#9 KJR物語 ~Origin~
いつも大事なことは振り返って気づく。
その瞬間には気づけない。
だが、振り返って遅れて気づくことにもきっと意味がある。
まだ間に合う。
そう思えればそれでいい。
今回からKJR物語~Origin~を連載します。
打ち切りもあり得ます。
全ては読者次第ですね。笑
1話 井の中の蛙大海を知らず
「ああ。今日もか。」
灼熱の太陽の元、今日も親父の背中の後ろをついていく。
片手にはサッカーボール。
物心ついた時には親父の草サッカーの試合と練習に連いて行くのが当たり前の日常だった。
「どうしてサッカーを始めたのか?」
という質問があれば私はこう答える。
「彼の方から歩み寄ってきたのだ」
気づいた時にはボールを蹴っていた。
誰に言われるまでもなく、サッカーを始めていた。
ボールを蹴る事は私にとって息を吸うように当たり前の事だった。
親父は身長は高いがド下手だった。
いつも負けては試合後に
「攻撃陣が使えないんだ」と言い訳をするのがDF(主に守備をする)である親父の口癖だった。
母親譲りの負けず嫌いを生まれながらに特殊スキルとして身につける私は、親父の醜態をいつもピッチ外から親父の友達とヤジっていた。
親父の草サッカーチームではもはや名物だった。
私は試合後に帰路につく親父の車の中とたくさん汗をかいた後のアクエリアスがお気に入りだった。
文句とは裏腹に親父の運転が丁寧だったからか、私は仕事柄どでかい親父の車の後部座席に横たわり、窓から流れる空をひたすら眺めるのが堪らなく好きだったのを覚えている。
小学生になると、そんな親父が指導する地元のサッカーチームに入った。
小学生の時は攻撃的ポジションであるFWが、私の主戦場だった。
前の方で突っ立って、
「ボール来ねぇな。使えねぇ守備陣だ。」と負けるたびに親父さながらのダサい言い訳をしていた。
あまり人がいないチームで2年生から6年生の試合に出ていたのもあって、王様のようにプレーしていた。
だが、いつも大会では最下位争いだった。
典型的な井の中の蛙大海を知らずである。
しかし、そんな私に転機が訪れる。
所属するチームが地元の他のチームと合併することになったのだ。
仲の良いチームメイトはほとんどそのチームに入った。
だが、私は親父がコーチとなるそのチームではなく、地元で一番の強豪チームの体験練習に母親の勧めで向かった。
「どうせやるなら上を目指す方がいい」
それが母の教えだった。
そして、井の中の蛙は大海を知る。
ナショナルトレセン(全国から優秀な選手が集められて練習や試合を行うスーパーエリート)に選ばれるような選手を毎年のように輩出していたこのチームの凄さに衝撃を受けた。
全ての一対一の練習で負けた。
10週走では2週遅れにされた。
私は子供のように扱われた。
次元が違うのだ。
まず、みんな靴底に鋭い突起がついたスパイクなるものを履いていた。
スパイクシューズは大人専用の物と思っていた私はと言うもの、トレーニングシューズ(トレシュー)と言われる靴底に鋭い突起がついていないタイプのものを履いていたのだ。
だが、この頃から私の負けず嫌いは顔を覗かせていた。
ボコボコにされて帰った家の玄関で母が
「どうだった?」
と尋ねてきた。
私の心は決まっていた。
「このチームでサッカーがしたい」
私より全員が上手い。
この状況は私にとって新鮮で魅力的だった。
スパイク信仰集団をトレシューで蹂躙してやると私の心の炎はメラメラと燃えていたのだ。
母親譲りの負けず嫌いという武器だけを腰に携えた蛙は、井戸を出て一回り大きくなった大海へと飛び出したのだ。
蛙11歳の春である。
入団したチームは地元でも昔から有名な強豪であり、蛙の入団当初の立ち位置は勿論ベンチメンバーだった。
蛙と同じチームでプレーしていた兄貴分のYも蛙がこのチームに決めたことにより同じく入団を決めた。
当時の監督は足がとにかく速いYの入団を熱望していた。
足も速くないし、身長も大きくない、上手くもない蛙はおまけ程度にしか思われていなかった。
その態度に腹を立てた母はあんなチーム行かなくていいと言っていたが、監督含む全員を驚かせる自信があった蛙はとりあえず母をなだめることにした。
練習であんなにボコボコにされたのにも関わらず、試合になればやれるという謎の自信が蛙にはあった。
未だに大海を井戸と勘違いしていたのだ。
迎えた初めての大会。
どんな風にスパイク信仰集団を黙らせてやろうかと目論む蛙は心躍らせていた。
この日に合わせて買ってもらった真新しいスパイクをしっかりと履いて。
だが、与えられた出場時間はわずか5分だった。
1日3試合、120分の中でたったの5分。
さすがの蛙もいきなりの塩水は塩辛かった。
ピッチの中でほぼ溺れていたと思う。
井戸水の心地よさを改めて感じたのだ。
井戸に戻りたい…
そう思いながら肩を落として帰路についた。
さすがに落ち込んで帰った玄関で、母が待ってましたとばかりに問う。
「どうだった?」
蛙は悔しさのあまりわんわん泣き出した。
心では「もう行きたくない」と叫びながら…
どうしたものかと思った母がふと目を落とすと、新品同然のままのスパイクが形が変わりそうなほどに力強く握られていた。
今日という日が蛙にとってどうだったのか大方予想がついた母は、そんな蛙にそっと声をかけた。
「無理してそのチームでやる必要はないよ。あなたがやりたいところでサッカーをやりなさい。でも、自分で決めなさい。」
やはり母親と言うのはすごい。
子供の事をよく分かっている。
「ここでやる。見ててよ。必ずレギュラーとるから。」
と言いながら蛙が顔を上げて答えると、優しく微笑んで蛙を見る母と目があった。
まるでなんと蛙が答えるか最初から分かっているかのようだった。
今思うと私の持っていた唯一の武器は母親譲りだった。
きっとこの妥協を匂わせる言葉に歯向かうように奮い立ち、「やってやる!」と言い切るのを分かっていたのだろう。
だが、今この話をしても「そんなこと言ったっけ?」と何も覚えてないところが母の良いところだ。
この11年間で蛙史上初の挫折。
からのスピード復活。
蛙は涙で塩辛くなったご飯を頬張りながら大海で生きていく覚悟を決めたのだった。
TO BE CONTINUED
P.S.日本に帰国した途端に花粉症がすごい。
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