#13 いただきます
人間は食事をする。
食事をしなければ生きていけない。
当たり前のことである。
では、あなたの前に置かれている料理はどうだろう?
果たして当たり前なのであろうか。
それはもしかしたら様々な巡り合わせや困難を乗り越えて回ってきた奇跡の産物なのかもしれない。
ある日の私の休日の昼食はお弁当だった。
それは、母が買い物帰りに
「お気に入りのお弁当屋がある」
と、お弁当よりも手料理を食べたいと思っていた私のわがままを蹴散らすように買ってきたお弁当だった。
「まぁええか」
そう思いながら袋から取り出すと、私の予想に反してとても美味しそうなお弁当が私の目に飛び込んできた。
私の中でのお弁当は「日の丸弁当」みたいなやつがベーシックなイメージなのだ。
だが、そのお弁当は季節の野菜を取り入れながら華やかに飾られるそれぞれの食材と料理が一つの芸術品であるかのようだった。
(そんな私の美術の成績はずっと3でした)
母がそんな私の真意を表情から読み取って満足気にしていた。
だが、何ともひねくれてしまっている私を簡単に唸らせることはできない。
私は見た目が素晴らしいものに不信感を抱く。
(これは知る人ぞ知る私の哲学)
だが、なんと言ってもこれは料理だ。
食べてみて初めて本当の素晴らしさがわかる。
正直見た目なんて二の次だ。
女性も見た目ではなく中身だと思うし…
(女性読者の好感度、)
「いただきます」
私は迷いなく野菜ゾーンから手をつけた。
私は健康志向なのだ。
そして、驚いた。
本来のお弁当は密閉されているからなのか、真意は分からないが、野菜が死んでいる。
だが、このお弁当の野菜は確かに生きていた。
歯から伝わる感触でお弁当の野菜の「生」を感じたのは初めての経験だった。
私はイラついた。
こんなことがあるわけがない。
こんな見た目ばっか着飾ったお弁当が美味しいなんて…
私の信じてきた哲学がこんなところでひっくり返されてたまるか。
藁にもすがる思いでメインゾーンへと箸を進めた。
メインはハンバーグだった。
私は24年の人生の中で数え切れないほどのハンバーグを口にしてきた。
食した分母が多い分、指折りではあるが素晴らしい輝きを放つハンバーグに出会うこともできた。
私は心の中でハンバーグにそっと語りかけた。
「残念だ…君では私を唸らせることは不可能だよ。このお弁当のメインとして自らの存在を恥じながら私の胃の中に沈め。」
そして、ハンバーグを口内へと運んだ次の瞬間…
気付けば私はお弁当を完食していた。
「ご馳走さまでした」
そっと呟いたが、心から出ていたと思う。
すると母が語り出した。
聞けばこのお店は、母が勤める病院の患者さんBさんがやっているお店だという。
Bさんは夫と2人のまだ幼い子供がいながら大病に侵されていた。
治すにはイギリスへと向かい、最先端の器具と技術を用いる手術を行う必要があった。
しかし、既にBさんは長いフライトに耐えることのできない体になってしまっていたのだ。
Bさんはある日医者に問うた。
「私は手術を受けられる体ではないですよね?」
Bさんは全てを受け入れ、余生を充実させる選択をした。
まだ幼い我が子の大きくなった姿は見られない…
しかし、どんな時でも前向きに生きたという自らの「生き方」は残せるのではないか…
そう考えたBさんは、命の尽きるその瞬間まで大好きな料理を作り続けたのだ。
生き方は死後も生き続けると信じて…
そのお弁当は、
「コロナ禍でも食べられるように」
と、亡くなる直前に旦那さんに無理を言って頼んだというBさんの想いが形を変えたものらしい。
私の前に当たり前かのように出てきたのは、色んな人の、想いの、命の、奇跡の紡いだ結晶だったのだ。
忘れてはいけない。
当たり前なはずはない。
私達は生きている。
数々の命が土台となる奇跡の上に。
感謝して生きよう。
そう思ったある日のお昼だった。
私達日本人の誇れる文化。
いただきます
大切にしていきたい。
P.S.知る人ぞ知る私のいただきますの儀式を真似したくなるエピソードですね。「生命よ大地よすべての命に感謝していただきます」
#海外 #日記 #サッカー #好きな女性のタイプは1人ご飯でもいただきますって言っちゃう系ですって言っちゃいたいくらい 、あれは素敵だと思いませんか?
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