見出し画像

『火花』又吉直樹 「青春を肯定してくれる」と、熱い眼差しで

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『火花』又吉直樹

画像1

【又吉直樹の作品を語る上でのポイント】

①言葉選びに注目する

②過剰なセンチメンタルさを指摘する

の2点です。

①に関して、又吉は『火花』が有名ですが、小説だけでなくエッセイ、俳句も書いています。その言葉選びが繊細で上手で、更に笑いの要素もあるので敵なしです。

②に関して、又吉さんの作品は彼のセンチメンタルさが色濃く出てます。何をするにも人の目を過剰に意識して、人の目を意識する自分すら意識しているという、二重にも三重にもぐるぐるに巻かれた自意識から発される言葉が魅力的です。


○以下会話 

■青春小説の金字塔

 「青春を味わえる小説か。そうだな、そしたら又吉直樹の『火花』がオススメかな。芥川賞を受賞して、250万部以上売れて、映画化もドラマ化も舞台化もして、知らない人はいない作品だよね。初めは「芸人が純文学を書いた」点で話題になったけど、作者が芸人とかいう問題ではなく、一つの小説としてとてつもなく完成度の高い作品なんだよ。『火花』を読むと、確実に又吉さんを見る目が変わって、彼の他の作品も読みたくなるよ。

『火花』は、徳永と神谷という二人の売れない若手芸人の数年間を描いた青春小説なんだ。神谷は「面白いこと」を最優先に考えるストイックな芸人で、彼の純真な姿勢を徳永は心から尊敬して師匠と仰ぐんだよ。だけどある時から、師匠の神谷より徳永の方が売れてきてしまうんだ。そこから徐々に二人の関係がずれていく、熱くて、切ない世界が描かれているんだよ。

そしてこの小説は「表現とは何か」がテーマになってるんだ。喋ったり文章を書いたり絵を描いたり、僕らは色んな方法で自分の考えを表現していて、芸人である彼らもあらゆる方法で表現して笑いを生み出しているよね。その「表現」のあるべき姿がこの小説では書かれているんだ。

■徳永と神谷の出会い

主人公の徳永は高校の同級生と共にスパークスというコンビを結成したんだ。ある夏の日、スパークスは熱海の花火大会の会場に簡易的に作られた舞台の上で漫才をしていたんだ。花火が大きな音を立てて打ち上がる中、彼らの声はかき消されて、道ゆく人は誰も二人を見ていないんだ。この状態で人を笑わすことは不可能に近く、大きく光る花火が、二人の惨めさを際立たせ、持ち時間の15分を終えたんだ。

肩を落として舞台から降りると、次の出番のコンビが「仇とったるわ」と言って、舞台に上がっていくんだよ。彼はマイクを掴んで「どうも、あほんだらです」と言うなり「私ね、顔を見ただけでその人が天国に行くか地獄に行くか分かりますねん」と言い放ち道行く人を指差して、「地獄!地獄!地獄!地獄!」と叫び出したんだ。徳永はその姿に釘付けになるんだよ。「地獄!地獄!地獄!地獄!」。叫び散らす男の隣にいる相方は、怒り立つ通行人に対して「なんやねん、コッチ来てみ」とガンを飛ばしているんだよ。もう無茶苦茶なんだ。花火大会の熱気と鼓動して、徳永は震え立つんだよ。「地獄!地獄!地獄!じご、あっ」声が急に止まるんだ。男が指差す方を見ると、お母さんに連れられた小さな女の子がいたんだよ。徳永が「どうか何も言いませんように」と願うと、「楽しい地獄。お嬢ちゃんごめんね」と男は微笑んだんだ。徳永はこの人が正義だって確信するんだよ。

ライブが終わった後、「飲みに行かへんか」とその男に誘われ、熱海の小さな居酒屋で改めて自己紹介をしたんだ。神谷の常識に囚われず「面白いこと」を最優先に考える純真さに心打たれ、徳永は神谷の弟子になったんだ。徳永は20歳で、神谷は24歳の時だった。

その日以来ほぼ毎日二人は顔を合わせたんだ。「美しい世界を作るには、その世界をいかに台無しにするかが肝心や」と、神谷はいつも真剣に徳永に語ってくれるんだよ。吉祥寺の喫茶店だったり、高円寺の居酒屋だったりいろんな場所で二人は語ったんだ。

ある日、喫茶店を出ようと扉を開けると外は土砂降りの雨が降っていて、傘を持たない二人を見かねた店員が傘をくれたんだ。お礼を言って歩き出すとすぐに雨が止んでしまい「どのタイミングで止んどんねん」と言って、晴れた空の下で傘をさし続けるんだ。傘をさし続けることが店員の好意に答える術だと本気で信じている神谷のことを、徳永は憧れと嫉妬と僅かな侮蔑を持って愛するんだよ。

