彼の犬 #5

 LPガスの配送車がきて外壁辺りで音がする。高さ1メートル余のLPガスボンベ2本が置かれ、1本ずつ交換していく。ガスの量は店舗でわかる仕組みのようだ。
  外で声がする。なにを言っているかわからないのでわたしは窓を開けようとした。またなにか言って窓を開けるなということらしい。玄関へまわると男が透明ガラスの外にいる。この玄関扉は初め、透けてなかった。外が見えるように透明に替えたのである。
「蜂スプレー、ありますか」
 咄嗟になんのことかわからない。
「窓の下に蜂の巣があります、蜂スプレーを」
 そんなものはない。それにどうするというのか。刺されでもしたら大変である。
 そのとき思いついたのはスズメバチ退治する業者である。
「いま業者さん探しますから」
 蜂スプレーがないとわかって男はもう車で立ち去った。私はネットで検索し始めた。動画を撮りすぎて容量がいっぱいのスマホが遅い。スマホを買い替えよう。
 車が戻ってきた。
「管理会社で借りてきました」
 蜂スプレーがあったのかとその用意のよさに感心し、ということは近辺に蜂がいるということだと気づいた。
 男はリビングルームの雨戸の敷居の下を教える。
「朝晩開け閉めしてて気づきませんでしたか」
 なにか責めているように感じる。
「よく刺されなかったですね」
 たしかにそう思う。袖なし服で腕を出して雨戸を引くとき下から襲わなかったのはなぜだろう。
 私は冷蔵庫からトマトジュースの缶を全部出して男に渡す。
「こんなものしかなくて」
 缶の上に千円札2枚を入れたポチ袋を載せた。
「ぼくも地元の者じゃないんです。津波のボランティアできて」
 それが彼との最初の出会いだった。ボランティアに通っているうちに移住したようだ。
 そういう人は他にもいてfacebookに彼らの活動がシェアされる。素人ミュージシャンは市の施設で歌っている。インターネットテレビを運営する男女のグループもあり、呼ばれて私も質問に答えるだけの番組に出た。
 コミュニティの小さな仕事は少しずつ増える。起業セミナーで話したり出版の編集、校正をチェックしたり、マルシェを手伝ったりする。服を縫って売るのが本業のようになっているがこれは会社勤務時代の宣伝部の仕事が役立っている。アパレル部門のページを担当していた。
 国内からマスクが無くなったときは不織布を挟んだ布マスクを縫って販売した。フリマやECサイトに出し、店舗や事務所にも置いてもらえた。政府マスクが配布されて一気にマスク不足が解消し、売れなくなった。
 真面目に服を縫って売るしかないから、生地を探し、デザインを描き、ミシンを動かしという地方暮らしが続く。
 コミュニティの経営者らに注文されるとオーダー服になることもあった。
 そのうち縫製好きのさーちゃんが手伝うようになった。彼女はそのうちベンチャーすると話す。そのうち青山に店を出す、そのうちオンラインショップを出すとも言う。わたしに欠けているのは野心だろう。
 震災のボランティアにきた彼はどうなのか。日々を社会奉仕に費やしていいのか。そこに逃げているだけではないのか。
 わたしも同じだろう。会社から田舎に逃げてきた。ペットを買い、野菜を作り、快適に暮らす。いま気づくのだが早十数年なのである。
 その間の行動はわたしの人生にプラスだったか。時間の浪費だったか。無用の用だと慰めても時間は消えている。
 わたしは決意した。タロウを施設に入れよう。
 

彼の犬  #6


 



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