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【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第9章:夏の雨 ⑤
― シュンの死。
それはいつか必ず二人の間で触れなければならない、最も重要なテーマだった。逢子はその序章を語る舞台として、大雨が降った ” この日 ” を選んだ。
秋でも冬でも、ましてや春でもなく、真夏の雨の日を選んだ彼女のその感性を、俺は尊く思う。
すでに13年もの歳月が流れていたにもかかわらず、逢子も俺も瞬時に ” あの日 ” に戻れる、潔さがあった。
互いの海馬の中にこびりついているビジョンや聴覚、匂いや感触は違えども、永遠に忘れるはずもない、あの冷たい宝石は、二人の結びつきを確実に強固なものとしていた。
愛する者と別離れる苦しみ、そして、これからも果てなく続いてゆく悲しみや寂しさから目を背けずに語り合うことは、ある種のイニシエーションのようなものだった。
二人が別々の引き出しの中へしまい込んでいた手紙をひとつに束ねる、そんな作業をしているようにも思えた。
「もう助からないと、最初から諦めていました。兄のことは、大好きだったはずなのに。もっと生きていて欲しい、という気持ちに、どうしても力が入らなかった。そんな自分のこころが、私は恐ろしいと思いました。父も同じように思っていたんじゃないかと思います。諦めなかったのは、母だけでした…」
逢子は「あの日」のことを、淡々と語り始めた。
「そんな母は、皆藤先生のことを憎んでいました。兄は生前、自分が同性愛者であることを家族にカミングアウトしていたのですが、その直後、先生との同棲を始めたということもあって、母は先生のことを、息子をたぶらかした ” サタン ” だと思っていたようです。失礼極まりない母親で、本当に申し訳ございません…」
俺は無言で、首をゆっくり横に振った。
「父は父で、息子がゲイであることをとても恥じていたようです。時代錯誤も甚だしい露骨な表現で、兄の人格や過去や生き方のすべてを殺していきました…」
彼女は続けた。
「両親はずっとこんな感じでしたから、どんなことがあっても、先生のことを兄の葬儀に呼んだり、骨を分けたりするようなことは絶対にしない、と、固く心に決めていたようです。あの事故は先生が悪いわけじゃないのに。むしろ、一番、辛く苦しい思いをしていたのは、先生だったはずなのに…」
逢子の言葉は ” 懺悔 ” を象ったシルエットのようだった。
その一つ、ひとつの輪郭を残さずにすべて受け止めなくては、と思った。さもないと、今度は彼女がおかしくなってしまいそうだったからだ。
早く、重い荷物を下ろして、彼女を楽にさせてあげたかった ―。
「逢子さん、あまりご両親のことは責めないであげてください。それも、シュ…、お兄さんに対する愛情表現のひとつだったんです。大切な人の突然の死を誰かのせいにしてしまいたいという気持ちは僕にも分かります。お父様やお母様にとって、僕はシュンを奪った人間に変わりはない。だから、僕のせいにするのが、一番、ちょうど良かった。それに、あの時の僕は、少し、強引だったと思う。死に目にシュンに会えなかったことが、どうしても、どうしても心残りで…」
そう言うと、彼女は「…、本当に、本当に、ごめんなさい」と、呟くように、何度も何度も謝った。
「いいんですよ。僕はもう、大丈夫だから」と、俺は逢子にそう告げた。
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