【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第9章:夏の雨 ⑥
それから、しばらく二人は黙り込んだ。
クロノスの店内には、スキータ・デイヴィスの『この世の果てまで』が流れていた。愛する者との別れの哀しみを歌う、1960年代のヒットナンバーだ。
その意味深なBGMは、どう考えても ” 空気が読めないマスター ” の、ミステリアスな選曲に違いなかった。
沈黙を破ったのは、逢子だった。
「生前、兄はよく『僕は幸せ者なんだ』と、言っていました」
「…、幸せ者…!?」
「はい。『相手がもし先に死んでしまったら、僕はどうやって生きていけばいいか分からなくなってしまう。そんな風に心の底から思えるパートナーと、この時代に、この世界でめぐり逢うことができて、本当に幸せだった…』、と」
泣かせること、言ってくれるじゃないの…。
そう言って、俺はおどけてみせた。らしくもないが ” 変顔 ” でも作って、シュンの妹を本気で笑わせようとしたほどだった。そんなことでもしないと、彼女の前で涙を流してしまいそうだったからだ。
「きっと私は、そんな兄に嫉妬をしていたのだと思う。当時、私にもひとまわり以上年の離れた恋人がいたのですが、ふたりのような関係にはとてもなれそうになかったから…」
淡く切ない、逢子の遠い初恋を、俺は黙って聞いていた。
「先生とお兄ちゃんみたいな恋愛を、私もしてみたかったな…」
と、彼女は言った。
「ううむ。僕らの関係が、世間様に誇れるようなものだったのかどうかは、謎だけど…」
「でも、もう誰にもかなわない、っていうほど、一本の太い幹が、ふたりの間には存在していたと、思う…」
と、甘い、小さなえくぼを作って、逢子はそう言った。
「…、一本の幹、か…」
それは、サトシがこの世で一番、手に入れたがっていた「何か」であるような気がしてならなかった。
いつの日か、逢子もその「幹」を探すため、旅立つ日が来るのだろうか。
「幹は強ければ強いほど、折れた時に、どうしようもなくなるんだよ。そして、その幹は折れたままで、絶対になくなりはしない…」
と、俺は他人事のように言った。
それから、今の逢子にとって、一番、相応しくない言葉を捧げた。
「…、けれども、それは決して ―」
*****
数日後、逢子からスマホに連絡が入った。
俺の「コラム集」が ” 来春 ” 出版されることが正式に決まったらしい、という報告の電話だった。
素直に、嬉しかった。
*****
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