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『藪の中』芥川龍之介 「面白いのかつまらないのか分からない」と、不安げに

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『藪の中』芥川龍之介

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【芥川龍之介を語る上でのポイント】

①『芥川』と呼ぶ

②芥川賞と直木賞の違いを語る

③完璧な文章だと賞賛する

の3点です。

①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「芥川」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関しては、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学に贈られる賞です。それ以上はよくわかりません。

③に関しては、芥川はその性格上完璧を求めるが故に短編が多いです。僕個人短くて凝ってる文章が好きなので、まさに芥川の文章は僕の理想です。


○以下会話例

■論文の数、おそらく一番多い小説

 「真実は藪の中って言葉あるでしょ。証言が食い違って真実が明らかにならない状態。これは、芥川龍之介の小説『藪の中』が元になってできた言葉なんだ。

『藪の中』は、平安時代に藪の中で見つかった一人の男の死体をめぐって、7人の目撃者と当事者が証言をしていく小説なんだ。だけどこの証言がそれぞれ微妙に食い違っていて、注意深く読んでも、自殺なのか他殺なのか犯人が誰なのか全然分からないんだよ。そして結局犯人を明かさずに終わってしまうんだ。

これまでにたくさんの人が、「『藪の中』の真相を暴いてやる」という意気込みでこの小説を研究して数々の論文を出しているんだけど、未だに「真犯人」は出てこないんだ。おそらく芥川龍之介の作品を扱った論文は『藪の中』が一番多いんじゃないかな。

■噛み合わない七つの証言

ストーリーは、7人の証言者の語りで展開されていくんだ。証言者はそれぞれ、①きこり、②旅法師(旅をする僧)、③犯人を捕まえた男、④殺された男の妻の母親、⑤犯人を自白する多襄丸(たじょうまる)という盗人、⑥殺された男の妻、⑦殺された男を口寄せたイタコの7人。

事件で分かっていることは、藪の中である夫婦と盗人の多襄丸が出会って、夫が死んで、妻が行方不明になり、多襄丸が捕まっているという4点。

①から④は目撃者としての証言、⑤から⑦は当事者としての証言なんだ。

①まずは、第一発見者のきこりの証言。「左様でございます。あの死骸を見つけたのは、私に違いございません」と言って、藪の中で胸元から血を出して仰向けに死んでる男を見つけたことを証言するんだ。そして、死体の側に縄と櫛(くし)が落ちていたと言うんだ。

②次に、旅法師。事件の前日に、馬に乗った夫婦とすれ違ったことを証言するんだよ。夫が刀と弓矢を持っていた、とも言うんだ。

③3人目は多襄丸を捕まえた男。多襄丸が、夫の物と思われる刀と弓矢を持っていて、近くに夫婦が乗っていた馬もいたと証言するんだ。

④4人目は妻の母親。殺された夫が金沢武弘という26歳の侍で、妻は真砂という19歳の娘だと証言するんだ。その娘は現在行方が分からないと泣きながら言うんだよ。

⑤そして次は多襄丸。男を殺したと自白しているんだ。多襄丸は藪の中で夫婦にすれ違った時に、妻に一眼惚れしたんだ。そして「宝があそこに埋まってる」と言って夫を茂みに呼び寄せて、一本杉の根元に縄でくくりつけて、その間に妻を強姦したんだ。

ことが済んだから逃げようとすると、妻に「2人の男に恥を見られたのは死ぬよりも辛い。2人の内生き残った方についていく」と言われたんだ。多襄丸はメラメラと興奮してきて、夫に決闘を申し込んで、見事夫の胸に刀を突き刺したんだ。

だけど肝心の妻は、決闘している時に逃げたのか、もう周りには見当たらなかったと、証言するんだよ。

⑥次に妻の真砂の証言。彼女は清水寺で懺悔をしているんだ。彼女が言うには、多襄丸に強姦された後気絶してしまい、気づいた時には多襄丸は消えていたんだ。そしてあまりの恥に、「夫と二人で死のう」と思い、足元に落ちていた小刀で夫を殺し、夫が縛られてる縄を切って、自分も死のうとしたけど結局生きながらえてしまい、途方に暮れて清水寺まで来たと告白するんだ。

⑦最後は、殺された夫本人、を口寄せしたイタコの証言。妻を犯した後、多襄丸が妻に向かって「俺の妻になれ」と言うと、妻はうっとりした顔で「ではどこへでも連れて行ってください」と承諾して、しまいには「あの人(夫)を殺してください」と言ったと、証言するんだ。

