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好きとAI 50/100

昨日の続きで、AI絡みです。

伊藤穰一さんの著書『AI DRIVEN』に、以下のような記述があります。

ジェネレーティブAIは、今まで人が手を動かしてこなしてきた「作業」の多くを代わりにやってくれる。それだけ人の手間が省かれ、業務が何倍も何十倍も効率化されるため、人間は「本当に人間にしかできない部分」に集中し、それを拡張していけます。  

伊藤穰一『AI DRIVEN』

これを読んで、僕は「うーん...」と悩ましくなってしまいました。

これから先、AIがドンドコ代替してくれることになる、生産性にほとんど寄与しない類いの、瑣末で単純な「作業」が、僕は結構「好き」なのです。

音声データを黙々と文字起こしするとか、パワポのスライドがシックリくる「絵」になるまで、画像の大きさ・色・配置、文字のフォント・サイズなどを微妙に延々と調整しつづけるとか、分厚い本をキリッと過不足なく要約してA4用紙1枚にピタッと収めるとか、魚の切り身から小骨を一本ずつピンセットで抜くとか、父親が巨大なウイスキーの瓶に貯めた大量の小銭を選り分けてキレイに並べるとか、そういうのが好きなのです。

ほとんどクリエイティビティを必要としない、ほぼムダとも言える、何も考えずに黙々とやれる、そんな「作業」が、僕にとってはとても心落ち着くことなのです。

趣味的にやればいいのかなーとも思うのですが、何らかの必要に迫られてなければ、やらなくなるような気もします。

ということは、さして好きでもないのか。

でもチョット寂しい...

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