■純粋な表現

ある日若手芸人の小さな大会で徳永と神谷は同じ舞台に立ったんだ。あほんだらの漫才はスタイルが確立していて、それと比べスパークスは未だ表現が不安定だと感じたんだ。結果もあほんだらは4位でスパークスは7位だったんだ。

神谷の笑いは素直で、例えば公園で泣いている赤ちゃんに向かって、「尼さんの右目に止まる蝿二匹」と呟いて、独自の蝿川柳で赤ちゃんを笑わせようとするんだよ。徳永は「そんなんオムツ着けてる人に分かるはずないでしょ」と言って、いないいないばあをするんだよ。結局それでも赤ちゃんは泣き止まず、赤ちゃんのお母さんを苦笑いさせただけで終わるんだ。どちらの笑いも失敗したけど、自分の笑いを表現した神谷と比べ、相手に合わせた笑いを表現した徳永は、人によって表現を安易に変えてしまう軽い人間に思えるんだよ。だから徳永は、自分を貫く神谷に憧れを抱くんだ。

だけど世間に受け入れられる笑いを表現していったスパークスは徐々に売れ始めて、深夜のネタ番組に出演する様になるんだ。一方、独自の笑いの手法を変えないあほんだらは、全く世間に相手にされないままだったんだ。

そしてある日徳永は、神谷の相方から、神谷に莫大な借金があることを知らされるんだよ。確かに徳永は、神谷にご飯をご馳走になる際、消費者金融に入る後ろ姿を何度も見たことがあったんだ。徳永はこれ以上神谷にお金を使って欲しくなかったため、少しだけ増えた仕事を言い訳にして、神谷と距離を置くことにしたんだよ。

■スパークス最後の漫才

それから何年か経ち徳永は28歳になるんだ。スパークスはネタ番組がきっかけで一時人気になったけど、その番組が終わると仕事は明らかに減っていったんだ。そんな時に相方から電話で呼び出されるんだよ。待ち合わせのファミレスに入ると、待っている相方の横顔を見て、何を言われるか一瞬で判断したんだ。「芸人を辞めたい」。相方は同棲している彼女が妊娠したため、就職し籍を入れるらしいんだ。家族の生活のために芸人の世界から足を洗う相方を、徳永は祝福して受け入れるんだ。

そしてスパークスは事務所に解散を伝え、スパークスとして既にスケジュールに入ってる僅かな仕事を終えて、正式に解散する運びになるんだ。二人は解散ライブで最後の漫才をするんだよ。

出囃子が鳴り、舞台の真ん中に走っていき、マイクに少し触れ「どうも、スパークスです」と言うとお客さんがワッと拍手をしてくれた。徳永は「感情に流されて上手く物事が伝わらへん時ってあるやろ。そうなると嫌やから今日はあえて思ってることの逆のことを言ってみるわ」と言う。相方は「何をお前は最後まで訳わからんこと言っとんねん」と返す。「まあ聞いといて。最初に相方、お前はほんまに漫才が上手いな」「こいつ逆のこと言うてんねんな、腹たつわ」「顔も声もいいし頭も良い。よっ天才」「ど突き回したろか!エエこと言え」「部屋が汚い」「しょぼいねん!」相方が大声をあげると、大きな笑い声が劇場に響く。「ほんで客、お前らほんま賢いな。こんな売れて面白い芸人のライブに一切金も払わんと来て、毎日ほんま苦痛やったぞ」客の中には泣いている人もいる。「僕はこのライブを機に芸人を続けます。この芸人生活10年間を糧に、これからも生きません。だからどうかお前らも適当に死ね!」「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」徳永はあの日熱海で見て以来、いつかこんな風に唾を撒き散らして大声で叫ぶ漫才がやってみたかったんだ。

その日のネットニュースに小さく「スパークス解散」という記事が出て、徳永の芸人生活は幕を閉じるんだ。

ある日、神谷の相方から「神谷が蒸発した」と連絡が来るんだ。徳永はかつて神谷が住んでたアパートに行ってみるんだけど、既にそこに神谷の姿はなかったんだ。

その一年後、徳永の元に神谷から突然メールが来て、居酒屋で再会することになるんだ。徳永が急ぎ足で待ち合わせの居酒屋に向かうと、すでに顔を赤らめた神谷がいるんだよ。徳永は久しぶりの再会に感動しつつ、この1年間どこで何をやっていたか聞くんだ。神谷は、借金返済のために走り回って、自己破産もして、事務所もクビになったと話すんだ。徳永はなるほどと頷くんだけど、話を聞いてるうちにある違和感に気がつくんだよ。神谷の顔から視線を降ろしていくと、神谷の胸が異様に膨らんでいるんだ。「なんですか、それ」と聞くと、神谷はシリコンを注入してFカップにしたと言うんだよ。「おっさんが巨乳やったらおもろいやろ」と言って神谷は笑うんだ。

