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【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第2章:吊り橋 ②


「それより、時子ママ。アノヒトの話をシュンにしてやってよ~」
「いやよ~」

 彼女は話すのを躊躇していたが、本当は話したくて話したくてしょうがない、そんな素振りを見せていた。
「どんなお話なんですか?」
 と、僕が言うと、
「とってもつまんない話よ」
 と、気怠そうな表情を浮かべながらも、
「20数年前に付き合っていたあたしの元彼が、今、芸能界で働いているっていう話…」
 と、40字以内で要約して話してくれた。

「それはすごいですね!もしかして、僕も知っている人ですか?」
「さあ、どうかしら~」

 時子は酒棚の隣にある小さな引き出しの中から一枚の写真を取り出して見せてくれた。四隅が軽くカーブしたその古い写真の中には、可憐な着物姿の女性と筋骨隆々なグッド・ルッキング・ガイの二人がニューヨークの摩天楼をバックに並んで写っていた。

「その真ん中の着物女があたし」

 誇らしげに話す時子の20年前の姿は、雑誌『ヴォーグ』の表紙を飾るモデルたちと遜色なく、圧倒的な美を手中に収めていた。それはもう、背景に写り込む「クライスラー・ビル」の優美な幾何学性ですら、見劣りしてしまうほどに。

「ママ、すごいだろ?」

 若かりし時子の肩を抱き寄せるそのクールな男性は、今や誰もが知るハリウッド映画の大スターだった。彼と時子が恋人同士だったという ” 史実 ” を聞かされた瞬間、眩暈めまいを起こしそうになった。

「別にすごくないわよ。暗闇の ” ティールーム ” でキスをした相手がたまたまその彼だった、というだけのこと。その日はラスベガスのカジノで大負けした後のことだったからよく覚えている。くさくさしていた一文無しのあたしを見かねて、神様が天からビリオン・ダラーを降らせてくれたんだと思うわ。あの夜は特別に月が綺麗だったし…」

 時子の言葉は諧謔的かいぎゃくてきだった。そして、どこか夢を感じさせるものだった。そういったユーモアを持ち合わせている彼女だったからこそ、ハリウッドの空で輝くスターのお眼鏡にかなったのだろう。
 そういう世界の人間と時子は、ぴたりとはまる。

「ママは、ホント美人だったからなぁ。今は…」
「何よ!今は…、って。こんなカビが生えたような髪の色をしているからって、ヒトを妖怪呼ばわりするんじゃないわよ」
「いや、俺は別にそこまでは言ってないんだけど…」
「あぁ、もしも彼と今でも関係を続けていたら、ビバリーヒルズで大勢のセレブたちに囲まれて夜な夜なパーティー三昧っていう人生もあったのかしら…。そうだとしても、あたしはきっと ” 悪役ヴィラン ” の役目を果たしていたんでしょうけど…」
「自分で、” ヴィラン ” って言ってるし…」

 時子と有季は、姉と弟のような関係にも思えた。時子は自分に毒づく有季のことを生意気と思いつつも本気で可愛いと思っているのだろうし、一人っ子の有季にとって、彼女は本当にお姉さんなのだろう。時子は彼の本当の笑顔を引き出せるような魔力を持っているように思えたし、笑えば許してもらえる、という、確たる自信を手にしている有季のあざとさも、今までに僕が見たことのなかった一面だった。

「ところでシュン君、知ってる?ユウちゃんって、昔は、結構な遊び人だったのよ」

 時子は絶妙なタイミングで、心の波を荒くする。

「あたしは、ユウちゃんが大学生くらい?の頃から面倒を見てあげてるんだけど…」
「ママ、急に何を言いだすのさ」
「…、来る度に、相手が変わっていたのよ。ユウちゃんもなかなかやるわよね」

 彼女は ” ユウちゃんの武勇伝 ” をつらつらと間断なく話し続けた。立て板に水というのは、まさにこのことを言うのだろう、と思いながら左耳で聴いていた。有季の「はい、今日はここまで。ママ、チェックね」という号令がかかるまで、彼女は永遠に話し続けた。

「じゃ、ママ、またね」
「久しぶりにユウちゃんと会えて嬉しかったわ。シュン君も来てくれてありがとう。あの話の続きは、今度また来た時に話してあげる」

 彼女はほっそりとした透明な手のひらをひらひらとさせて、僕らを見送った。

*****

「どうだった。時子ママのお店は?」
「うん。楽しかったよ」
「それなら、良かった」
「なんだか、特別な場所、っていう感じがした」
「特別?」
「有季と時子さんの関係が、特別な感じに思えた…」
「別に特別なんかじゃないよ。ただ、付き合いが長いだけ」

 遠くの街々の冷たいイルミネーションを見つめながら、有季はそう言った。

「でも、二人の掛け合いというか、息がぴったりと合うその感覚が、とても羨ましかった。…、もしかしたら、僕は嫉妬しているのかもしれない」
「可愛いこと、言ってくれるじゃないの」

 有季は、僕の頭をゴシゴシと無造作に撫でた。

「僕って、つまらない人間だよね…」と、独り言のように呟くと、
「いいんだよ。シュンはそれで」と、彼は言った。

 小さく頷くと、有季はまた、僕の頭をやさしく撫でてくれた。そして、駅へと続く賑やかな親不孝通りを、ふたり並んで、朗らかに歩いた。

*****

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