ワールドカップが「割れ目でポン」になった日

ワールドカップが突然「THEわれめDEポン」(麻雀番組)になった。ポーランド戦の後半35分以降を見ているときは、これはスポーツじゃないと憤った。しかし、冷静になって考えると、西野監督の勝負師としての判断は並大抵ではないと思い直し、書き連ねてみる。

やらない方には分からないと思うが、麻雀には2着をねらう局面がよくある。あれが「割れ目でポン」であれば、「西野さん、2着ねらいに切り替えましたね。ベタ降りして流局を待ちます」と解説が入る場面だ。降りる(自分があがることを諦め、相手に当たりを振り込まない打ち方)タイミングや仕方の判断は上手な打ち手の証明だが、まぁ、たいしたことではない。たかが麻雀ですから。

しかし、これがワールドカップとなると、話は別だ。世界では文字通り何億という人が見ていて、国内では一億総評論家が負ければ批判し、勝てば手のひら返しする。そして、西野監督は決勝トーナメント進出がかかった痺れる局面で、これ以上ないくらい批判を受ける戦術をとった。なぜか。勝負師としてのゴールが明確だからだろう。日本サッカー界がまだ目にしたことのない、ワールドカップ・ベスト8。ここに到達することが、彼のゴールだ。そして、この大目的に至るすべてのことはその手段だ。メンバー選定も、チームビルディングも、複数のフォーメーションも、そして、第3戦の残り10分の戦い方も。

強豪に1勝1分けという非常に良い流れのなかで、彼はスタメンを6人変えた。批判の大きかった川島を前日の公式インタビューに帯同し、「明日も出す」という明確なメッセージを内外に出したうえに、キャプテンマークまでつけさせた。これらに共通するのは、批判されるリスクの非常に高い戦術ということだ。結果を出しているメンバーをそのまま先発させ、ミスが続いているキーパーを変えた方が、目先の勝利確率は上がりそうだし、負けても大きく批判されることはない。

ちなみに、極端な戦略を取ることは、どんな仕事でも「批判リスク」が非常に高くなる。経営で言えば、身の丈を超えるM&A、伝統ある事業からの撤退、突拍子なく見える新規事業への進出。常識の延長線上にない戦略には、やらない方がよい理由を簡単に100個並べられるのだ。そして、失敗すれば「ほら言わんこっちゃない」と言われ、失敗者の烙印が押される。だから、普通の人はその選択肢を排除する。

しかし、彼は、もっとも批判リスクの高い選択肢を選んだ。根底にあるのは、「ベスト8(もしくはその先)に行く」という揺るぎないゴール設定とそこへの道筋に対する、勝負師としての判断だろう。

当然ながら、ベスト8に行くためには、決勝トーナメントの初戦を勝たなければならない。日本はここを勝ったことがない。グループ・フェーズから短期間で4試合目となるこの試合に、ベスト・メンバーがベスト・コンディションで臨むのは、どの国にとっても簡単ではない。誰かが怪我を抱えたり、イエロー2枚もらったり、ガス欠になったりする。だから、ポーランド戦では、引き分け以上の結果を出せて、かつ休ませたいメンバーを休ませる戦術を取ったのだろう。目標をグループ通過に置いてたなら、絶対にスタメンを大きく変えなかったはずだ。

そして、その戦術は裏目に出た。まるで機能しなかった。しかし、そんなことは、生きてりゃ、仕事してりゃ、麻雀打ってりゃ、日常茶飯事だ。「ホンイツに染めようとしたけど、普通にメンピン打ってりゃあがってた(麻雀しない人、ごめんなさい)。」あるよね。

裏目に出た局面で、限られた選択肢しか残されてないなかで、どうするか。ここで勝負師としての力量が問われる。ワールドカップのグループ突破がかかるような局面は、普通の人生には回ってこない。しかし、西野監督にはやってきた。後半35分、0-1ビハインド、セネガルも0-1ビハインド。ここで、自分が1-1に追いつく可能性と、セネガルが1-1に追いつく可能性のどちらが大きいか。追いつこうとした時のリスク(カウンター取られて0-2)はどうか。そう考えた時に、彼としてはもっとも合理的(グループ勝ち抜けの可能性が高い)な選択肢をとった。それは、批判リスクのもっとも高い選択肢でもあり、セネガルがコロンビアに追いついた日には、「Chicken Nishino」として世界に名を残すことになる。が、勝負師はそんなことは気にしない。

そして、結果がすべての世界で、西野ジャパンは、最初の関門を突破した。大きな議論を巻き起こす奇手(西野監督にとっては合理的選択だったが)によって。

チームの精神状態を心配する声もあるだろうが、彼は勝負師としての側面だけでなく、チームビルディングのスキルも持ち合わせているはずだ。これだけの短期間に一体感あるチームをつくり上げたのだから、その心配はないだろうと思う。

それにしても、スポーツの試合は、時々格好の議論のテーマを提供してくれる。2007年に中日の落合監督が、日本シリーズで8回まで完全試合をしていた山井に変えて、9回に岩瀬を投入したことがあったが、これも同根だ。勝負事として突き詰めて考えた時に、もっとも合理的(勝つ可能性の高い)な選択肢が、ロマンやスポーツマンシップ、エンターテイメント性という側面から見ると、とてつもなく不条理なことがある。スポーツマンシップを大目的に置く人にしてみれば、「あんなのはスポーツじゃない」ということであり、エンターテイメント性を最重視する人には「わざわざロシアまで応援に行った人をなめてるのか、金返せ」ということになる。どちらが良い、悪いのではない。ゴールと価値観が違うのだ。

通常の局面であれば、勝負に徹すること、観客を感動させること、スポーツマンシップに則ることは両立する。しかし、まれに「究極の選択」を迫る状況が、スポーツにも、麻雀にも、人生にも訪れる。その時、何を優先させるか。

稀有な勝負師である西野監督にすれば、本意ではないが、これでいいのだ。彼は、次に勝たなければ、結局批判にさらされることも知っているし、次に負けたって何の言い訳もしないだろう。僕も残りの10分は不愉快だったけど、夜中の3時に起きて歴史を目撃できるかもしれない機会をくれたことに、そのために行ったとてつもない腹のくくり方に、敬意を表するべきだと思い直した。

それにしても、この事象を「フェアプレー差で日本の勝利」と呼ぶ皮肉は、なかなかよくできているなあと思うのであった。

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