彼の犬 #4

 母の代わりに私を育てた叔母が入院したのは突然だった。具合が悪いというようなことは聞いたことがなく、ぐずぐずしていたわたしのほうが「若いのになに」と叱咤されるほどの元気ぶりであった。
 それがいきなりの入院で、たとえば近所のクリニックに通院して薬を大量に飲んでいるとか、調子が悪いのでどこか大学病院で検査しようかとか心のトレーニング期間があればもっとましな対応ができただろう。
 駆けつけるにも犬を預けなければいけない。急ぎ、友人たちにlineやメッセンジャーで犬を貰ってくれる人を探してほしいと頼んだ。
 数日のうちにそれぞれから返事がきた。知人に訊いてみたが飼えないという結果だった。犬を飼うことがこんなに大変だとは意外だった。たいていの人は飼いたいのだと思っていたから、たいていの人は飼わないのだということに戸惑った。
 一人だけ、とても親身に探してくれた。動物病院に貼って貰うからチラシを作れと言われ、B5サイズのチラシを印刷して渡した。彼は10人ぐらいに声をかけてくれた。
 けれども生まれたての仔犬なら貰うと言う人ばかりでタロウの貰い手は決まらなかった。わたしはデパートから数人に、お礼に菓子や酒を送った。いや友人が犬を頼むその友人たちに菓子を送っている。
 飼えないのですごめんなさいと断る人たちが気の毒だった。責任もないのに断らなければならないストレスを受けている。
 こうしている間に叔母の容態は深刻そうで、わたしはドッグトレーナーに朝夕の散歩を頼んで病院へ行ったり来たりしていた。
 ドッグトレーナーの家は車で5分ほどの近さにある。新宿へ行き来する高速バスの停留所そばに木の看板があり、木製の矢印どおり歩いて行くと広いドッグランに行き着く。それまで気づかなかったのだ。そばのゴルフ場でランチを食べたことがある。なんと運がいい。わたしはドッグトレーナーではなくペットホテルを探していた。看板にドッグホテルとあった。
 玄関には賞状や英語の許可証のようなものが数枚、壁に架けられている。以前なら不在だがコロナで日本に帰っているとドッグトレーナーは話す。アメリカ滞在が多かったらしい。
 犬の散歩もできると聞いてわたしは安堵した。今後のことを頼み、家を教えるために同行して彼女を家に連れてきた。
 30代に見える細身の彼女は40代かもしれず、それはどちらでもよいが、他者に気遣いするのが少し過ぎるように思える。ストレスで病気になるからもっと我儘になればいい。助手席でそんなふうに感じた。ベンツのシートや足元をわたしは気にしない。わたしを乗せる前に彼女は除菌シートで周辺を拭いた。

 散歩中にタロウを眺めてタロウが哀れに思えた。飼い主から捨てられようとしている。誰も貰い手がいない。可愛い赤ちゃん犬ではない老犬に近い犬なんか誰も飼わない。拒否された犬なのだ。
 タロウを殺して心中しようかという考えが閃いた。犬1匹に拘束されて身動きできない自分が惨めであった。
 50日ほどすると叔母の退院が決まった。あと1カ月だった。
 退院すれば今よりサポートが必要になる。先ず一人で暮らせない。訪問介護があるにしても夜一人にはできない。
 いよいよわたしは犬の施設を必死で探した。高額であれそんなことは仕方ない。金銭で解決するならそれに頼るしかなかった。
 東京近郊に施設があった。ホームページには里親を待つ犬の画像ががたくさん並んでいる。わたしは遊女の格子窓を連想した。箱の中で、通りを歩く男たちへ白粉顔を向ける。買い手を求めているのはタロウも同じである。そこにタロウが並ぶのは耐えられない。わたしは施設に申しこまなかった。
 老犬の介護施設もあった。わたしは様々な日常を想像した。可愛がってくれるとは思う。ただ、寒い雪の日も犬舎で餌を食べるのだろう。
 タロウは寒がりかソファが好きで、電気マットの上で寝る。2階やリビングではなく、わたしの寝室にきて眠るのだった。
 寒さに耐えなければならない。暑さにたえられるだろうか。わたしは犬の施設の環境について無知である。
 動物を飼うのは動物が好きだろうから、動物の環境をよくしようとするはずだ。しかし虐待を目的に動物を飼う者もいると聞く。そうでなくても、暑い寒いや空腹に思い至らない場合もある。
 タロウを捨てようとする自分を棚に上げて思う。
 自分は捨てるが、タロウはかわいがられる環境にいてほしいのだ。そんな虫のいい勝手なことしか浮かばない。
「環境が変わるのは可哀想」と友人の妻が言ったそうだ。そう言われ、そんな言葉を伝える彼の冷たさを知った。彼の妻は、親を施設に預ける人にも「可哀想」と夕餉の話題に上げる。夫も可哀想だよと同調する。二人は傷つかない。
 




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