妻と多襄丸がいなくなると、自分で落ちていた小刀を手にとって胸に突き刺して、意識を失う直前に誰かが来て胸の小刀を抜いていった、と言うんだ。

これで7人の証言は終わりで、『藪の中』の小説自体も終わり。夫は自殺したのか、多襄丸が殺したのか、妻が殺したのか、真相は明かされずに終わっちゃうんだ。

■『藪の中』の不思議な魅力

中学2年で初めてこの小説を読んだ時、「犯人が分からない構成になってる」とは知らなかったから、内容が全然理解できなくてすごい戸惑ったんだよね。それで高校生になって、犯人が明かされていないことを知って、改めて読んでみると、やっぱり犯人がわからなかったんだ。そして大学一年生になって、また読んでみても、とうとう犯人がわからなかったんだ。

それで初めてあることに気がついたんだ。それは「この小説、面白くない」ということなんだ。いや、「面白くない」と言い切ったら語弊があるな。芥川龍之介は素晴らしい作家だと思うし、僕もたくさん好きな作品があるけど、この『藪の中』に関しては、他の作品と比べてさほど面白いと思えなかったんだ。

だけど不思議なことに、大学一年で「面白くないな」って気づいてからも、何度も読み直してしまうんだ。ストーリーは『トロッコ』の方が高鳴るし、情景は『蜜柑』の方が美しいし、登場人物は『羅生門』の方が魅力的。でもなぜか『藪の中』をまた読んでる自分がいるんだ。

なぜ何度も読んでしまうか考えると、『藪の中』のストーリーが「文系のための推論問題」のようになってるからだとわかったんだ。

『藪の中』は、一人の男の死体について、4人の目撃者と、犯人(と自白する)多襄丸、男の妻、男(を口寄せしたイタコ)の3人の計7人の証言があって、一見いわゆる「推論問題」のように見えるんだ。

「推論問題」は、与えられた情報から答えを導くような問題のこと。
例えば、A,B,Cの3人が同じ3階建てのアパートに住んでいて、
①Aの部屋はCの部屋より上の階にある。
②Bは最上階に住んでいる。
③3人とも別の階に住んでいる。
という3つの情報から3人の住んでいる階を当てる、といった問題。

①からAがCの上に住んでることが分かって、②からBが3階に住んでいてAが3階か2階、Cが2階か1階に住んでることが分かって、③からBとAが違う階に住んでることが分かって、最終的に答えがBが3階、Aが2階、Cが1階に住んでる、となるんだ。

『藪の中』もこの推論問題と一緒なんだ。7人の証言が①〜⑦のようになって、7つの情報から男の犯人を当てる、といった問題に読めるんだよね。ただ、純粋な「推論問題」と『藪の中』が明確に違うのは、「語り手の気持ちが入ってる」という点なんだ。

「推論問題」は、与えられた情報、つまり①②③に書かれていることが「全て正しい」という前提のもとに成り立つ問題だよね。一方、『藪の中』は、与えられた情報、つまり①〜⑦に書かれていることが「嘘も混じっている」可能性があるんだ。なぜなら、考えようとしている問題には私情が絡んでいる殺人事件だから。

ある夫婦とひとりの盗人の3人のなかで起きたこの「藪の中」問題は、ただの算数の問題とは一味違うんだよね。夫に懺悔する妻の気持ちとか、妻をかばう夫の想いとか、多襄丸の胡散臭さとか、イタコの能力を信じるかどうかとか、語り手の気持ちを汲んで考えなければいけないんだ。

つまり、「推論問題」は、論理的に解けば正解が出てくるけど、「藪の中」問題は、感情的に非論理的に解かないと正解が出てこないんだ。まさに「文系のための推論問題」なんだ。

『藪の中』の読み手は、初めは推論問題だと思ってこの小説を論理的に読み解こうとして、だけど証言が食い違うから行き詰まって、そこで私情を考慮して「ふつう夫は妻をかばうよな」とか「犯人の言ってることは信じられないな」とか、感情的に理解しようとするんだ。だけど結局犯人が出てこなくて、一度カフェのペーパーナプキンに図を書いてみて、色んな可能性を探って、どんどん藪の中に入り込んでいくんだよ。

それで最終的に、ストーリーにも描写にも主人公にもさほど魅力を感じていないのに、何度も『藪の中』を読み返している自分がいるんだよね。

きっと君も一度読んだら藪の中から抜け出せなくなるよ。」




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