っ青なレトルトカレーや、土偶のワッペンがほどこされたエプロン。面白いものをたくさん知っているので、私もその人に合う面白いものをお返しするようにしている。

いずれも、人にいただいたものであるから、自分の感想はおいといても、感謝の気持ちはきちんと伝えることは忘れない。わたしは過去の恋人に「プレゼントをしたのに喜んでくれなかったよね」と言われたことがあり(わたしとしては喜んでいたのだけれど)、それ以来、プレゼントをもらうとオーバーに喜ぶようになってしまった。

わたしはお土産とか、お礼とか、他人に贈り物をするときは、相手の好きそうなものを選びつつ、自分の遊び心も感じさせるものにしている。

どちらかの思いが強すぎると、無難すぎたり、個性が強すぎるイヤゲモノ、相手がもう持っているものになりがちだからだ。

とまあここまで偉そうに書いてきたけど、私の贈ったプレゼントが喜ばれていないな、と思うこともあったし、なかなか難しいものだと思う。人の気持ちを汲み取れて、面白さのツボをくすぐるような人になりたい。

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