徳永は、神谷が間違っているとは思わなかったんだ。だけど悲しさがこみ上げてくるんだよ。そして師匠である神谷に覚悟を決めて言うんだよ。「神谷さん、あんたは間違っている。性同一性障害で苦しむ人は、神谷さんの姿を見たら馬鹿にされてると感じます。神谷さんに一切そんな気がなくても、そういう問題を抱えている人の存在を知ってるでしょ。笑いには相手がいんねん。世間を完全に無視してお笑いはできへんねん。」と涙を流しながら言い放つんだ。徳永は、笑いに愚直でうまくこの社会で生きられない神谷が幸せになれないのを、悔しく思うんだ。この人はただ純粋に笑いが好きなだけ。面白いことを最優先に考えるアホな人だと分かっているから、彼の表現が世間とズレて受け入れられない現状に悔しさが募るんだよ。この言葉を聞いた神谷は「お前には笑って欲しかった」と言って肩を震わせて泣くんだよ。

徳永は、神谷の無垢な表現を認めつつも、どんな表現にも他者が必要で、その他者がいる限り表現は変える必要がある、という立場に立ったんだ。だから彼は芸人としてテレビに出られて、芸人を辞めた今も社会で働けている。一方神谷は、自分の笑いをそのままに表現して受け止められる奴が受け止めれば良いという価値観を貫き通したんだ。だからFカップを見せて「お前には笑って欲しかった」と言うんだよ。つまり、自分の笑いを受け止めてくれると思っていた徳永に、その表現を否定されたことに涙したんだよね。

そして最後は二人で熱海に温泉旅行に行くんだ。そこで素人参加型のお笑い大会のポスターを見つけて神谷が「とんでもない漫才を思いついた」と呟くんだ。これで『火花』は終わり。

■生きている限りバッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。

ハッピーエンドで締めたい場合、神谷の言う「とんでもない漫才」が、自分の笑いとお客さんの分かる笑いの中間をうまく取った、新しい表現だと思えば良いんだ。実際、この「とんでもない漫才」の台詞を呟く前に、地の文で

神谷さんはやかましいほどに全身全霊で生きている。生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。

と書いてあるんだ。生きている限り、バッドエンドはない。ってすごいカッコ良い言葉だよね。又吉さんがこの『火花』に込めた思いがこの一文で伝わってくる。この言葉から推察すると、きっと神谷はまだ自分の笑いと表現を模索し続けるんだと思うんだ。でもきっといつか、生きている限り、自分の表現を見つけて、日の目を見る時がやってくるんだろうね。

■表現の難しさ

『火花』はやはり又吉さんが芸人だから描ける世界観だと思うんだ。下積み時代に、自分より面白い芸人がたくさんいたけど、うまくお客さんに伝わる表現ができないために辞めていった芸人をたくさん見てきたと思うんだ。表現の難しさに彼自身悩まされたんだろうね。

そして綾部さんとのコンビ、ピースが作る笑いが、果たして自分らのやりたいことなのか、客に合わせた表現なのか分からないけど、自分達なりの答えを見つけたから、今のピースがあるんだろうね。これは笑いだけじゃなくて、音楽でも文章でも絵画でも何でもそうだよね。

又吉さんは取材で、「売れずに辞めていった芸人の人生を肯定したいから、この『火花』を書いた」って言ってるんだ。売れずに辞めた芸人を、社会は「不価値なもの」として処理するけど、それは事実では無く、彼らがいるから売れてる芸人の立つ山が高く、憧れる対象になっている。売れる芸人を作るには売れない芸人が必要になる。だから売れずに辞めていった芸人も肯定されるべきだって言ってるんだよ。なるほどなって思うよね。「頑張れば夢は叶う」とか安い言葉で肯定するのでは無くて、負けを認めつつもがむしゃらに食らいついた事実を肯定してるんだ。売れてる芸人である又吉さんの優しい気持ちが込められているよね。

この又吉さんの言葉を読むと、高校のハンドボール部の顧問の言葉を思い出すんだよ。当時僕は部活のやる気が皆無で、疲れたな帰りたいなって思いながら練習してたんだよ。その態度に怒った顧問が、隣のグラウンドで真面目に練習してる野球部を指差して「野球部は一生懸命やってる。彼らが甲子園に行けなかったとしても、あの練習は無駄だったと思うか?」って言ったんだよ。当時顧問が言いたかったことはきっと「努力はいつか報われる」的な安易なことだと思うんだ。だから聞く耳を持たず受け流してたんだよね。だけど火花を読んで、又吉さんの言う「芸人の立つ山」の理論を聞くと、もう少し部活を頑張るべきだったかなって反省するよね。

又吉さんは『火花』の後に、『劇場』と『人間』を出しててどれも面白いけど、僕は『火花』が一番好きかな。小説ではないけど、又吉さんが書いた『東京百景』というエッセイ集とか『カキフライが無いなら来なかった』という自由律俳句集とかが凄い面白いから是非これらも読んでみて。」



この記事が参加している募集

#読書感想文

188,210件

お賽銭入れる感覚で気楽にサポートお願いします!