見出し画像

#14 KJR物語 ~origin~



私は冬が好きだ。



寒くて中々出られない早朝の布団。

伴って遅れてしまう出発。

チャリ通で頬を赤らめて来る友人。

とりあえず「寒いね」から始まる会話。

息が形になる。

そして儚く消えていく。

どこか切ない気持ちにさせる。

そんな冬が私はとてつもなく好きだ。


四季折々の日本の中で過ごしやすい春と秋はなんですぐに過ぎ去るのだろうか。

過酷な状況は長い。

この世の性なのだろう。

私はその極端さが好きだ。




第五話 群雄割拠




70。

体重計は頭を抱えるには十分な程に高い数値を示していた。

そう。デブだ。正真正銘のデブ。
誰がなんと言おうとデブ。
たぶん富岡義勇が私を見たら、笑止千万!!
怒鳴られるだろう。
笑止千万のデブだ。
それが、入学当初の蛙だった。


中学最後の大会を9月初旬で終えた蛙は、減ってしまった練習量とは反比例する食事摂取量の止まることを知らない勢いに圧倒されていた。

15時のおやつにUFO焼きそばを平らげ、変わらず夕ご飯を頬張った。
よく親も食わせたな。
(食わせたい奴には食わせるのが親の仕事)


見るに堪えないほどに体積を増やした蛙はスタートダッシュに遅れをとった。


推薦で入学した9人のメンバーのうち、蛙だけがCチーム(1番下のカテゴリー)から高校サッカーをスタートさせた。

一応蛙の入学した代は、県内屈指の強者を集めておりまさに群雄割拠の状態であった。
であるのに関わらず、スタートダッシュに遅れた蛙を群雄割拠ならではの皮肉という洗礼が待っていた。

周りと比べると知名度の低かった蛙は、入学当初周りから揶揄されていた。蛙の中学に所属したチームから毎年1人が推薦で入学していたことから「それ」だと。コネ入学だと。

そうして、私の人生の中でも指折りの面白さを持つ友人S君はレスラーと私にあだ名を付け、蛙はレスラーとして高校生活を始めることとなった。

3ヶ月程して蛙の立ち位置はAチーム(TOPチーム)の一つ下のカテゴリーにあたるB1チームに昇格していた。
体重も64kgまで減っていた。
(ただ練習がキツくて痩せただけ)
当時Aチームには1年生が3人ほどしかいなかったので、まぁまぁの位置には上がって上々の時期にサッカー人生を変える出来事が訪れる。


体調不良で1週間ぶりに学校に訪れたある日の昼休憩。
キーンコーンカーンコーン。
校内放送が学校中に響き渡る。
「1年1ホーム(ホームは組のこと)梶原。至急体育研究室まで。」
ガチャン。

「はぁ?」
体育系の部活に所属していた人は共感できるかもしれないが、体育研究室(体育の先生専用の職員室)に呼び出されることは説教されることを示していた。しかも、色んな生徒が体育研究室を訪ねてくる昼休みは、まるで戦国時代に敵大将の首を落とす見せしめかのような死刑台と化す。

「お前何したんな?」
囃し立てる周りの声は蛙には全く聞こえていない。身に覚えが無さすぎて。彼は必死に記憶の棚から思い当たる節を探した。だが、あの死刑台に登らせる義理は見つからなかった。


鉛の如く重くなった脚を引きずりながらたどり着いた体育研究室。

コンコン(今思えばトイレノックやん)
「失礼します!1年1ホーム1番梶原亮です!F先生に用があって参りました!」
まるで囚人かの如く、自らの自己紹介と目的をとてつもない声で張り上げらされる体育会系特有の文化に疑問を抱いたとほぼ同時に、F先生が言い放った。

「今日吉田に行ってもらうから」

「吉田?」

吉田というのはJリーグに所属するサンフレッチェ広島の専用練習施設がある地名であり、そのユースチーム(高校年代)が練習している場所でもあった。

「今日明日は国体の選考でサンフレユースの中に入って試合してもらうから」

「はい。わかりました。」
思いとは裏腹にちゃんと返事をするのが人間なのだとこの時知った。

国体(国民体育大会)とは日本の高校生の全国大会の一つでる。いくつもの競技があり、サッカーの部は特殊で、16歳以下を対象とし、広島県の全高校生からスーパーエリート16人が選ばれ、参加するという大会である。

当時国体の選考は大分進んでいて、基本中学3年の終わりから始まるこの選考に私は怪我で参加することができなかったのだ。

すると、F先生が「見るだけ見てくれ」と当時サンフレユースの全盛期の監督に掛け合ってくれ、2日連続で選考してもらうことになったのだ。

とても有難い反面、普通1週間寝込んでいた次の日に行かすか?と思ったが、スケジュール上仕方がなかったのだろう。まぁサンフレユースのスーパーエリートと同じチームで試合出来るだけでラッキーとしよう。そんな風に思考変換して吉田に向かった。


到着して直ぐに監督と話をした。
怪我をしていたこと、病み上がりだということは言えなかったが、笑顔が素敵で優しい人だったので何となくやりやすそうだなと思った。


初日の試合相手は県内屈指のライバル校であるS高校のトップチームが相手だった。
相手は明らかに自分の実力では格上だったが、同じチームとなるサンフレユースはそれを超えるスター揃いだったからか、

なんか気づいたら2点取ってた。

持ってるなーと思いながら次の日も試合をして、

また点取った。

正直持ってるなーと思った。
(完全に周りのおかげと運がいいだけ)

こうして奇跡的に県内のスーパーエリート選抜に滑り込んだ。


また更なるレベルの群雄割拠で揉まれつつ、全国大会ベスト16までスタメンとして全ての試合に出場した。

群雄割拠というのは力を伸ばすのに最適な場だ。これまで常に群雄割拠の場所に飛び込んで来たからこそ、凡人の私が運良く力をつけてこれたと感じた高校1年生だった。

しかし、夏前くらいから昇格したAチームでは中々試合に出場することができず、チームもインターハイと選手権の出場を逃し、酸いと甘いを経験して高校1年は幕を閉じた。

そして、2年の春。
文字通り春が訪れた。

彼女という異種生命体との交流が始まり、蛙は青春という名の嗜好を満たし始めた。


2年生はサッカーにおいてもスタメンとして 1年間プレーし、ピッチ内外共にうまく回っていた。2年が1番楽しい理論を私も推奨するのはこの時の経験が大きいと思う。

まぁそれ以外にも本当に沢山のエピソードがあるが、割愛しなければnote3回分に至るのでこの辺にしておこう。


こうして、蛙は激動の3年生へと移っていくのであった…


TO BE CONTINUED




P.S.高校1年時は度重なるやらかしで一年中坊主頭でした。もし同じ学校に野球部がいたらたぶん野球部に部活変えてたと思います。


#海外 #日記 #サッカー #放送で校内中に名前呼ばれる優越感はきっと男子高校生あるある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?