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"価値のないわたし"はいなかった。

マイコプラズマになって1週間寝込んで
思い出したコト。


こんにちは、かなでっす。


やっと
PCの前に戻れたw

マイコプラズマで1週間
床と友達になっていたんです。
(寝込んでた)


んで、寝込みつつも
やっと少し元気になって来て

あれやこれや考えて思い出したコトを
今日はお話ししようかな、と。


わたしはそもそも
"人に頼る"コトができない人
だったんですね。


熱があっても
子どもの送り迎えできるし!
ご飯の支度もできるし!
なんなら、仕事もできるぜ!

みたいな、
今思えば鬼畜です。


でもさ、
世の中のママさんは
同じような人多いんじゃないかな?

日本の教育なのか
はたまた
親世代からの継承なのか

『頑張るのが当たり前』

のように思っていたよ
わたしは。


だから
頑張れないわたしは価値がない』
とも思っていた。

何もできないわたしなんて
存在できない、ってね。


でもある時、
身動き取れないくらいぶっ壊れて
入院寸前まできて

「なんか違う気がする」

ってなった。


このままだと良くない方に行く
っていう
野性の勘?wが働いた。


で、その時
お世話になっていた先生に
いろいろ話したら

「人に頼る練習しようか^^」

って言われた。


え?わたしが頼る?
え?どうやって?
え?わたしが頑張らないとでしょ?
みたいになったけどw

そこはわたし素直なんで
「やってみます」
って、できることから頼ってみた。


まずは、旦那に、ね。


当時はまだ
モラハラ夫だったから
頼るコトは相当難しかったw

でも、やってみた。


いつもなら自分で買う
重いお米や牛乳を
「買って来てほしい」って頼む

いつもなら自分でやる
子どもの習い事の送り迎えを
「行って欲しい」って頼む

いつもなら自分で傘をさして行く
雨の日のお出かけで
「駅まで車で送って欲しい」って頼む


これ、当時のわたしにとっては
相当頑張った頼み事。

友達にいったら
「普通でしょ!w」って
笑われたけど

わたしの普通には、なかった。


そもそも自分で出来るコトを
"人に頼む"という選択肢を
持ってなかった。


でも、先生に言われたので←真面目
人に頼る練習を
出来ることからしていったら…


旦那も世界もすんごく優しい、と気付けた。

そして

頑張らないわたしにも価値がある、と気付けた。


人に頼れるようになったわたしは
病気の時は
ちゃんと休むようになった。

わたしが出来ないことは
旦那がちゃんとやってくれるから。


そして、病気で休んでいて
本当に寝ているだけのわたしに
家族はとても優しい。

(息子は1時間おきに氷嚢の氷を入れに来てくれるw)


「熱があっても仕事しろ!」
「熱があっても食事は作れ!」
「熱があっても迎えは行け!」

って、スパルタにしていたのは
自分だけだったんだよね。


『頑張れないわたしに価値はない』
っていうのは
自分で作った"幻"だったんだよね。


はーもっと早く
人に頼って来たら良かったなー
と思ったりするけど

これもまた、
わたしのベストタイミングだったんだよなー
とも思う。


人に頼りたい時は、頼る。
自分で頑張らない。


そうすることで
相手の優しさも世界の優しさも
自分の価値にも
気付くことができたりする。


やってみてね♡

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