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【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第3章:真っ暗 ③


 ベッドの中で悶々もんもんとしてから、何時間くらい経っただろう。

 玄関から「ガサッ」という新聞の投函音が聞こえた。遮光カーテンをすり抜けて、馬のいななきみたいな配達バイクのエンジン音も、耳に届いた。 

 午前6時。夜明けはもう近い。

 カーテンを開けて、窓も開けて、厳かな真冬の空気を全身に浴びた。
 透明な四角いキャンバスの向こうにある黒一色の世界は、マレーヴィチの抽象画みたいだった。

 洗面所で顔を洗う。冬の朝の水はスコットランドのように冷たい。
 即座にレバーを回して、温水に変える。甘やかされた現代人は機械的な温もりにすぐ頼ってしまう。
 透明で真っ白な湯気がもくもくと立ち上った。うっすらと曇りかけた湖には不機嫌そうな男の顔がおぼろげに映っていた。
 洗顔前にセットしておいた電気ケトルの口からは、イエローストーンの間欠泉の如く、水の分子が勢いよく噴き出している。
 粉末のインスタントコーヒーが入ったタンポポ色したマグカップにお湯を滑らかに注ぎ、5分間待って、その液体を空腹の胃の中へ、ぐいっと流し込む。

「シュン、おはよう…」

 背中に聞きなれた声が、そっと届いた。

 心なしか、寂しそうな声をしていた。深夜のあの一件を悔やんでいるようにも思えたし、何か、言いたげでもあった。

 僕は彼とまともに話せる状態にまで、こころが回復していなかった。これが最後の会話になることも知らずに、無言を貫いた。
 そして、革靴を履き、後ろも振り向かずにドアを閉め、足早に勤務先へと向かった。

*****

 この日は、ずっと雨が降っていた。

 降っていたと言っても、降水量が1〜2ミリ程度の小雨だったこともあって、傘はささずに家を出た。
 道中、胸ポケットの中でスマートフォンのバイブレーターが鳴動めいどうした。それは、有季からのメールの受信を伝える振動だった。
 僕は内容を確かめることもせずに、黙ってポケットの中にスマホをしまった。

 その直後、突然、一匹の「猫」が、僕の行く手を横切った。目の前に現れたのは、縞々模様をした ” キジトラ ” だった。

「うわっ!」

 つい、そんな声をあげてしまうほど、めちゃくちゃ驚いてしまった。この猫は、一体、どこからやってきたのだろう。
 そのあまりにもサプライズな展開に、こころが一旦、リセットされた。
 さっきまで脳味噌でうごめいていた、カッチカチに凝り固まったたちの悪いモンスターは、いつのまにか、どこか遠くの国へと旅立っていた。

 ほどなく、何だかわけのわからない、真っ黒で冷たい雑然とした気配が、とんでもないスピードで僕の身体に飛びかかろうとしているのを背後に感じた。
 バイオレンスが、雨音を消し去る。針のような雨のスクリーンにトパーズの粒子が乱反射している…。

「えっ、何!?」

 振り向いたその瞬間、僕は津波のような大きなかたまりに押し流された。ほぼ同時に、アンキロサウルスの尻尾で殴られたような激痛が、身体中を駆け巡った。

 ほんの一瞬、鼠色をした暗い空も見えた ―。

*****

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