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『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』村上春樹 「これ以上の文章を僕は知らない」と、力強く

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語る、という設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に本を語れます。 文学を上手く使ってカッコよく生きてください。

『雑文集』-「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」 村上春樹

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【村上春樹の作品を語る上でのポイント】

①「春樹」と呼ぶ

②最近の長編作品を批判する

③自分を主人公へ寄せる

の3点です。

①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「春樹」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関して、村上作品は初期は比較的短編が多く、いわゆるハルキストの中には、一定数短編至上主義者が存在します。そこに乗るとかっこいいです。

③作品に共通して、主人公は「聡明でお洒落で達観しててどこか憂鬱で、女にモテる」という特徴を持っています。その主人公に自分がどことなく似ていると認めさせることで、かっこいい人間であることと同義になります。


○以下会話

■僕は牡蠣フライの文章を死ぬまで覚えているだろう

 「生涯忘れないだろうなって思う文章ってある?僕は、村上春樹が牡蠣フライについて書いた文章をきっと死ぬまで覚えてると思う。

「牡蠣フライについて書いた文章」は、村上春樹が倫理学者の本の解説文として書いた『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』って文章の一部分のことなんだ。今は『雑文集』という、村上春樹のスピーチの原稿とか寄稿文がまとめられた本で読めるよ。

大学1年生の時に雑誌の記事でこの文章を読んで、ズビーーンと心を射抜かれてしまったんだ。めちゃくちゃ感動して、一刻も早く誰かにこの文章の存在を知らせたくて、あてもなく夜中に一人暮らしのアパートを飛び出したくらいの衝撃だった。

この牡蠣フライについての文章を読んで以来、牡蠣フライが好きな食べ物ランキング圏外から急上昇1位に躍り出て、彼女を連れて都内の牡蠣フライ屋さんに駆け込んだよ。

■原稿用紙四枚で自分自身について説明する方法

牡蠣フライについての文章は、村上春樹がファンから一枚の手紙を受け取ったことがきっかけで書かれるんだ。「先日就職試験で、『原稿用紙4枚で自分自身について説明しろ』という課題を出され困ってしまいました。どう考えても原稿用紙4枚で自分のことを書ける気がしません。プロの作家である村上さんならこの課題を簡単に出来るのでしょうか?」という内容の手紙なんだ。

この手紙に対して村上春樹が、「確かに作家でも原稿用紙4枚に自分自身について書くのは難しいですね。だけど、牡蠣フライについてなら原稿用紙4枚で書ける気がします。実際に書いてみますね。」って返答するんだ。

、、、は?って感じだよね。大きなクエスチョンマークが頭に浮かぶよ。なぜ急にカキフライが出てきたの?って。

ここで村上春樹が言いたいことは、牡蠣フライとかある特定のモノについて書くことで、自分とそのモノについての関係や距離感が表現されて、つまりそれは自分についてを書いていることになるってことなんだ。

無理に直接自分を語ろうとすると上手くいかないけど、自分の好きなもの、嫌いなもの、食べたものを何か一つ語れば、その語ったものとの関係性から自然と自分の人となりが伝わるよって言いたいんだ。

例えば、自己紹介で「山田花子、女子大卒、身長158cm、体重42kg、B型、趣味はカラオケ・・・」とか羅列するより、「昨日の夜は一人で王将に行って餃子2人前と生ビールで晩酌しました。王将の餃子は他チェーン店と比べて皮がモッチリしてて、歯触りが心地よいです。」って言った方が王将を通して彼女の人となりが伝わるよねってことなんだ。

言ってること分からなくもないけど、正直僕はこの「自己と物事の距離感の話」はどうでも良いんだ。ここから切り離して単に「牡蠣フライについて書いた文章」として、「おいしい牡蠣フライの食べ方」に惚れちゃったんだよ。

■「おいしい牡蠣フライの食べ方」の3つの魅力

本当は「おいしい牡蠣フライの食べ方」の全文、原稿用紙4枚、1,600字の文章を、そっくりそのまま伝えたいんだけど、ややこしいからよしといて、この文章で僕が良いと思ってるところを3つあげるね。

まず1点目は、味覚。僕は生まれて初めて文章を読んで味覚を感じたんだよ。今まで文章読んでて味覚を感じた経験ある?無いでしょ。まず意識もしないでしょ。「おいしい牡蠣フライの食べ方」を読んだ時の感想が「おいしそう」じゃなくて「おいしい!」なんだよ。

村上春樹の小説にはサンドイッチとか、パスタとか食べ物がたくさんでてくるんだ。だけど小説の中の食べ物は、あくまでストーリーを意味づけする「記号」にすぎなくて、おいしそうではあるんだけど、それが主題では無いんだよね。でもこの「おいしい牡蠣フライの食べ方」は、まさに「おいしい牡蠣フライ」が主題だから、それはまあ上手に書いてるんだ。特に牡蠣フライを口に入れるシーンがものすごく良いんだよ。

僕の皿の上で、牡蠣フライの衣はまだしゅうしゅうと音を立てている。小さいけれど素敵な音だ。<中略>僕はそれを静かに口に運ぶ。ころもと牡蠣が僕の口の中に入る。かりっとした衣の歯触りと、やわからな牡蠣の歯触りが、共存すべきテクスチャーとして同時的に感知される。微妙に入り交じった香りが、僕の口の中に祝福のように広がる。僕は今幸福であると感じる。

どう?半端ないでしょ。どうして味覚を感じたのかなって考えると、おそらく嗅覚の描写があるからなんだ。僕らの舌で感じられる味覚は、甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の5種類だけで、普段舌の味覚と同時に鼻の嗅覚を働かせて食べ物を味わっているらしいんだ。確かに鼻をつまんでピーマン食べたりするよね。だから嗅覚が味覚に大きな働きをしているんだ。

この『おいしい牡蠣フライの食べ方』では、牡蠣を食べる描写を「微妙に入り混じった香り」が「口の中に祝福のように広がる」って書くことで、牡蠣の香りがふわっと喉から鼻に抜けていく感覚を表現しているんだよ。そして僕らは、牡蠣を食べた時鼻に特有の強い香りが抜けていく経験をしているから、その経験とマッチして、この文章を読むと牡蠣フライの味覚を意識するんだと思うんだ。

2点目は、絵力。この「おいしい牡蠣フライの食べ方」はね、文章じゃなくて、もう絵なんだよ。褒め言葉になってるのか分からないけど、文章力じゃなくてもはや絵力。お店に入った瞬間、いやその門構えから僕の頭の中には村上画伯によって絵が描かれているんだよ。カウンター席の目の前に料理人がいて、今揚がったばかりの牡蠣フライが付け合わせの新鮮で甘いキャベツと一緒に出てきて、それを口に頬張る。村上春樹が描いた絵がリアルに浮かぶんだよね。

最後3点目は、牡蠣フライ。牡蠣フライという料理の完成度の高さが、この文章を底支えしてると思う。もし牡蠣フライじゃなくて、アメリカンドックだったら、カリフォルニアロールだったら、つみれ汁だったら、こんなにも僕の心を打たなかった気がするんだよ。牡蠣フライの熱々でサクッとした衣と、風味豊かな牡蠣と、シャキシャキのキャペツ。それぞれ良い素材が揃ってるから、「料理人」村上春樹によって最高に料理されて、僕の口まで運ばれたんだ。

こんな感じで僕の心は鷲掴みされて、多分50回は再読して、10回は写経して、3品は僕の好きな食べ物バージョンを書いたよ。

とにかく、この「おいしい牡蠣フライの食べ方」は僕が知る限り、この世で最も美しい1,600字なんだ。」



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