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ダイエット&ボディビルBL「愛と筋」28

そう決意したものの、カロリーを制限すると力が出ない。先日MAX200kgを叩き出したバーベルスクワットも、アップの150kgでふらついてしまう。
しかし藤は容赦なくメインに180kgを組んだ。

「筋量を落としたくなければ刺激を入れることを避けるな。1セットだけでいい。レップが減ってもいいから、これまでと同じ重量を扱うんだ」

「ぐぁぁ……」

「辛そうだな。だが、おまえの脚は『もっとだ、もっと俺に刺激をくれ!』と叫んでいるぞ」

「っ、さ、叫んで、ません……!」

「嘘を言うな。筋肉に素直になれ」

藤はびしっと尚太郎の大腿部を指し、

「おまえの筋肉は言っている。『僕はもうスクワット300kgだっていけるんだよ。やらせてよママ』と。しかし俺は胸鎖乳突筋《きょうさにゅうとつきん》を動かしてたしなめる。『やれることはわかっているわ坊や。けれどそれは多くの筋繊維の断裂と関節の軟骨の磨耗を引き起こしてしまう……ママは、坊やにそんなリスクを負って欲しくないの』『ママ、そんなに僕のことを思ってくれるんだね』『あたりまえじゃない、あなたはママの宝物なんだから』『ママ……』」

いつもよりぶっとんだ寸劇を終えて目尻を拭う藤につっこむ気力もない尚太郎は、なんとかスクワットを終え、ぜえぜえと床にへたり込んだ。

「休むな。パンプが冷めねぇうちにレッグプレスやるぞ」

藤の指示にうなずいて、尚太郎はよろめきながらスミスマシンのベンチに仰向けになった。バーベルのシャフトに取り付けられたレッグプレスオプションのプレートに足をかけてロックを外し、蹴り上げる。スミスは軌道が固定されているので意識しなくても垂直に上がる。ただし垂直軌道は血圧的によくないので、レップ数は少なかった。
うめきながら終えたところで、藤が「そういや」と訊いてきた。

「おまえ、自炊始めてだいぶ経つよな。どうだ、少しは料理の腕上がったか」

「はい。得意料理はプロテインかけオートミールです」

「……それ、料理なのか?」

「それなりに美味しいですよ。最近はかさ増しのために千切りキャベツも食べてます。草食動物の一生に思いを馳せながら……」

「……ちょっと待ってろ」

藤がキッチンに消えてしばらくすると、よだれを誘う匂いが漂ってきた。
ほかほかと湯気のたつ木製のプレートを手に戻ってきた藤は、ダンベルを二つ並べた上にそのプレートを置いた。

「ほれ。これを今日の夕食にしろ」

プレートの上には、真っ白なオムレツと、赤い液体が入ったグラスが乗っている。

「冷凍卵白で作ったオムレツと、トマトにセロリとリンゴを加えたスムージーだ。おまえはウサギさんじゃないんだから、もうちょっと人間らしい物を食え」

礼を言ってスプーンを受け取った尚太郎は、艶やかなオムレツをすくって口に入れ、目をむいた。
卵白を泡だてて焼いたメレンゲが口の中でふわっと溶けたあと、青ネギとニンニクの風味が鼻に抜け、椎茸と鮭フレークの旨味が広がる。
尚太郎はあっという間にオムレツを平らげ、スムージーも一気飲みして満足の息を吐いた。

「ああ……美味しい……食べ物ってこんなに美味しいものだったんだ……なんだか生き返ったような気がします……」

「大げさだな」

「大げさじゃないです。すっごい美味しかったです。藤さん、料理上手ですね」

「まぁな。減量中でも美味いもん食べたいから、試行錯誤してるうちに腕が上がったんだ。……気に入ったんなら、これから毎日俺が夕飯作ってやろうか?」

「えっ、いいんですか!?」

「いいから言ってんだろ」

「ありがとうございます! ぜひお願いします! 材料費はもちろん僕が出します。あ、そういえば叔父が鹿肉と馬肉を送ってきたので、明日持ってきますね。脂肪が少なくてタンパク質が多い赤身なら減量時の食材として使えますよね……って、藤さん?」

急にうつむいて黙り込んだ藤をのぞき込むと、下唇を噛んでぷるぷる震えている。

「えっ、ど、どうしたんですか!?」

「……鹿さんと馬さんは食べ物じゃねぇ」

「は?」

「仲間たちと楽しく暮らしていたのに捕らえられて捌かれて網の上で焦げ目がつくまで焼かれて軽く塩コショウされて咀嚼されるなんて、かわいそうだっ!」

マナーモードのように小刻みに震えて「かわいそう」を連発する藤に、

(いや、あなた、牛や鶏や魚は食べてるじゃないですか。とりわけ鶏は、その子供である卵を含め、いつか復讐されるんじゃないかと危ぶまれるほど食してるじゃないですか。なのにどうして鹿と馬はだめなんですか)

疑問を抱いた尚太郎だったが、いたいけな幼稚園児のような瞳で非難されると何も言えない。

それに尚太郎にも、食べられない肉がある。ラム肉だ。なぜなら小学6年生の冬休みに叔父の家へ遊びに行った際、誤って家畜小屋に入れられたが、羊がその体毛で包むように上からのしかかってくれたおかげで凍死せずに済んだ恩があるからだ。

「ごめんなさい、鹿肉と馬肉は持ってきません。僕も食べません。父に処理してもらいますから」

そう言ってなだめると、藤の機嫌はたちまち直り、満面の笑みになった。

「明日から俺が作る夕飯を楽しみにトレーニングしろよ」

藤のテンションの乱高下に、尚太郎はぐったりしつつも、これが彼のデフォルトであるような気もして、素直に「ありがとうございます」と頭を下げて藤のマンションを後にした。


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