人はなぜ悲しい話を読みたがるのか?と思わずにはいられなかった本を読んだ話
この前、ある本を読んだ後に、Googleで検索してみた、「人はなぜ悲しい話を読みたがるのか」。なぜなら、この本が悲しい話で、最初にあらすじを知っていたら読まなかったので、悲しい本と分かっててこの本を手に取る人というのは、どうして読みたいのだろうかと不思議に思えてきたのです。
「En dag vil vi grine af det」Thomas Korsgaard著
注:デンマーク語で書かれたこの本、英語にも日本語訳にもされてないし、この本を読もうと思ってる人がこのブログを見てる可能性は低いだろう、ということで、完全なネタバレがあります。
これは主人公が最後の最後で自分に呟くセリフ、それがタイトルになっている。
主人公は、高校2年生の男の子Tue。家族は、生肉工場や何でも屋の仕事などで年中働いて家計を支える父、腕の手術ミスで働けなくなった母、中学生の弟と小学生の妹。父はナヨナヨして(いるように父には見えるのか)反抗的なTueが気に入らず、何かにつけては怒鳴ったり脅したり殴ったり。母は体調不良からくるのか、精神も不安定で、一日中テレビをつけたまま寝たりテレビを見たりする日もあれば、最近できた不倫相手のところまで出かけたり、ともかく育児と家事を完全放棄。母は不倫のことをTueに話して、父親に言わないようにと釘を刺す。両親が離婚するのではないかという不安、母への愛と同時に、家族を放棄して自分のことしか考えない母への怒り、抑圧的で支配的な父への嫌悪感、自分自身のセクシャリティへの困惑、など、それらの感情のせいでいつも不安定なTue。
ともかく読んでいてしんどい。暗い沼の中をひたすら彷徨っているような気分。
精神が不安定で(だからなのか、タバコを異常な量吸う)、授業もサボりまくってたTueは、いつものようにキレた父親が「出て行けよ」と怒鳴り、その後母が、Tueのためには家を出た方がいいと後押しをし、結局黙って家を出る。唯一の友達が生活している寮に潜り込むが、親は電話もかけてこない。母の父親が家庭内暴力を振る人だったのだが、実は母もTueが幼い頃に体罰を与えていた。家族の中で唯一Tueを心配する母の義理の父が、大丈夫か?と手を差し伸べるが、母を裏切るように感じたのかその手を振り払う。また、同世代の男女数人と交流を持つが、機能不全な家族がもたらす心の傷と自身のアイデンティティへの困惑からか、いつも失敗に終わる。そして最後に、コペンハーゲンに新境地を求めて引っ越すところで話は終わる。(Tueの地元はユーランド半島の田舎町)
今までの生活と親から物理的に遠く離れた場所で新生活を始めるのはいいアイデアだと思う。ただ、知り合いが誰一人おらず、高校中退で、お金もない子が、物価の高い都会でどこまでやれるかはTue次第だろうけど。
冒頭のGoogle検索結果。「人はなぜ悲しい話を読みたがるのか」
なのだそう。もちろん、これは一つの考え方であって、皆が皆この考え方で読んでるわけではないだろう。あと、この本が単純に「悲しい話」で一括りにできるものではなく、もう少し他の要素も入っているのだが、ともかく、最初から一番最後まで沈んだ気分で読み終えたのは久しぶりだった。何もかもが上手くいかないTueがひたすら痛々しくて仕方がなかった。
そして読み終わって、Tueに比べたら私の10代生活はずっとマシだった、有難いなー、とは全然思えない。他の人の感想を聞きたくて検索したが、私が検索した範囲内では、「よく描けてる」、「構成や文体が素晴らしい」、などがほとんどで、話の内容自体はどうなのかが書いてあるものが1つしかなかった。その1つは、なぜこの人はこうしたのか?、なぜこうしなければならなかったのか?、など色々考えさせる話だから良かった、のだそう。
確かに、自分とは異なる生活環境や家庭環境、他の人の生き方を知る機会になるのは良いことだと思う(この本は著者の実体験が元になっているそう。どこまでが実体験かは分からないが)。私が思う読書の醍醐味の1つである、自分がよく知らなかった世の中の一面を知れること、関心を持つきっかけになること、という点では、最初から最後まで沈んだ気持ちになったとしても意味はあったのかな。
意味はあったとしても、やっぱり読んで良かったなとは残念ながら思うことはないかな。自分の生活で手一杯で、これ以上沈んだ気持ちはちょっと荷が重い。Tueが言ったこの一言に通じるかも。
自分が一杯一杯の時には、何でもかんでも読めば良いってもんじゃない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?