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カウンセラーとAI(1) 49/100

あと1ヶ月ほどで2023年が終わる。

今年、最大のインパクトは「ChatGPTのリリース」だろう。

プログラミングやコンピューターに関する一切の知識がなくとも使える。ヒトを相手にするのと変わらない言葉のやりとりで、ネット上にある膨大な情報の海から参照できそうな情報をピックアップし、要約し、わかりやすく瞬時に伝えてくれる。

ヒト相手ならワガママとか怠惰とか文句を言われ「ちっとはテメェで考えろ」と突き返されそうな「丸投げ」リクエストにも、丁寧に応じてくれる。微妙にニュアンスを変えて、繰り返し似たような質問や要求を繰り返しても不機嫌になったりしない。しかも無料だ。

「時に信じられないくらいデタラメな情報を、あっけらかんと出してくる。使えない」と文句を言うヒトがいる。人間だって結構なデタラメを言うではないか。だからこそ、「他人の話を鵜呑みにするな。自分の頭で考えろ。自己責任で判断しろ」とリテラシーの必要性が強調されるのだ。

まだ生まれて間もないAIに、そんな厳密な正確さを求めるのは、あまりに不寛容だ。幼機械虐待だ。

僕は毎日電車で通勤しているのだけれど、10分程度の電車の遅れに異様に腹を立て、駅員さんにボロクソのクレームを言ってる人がいる。あれは、人を人とも思わぬ所業だ。あのクレーマーにとっては、駅員さんも運転手さんも機械と見なされているのだろう。

AIの奇妙なまちがいは、悪意がない分、むしろ清々しいし、かわいげというか可笑しみがある。

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僕みたいなテクノロジーに疎い人間でも、その圧倒的で革命的ともいえるパワーと知性は理解できる。ChatGPTに代表される生成AIの誕生と普及が、よのなかを仕組みを変えていくだろうことも容易に想像できる。

生成AIの登場によって、いわゆる「仕事」のあり方に大変化が起きるという話は、至る所でなされている。「ホワイトカラーの仕事の9割はAIで置き換え可能」なんてことも言われる。

まぁそうだろう。

基本的に、ヒトは面倒なことが嫌いだ。

お釈迦様は「一才皆苦」と言ったらしい。ヒトが生きてくということは、基本的には「苦(思い通りにならない)」ということだ。

ただ、思い通りにならない面倒なことでも、生きてくうえで(子孫を後世に残していくうえで)やらざるを得ないことが、昔は山とあった。歩いたり、走ったり、食い物を探したり、獲物を狩ったり、火を起こしたり、必要なものを作ったり、話し合ったり、セックスしたり。

面倒だけどやらなきゃ死ぬ。子孫が途絶える。

面倒だけど必須な活動にわずかでも快を感じる個体の方が生存確率が高まる。子孫を残せる確率が高まる。

そんなことが繰り返された結果、面倒なことでもガツッとやればある瞬間にアドレナリンがドパドパ出て、快が感じられるような方向にヒトは進化してきた。

ウォーリーを探し出せたら嬉しくなったり、カニの爪をいじり回して身がスルっと抜けたら異様に気持ちよかったり、マラソンなんていうやらない者からしたら苦行でしかないスポーツに数万人がエントリーしたり、膨大な気遣いを必要としたとしても彼氏彼女が欲しいと願ったりするのは、そういう理由からだ。

けれど、テクノロジーの発展でそうした面倒事が機械に置き換えられたり、世の中が分業仕組み化されて他人にアウトソースできるようになったことで、ヒトは面倒なことを「面倒だ」と拒否するようになった。つまり、素直に振る舞うようになった。昔は、快楽というのは面倒事の解消という目的ある行動に伴う報酬というカタチでしか得られなかった。昨今は、快楽を得ることそれ自体を目的として設計された趣味やサービスを、金を払って利用するというスタイルが一般的になった。

そうしたテクノロジーやサービスがリリースされた当初は、「実際に自分の手足を動かして苦労しながらやってこその価値や喜び」みたいなことを強調する、世を憂うような言説が飛び交うが、結局は面倒臭さが勝ってしまうのが世の常だ。

かまどで飯を炊くのはよほど凝りたい人を除けば古参の高級料亭の料理人くらいだし、魚が食いたければ海ではなくスーパーに行くし、単身生活者は手料理よりもレンチンか外食で済ませることの方が増える。

通勤電車の車内を見渡せば、10年ほど前には「若者を堕落させる高価なオモチャ」とスマホをディスっていた中高年オヤジの大半が、肩を窄めてスマホゲームに勤しんでいる。

生成AIの登場は、そうした流れをさらに加速させることになる。

どんな面倒事がなくなっていくのだろう。

個人心理学を創始したアルフレッド・アドラーは「すべての悩みは、人間関係の悩みである」と言った。

結局のところ、多くの人にとって最も面倒なのは「生身の人間」とのつきあいということになるだろう。

その最も面倒な「生身の人間」の、さらに面倒な「悩み事」へと対応を担っているカウンセラーという仕事は、どう変わっていくのだろう?

簡単な悩み相談くらいなら、SiriやAlexaでも聞いてくれる。どんな不合理や厄介ごとをなげかけても、機嫌を悪くすることなく、ジェントルに応じてくれる。筋の悪い医者カウンセラーよりよほどマシだろう。

ジェネレーティブAIは、今まで人が手を動かしてこなしてきた「作業」の多くを代わりにやってくれる。それだけ人の手間が省かれ、業務が何倍も何十倍も効率化されるため、人間は「本当に人間にしかできない部分」に集中し、それを拡張していけます。  

伊藤穰一『AI DRIVEN』

カウンセリングやセラピーの仕事というのは、言わば「人のこじれた悩み事」を効率的に解決するためのテクノロジー(方法)を使いこなすことと言える。

テクノロジーというのは、かつては一部の天才職人にしか使いこなせなかったハイレベルな方法が、凡人にも使えるように体系化・マニュアル化・システム化されたものだ。いわば、「職人芸のコンビニ化」だ。

生成AIが登場して、一躍話題になった新しい仕事に「プロンプトエンジニアリング」がある。AIにこちらの望み通りのアウトプットを生成してもらうための「効率的な命令=プロンプト」を生み出す仕事だ。素人は、ニーズに応じてこうしたプロンプトを購入して使うことができる。

カウンセリングやセラピーにおける「マニュアル化された質問」も、ある意味「プロンプト」だと言える。悪循環に陥った思考の流れを変えるような質問の組み合わせだ。

スキルがマニュアル化されるとは、「秘術」が解明され、体系化され、記述されるということだ。「作業」に置き換えられるということだ。記述可能な作業は、理論的にはすべて、生成AIによる置き換えが可能だ。

カウンセリングとかセラピーにおいて、「本当に人間にしかできない部分」ってなんだろな。もはや「個としての魅力」みたいな、不合理で主観的なトコしか残らないような気もするな。

今あるカウセリングやセラピーのサービスの大半は,「この人じゃなきゃイヤだ」とか「生身の人間じゃなきゃイヤだ」みたいな、こだわりに応じるニッチなサービス、趣味的なサービスになっていくような気もする。

僕自身、この仕事をやってる理由は、「生身の人間の話を聞く」ことが好きだからってところが大きい。きちんと需要をキャッチできれば、なんとかやってけるんじやないかと思っている。


きちんと整理しとかなきゃ

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