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「フリーランスが他人と働く」ということについて - 『今夜もウェブで会おう』 (第三通目)

📧 梶 → 将軍川

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やほー。
最近調子どう?

わたしは年末に3週間も寝込んだ影響で(あれは、ラグビーW杯で世界中から集まってきたウィルスだったんじゃないだろうか)とても忙しかった。

ところで、最近は企業に出向くことがぼちぼち出てきたから、フリーランスとして、どうやって企業と関わるのか、その位置どりについて考えるようになった。

企画の初期段階から関わったりすると、えてして「こういう形の事業にしたらいいんじゃないか」ということがひらめいたりする。
そういう瞬間は楽しいなと思うんだけど、自分のアイディアを、「このアイディアは絶対に通したい」っていう強引な気持ちとセットになってくるから、それには気をつけたい。だって、先方は事業そのものじゃなくて、事業に役立つ提案の方を欲しがっているわけだからね。
まず、OKならOK、NOならNOの答えを出してもらうんだ。

それが最近学んだこと。

先日も、いいことをひらめいたから、知り合いのところに行って話を聞いてもらったら、
「確かに面白そうだと思うよ」って前置きした上で「でもね、全体が自分の思った通りになることはないよ、だいたい、相手と自分の考えていることの中間に落ち着くもんだからね」
って言われた。
なんとなく「こっちが現実なんだろう」という気がしたな。

まあでも、よく解釈すれば「アイディアの角を取って丸くする」のではなくて、「そこがスタート地点」って意味なんだろうなぁ、と思った。

その提案を、相手が受け入れるかどうか決めて、その後で、お客さんの目に触れるものになるんだと思う。一人で作れるサイトはないし、みんなでやることは、ちょっと遠回りした方が、けっこう早く実現したりするみたい。

まあ、そういうわけ。

ただ、わたしはどうしても、アートに関しては、他人に理解を求めてもいいし、求めなくてもいいんだと思う。一人で判断して、作っていくものだと思うんだ。
全員に理解されるものだったらスーパーで買える。
誰にも理解できないものを作ってもいいし、そうしなくてもいい。それくらいファジーで天地無用なのがアートだと思う。アートにはあらゆるパワーがいるね。それでいて、パワーを使わないこともまたアートだったりする。自由の厳しさを知ることになるか、楽しさを知ることになるかは本人次第なのかもしれない。


腎炎はおさまった?お湯をしっかり飲んで、塩分を摂りすぎないようにね。
ドイツの食べ物は塩分がきついから、腎炎になりやすくなるって聞いたことがあるぜ。

じゃあ、またね。



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📧 将軍川 → 梶

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梶さん

年末は大変だったらしいね。
今はなんとか体調もなおったということで何よりだよ。

他人と働くことは、複数のアイデアをぶつけたり混ぜ合わせたりして、元のアイデアを一種の「別物」にしていくこと。知り合いの人がそれを「中間」と表現したのは言い得て妙だね。
これまで携わってきたゲームの仕事で言えば、ウチのデザインしたキャラクターがそのまま形になったことは全くない。
様々な人がウチのデザインを「下敷き」にして「売れる」ように「改善」していくから、最終的に見た時に自分の作品という感じが全くしないんだ。それこそ「みんなのもの」と呼ぶにふさわしい。

今となればそれは当然のことなんだけど、当時は受け入れられずに苦しい思いをした。特にウチは、自分のやる気・情熱とクオリティが目に見えて比例しちゃうプロ失格な奴で、かつての上司に「将軍川さんはムラがあるんだよ。いい時はめっちゃクオリティ高いけど、ダメな時はなんじゃこりゃって感じだよね」と言われた時は「見透かされてしまったなぁ」と思ったもんだよ。
イラスト作業で他人との中間地点を探すのは「修正」と呼ばれる作業なんだけど、その作業中、今でも自分のモヤモヤをどこに置いていいのかわからなくなる時がある。だから今年からイラスト仕事の新規受注をやめてアートに専念することにしたんだ。

昨年末、同じアトリエの友達と飲んだ時にそのことを宣言したら、彼が少しピリッとした。
「へえ、イラストじゃ上手くいかなかったから、アートにいきたいってわけ?」
自分のアイデアの純度を保たないと気が済まない奴が、アートを最後の逃げ場としているように見えて、気に食わなかったのかもしれない。
彼にとって、アートは色々なのアイデアを融合させて一つの大きなものを作るコラボレーションの媒体らしい。実際彼だけではなく、多くのアトリエのアーティストが、アートはコラボレーションであると認識していたことを思い出した。

確かに、誰かと力を合わせることによって、自分だけではできない凄いものが作れたら気持ちがいいというのはわかる。
もともとアートを始めた理由は、自分一人のアイデアで勝負してみたかったからなんだけど、嘘や打算抜きでワクワクできるアイデアやビジョンを共有している人たちとであれば、働いてもいいのかもしれないと思った。
けど、ウチがそんな機会に巡り会えるのは良くて2〜3年に一度って気もするけどね。ましてやそれで食ってけるとは期待はしてないよ。

梶さんも、体調には気をつけてね。
将軍川



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🍬おまけ

こんな二人でも結構いいコンビなんですよ。

第三通目おまけ


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