この口訳のおかげで、やっと古事記の全貌が見えてきた件。京都と大阪の文化の違いもついでに書きました。
今まで「古事記ぐらいちゃんと読んでおかんとなあ・・」と思いながら、大量に出てくるカタカナでダラダラ長い神様の名前に挫折して、数ページで読むのを諦めていた者です。
本の感想
今回は町田康さまの口訳が出版されたということで、これなら最後まで読めるんじゃないのという期待で手に取りました。
読めたよ!
最後まで!
神様の名前のとこは適当に流していったけど、漢字が当ててあるので、ぱっと見で大体どのような属性なのかわかるし。
読んでみて分かったのは、あんな話もこんな話も古事記の中に出てくるやつだったこと。
「学校で教えてもらうし常識でしょ」
いやいや覚えていない人も絶対に多いと思う。
学校で習うことなんて記憶の一番奥に収納されて二度と出てこないもん。
少し心配なのは大阪文化圏に住む私でも「日常生活において、こんなベタな関西弁を聞いたことがない」というレベルの関西弁であること。
面白いけど関西以外の人に理解できるのでしょうか。
また上級関西人である京都人は「ウチらこんな話し方せえへんし」とか言いそうです。
それにしても日本の神様や英雄は現代の価値観で判定すればアカン奴であり、ヤバい奴ばかりではありませんか。
これは楽しいです。
余談
私は京都市(生まれは別のとこ)からここ(大阪文化圏)に越してきたのですが、京都における言いにくいことは遠回しに言う文化が通用しないので、最初は困りました。
相手にお願い事があれば、察してもらえるように会話を持っていく高度な技術を身に着けていたのですが、全然察してもらえない。
たまに察してもらえて「これしてあげよか」と言われて
お約束では「手間取らせるしいいよ」
「そんなン言わんと」
「いいって、いいって」
「させて頂戴」
「そう言うんやったら」
となるはずが
「してあげよか」
「手間取らせるしいいよ」
「わかった」
でお話終了w
あきらめて、
してほしいことがあれば率直にお願いし、
してあげよかと言われたら「すんません。お願いします。」と頭を下げ、
分かったことは遠回しに言うほうが気持ちが楽ってことです。
京都文化圏の方々は(京都に限らず世界中どこでも)
大阪文化圏の人に(大阪に限らず世界中どこでも)
頼み事をするとき遠回しに言うほうが上品とは思われず
相手の文化によっては頭を下げないで操ろうとする卑怯者と思われるよ
というお話でした。
本の話に戻ると
口訳 古事記は吉本新喜劇です。
一度だけ新喜劇の生の舞台を見たことがあります。
芸の職人さんたちでした。
お見事!
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