時代の終わり始まり
久々の投稿をしたくなったのは、さらっとは終えられない今の俺の感情にあるんだろう。
武藤選手が引退した。
ABEMAのさわりを見ただけだったけど、入場シーンを見ただけで18歳の頃のあの気持ちが蘇ってきて心ガクブル状態に陥って、休憩中に目頭が熱くなった。
今から25年近く前かな、とにかく燃えた。
燃えるしかなかった。
俺の中での中学最後のサッカー大会が終わり、「刺激」を求めてたまたま見つけたX JAPANも解散し、その後たまたま見た橋本×小川戦でハマった新日本プロレス。そこから黒のカリスマ蝶野さん、武藤さんの闘魂三銃士まで行きつくのにそう時間はかからなかった。
青春の1ページ
あの頃のあの興奮は何だったのか。
キスをすることすら覚えたてのあらゆることを欲しまくってたティーンエイジ。未成年の憂鬱はマックスを越えていた。
生きてること全てに物足りなさを感じ、社会や自分の人生に絶望していたのもまた10代後半だったSEX、DRUG、ROCKンロ-ル。
バンドはしていたけど、ドラマも丁度面白いものがなくなってきたタイミングで、ドリアン助川さんの人生相談ラジオと、テレビで言えばプロレスくらいしか楽しみがなかった。
特に破天荒の代名詞「破壊王」橋本真也、この人の影響を大きく受けた「黒のカリスマ」蝶野正洋、そして今回引退試合を三銃士としては初めて行った「天才」武藤敬司だ。
あれだけ絶望の丘で立ち尽くしていた自分に、なぜか闘魂三銃士の試合は面白い人生を魅せてくれた。俺が求めていた熱い何かがそこにあった。
体制にたてつき、破天荒なまでに人々を魅了し続ける中心にいたジーニアス武藤敬司選手が昨日東京ドームで引退した。
今でも勇気をもらえていた事
何本も積み重ねたワールドプロレスリング専用のビデオテープ。
今出こそネットやyoutubeなどで何でも見れるようになった時代。
名勝負は手軽に見ることができる。
今出こそ未成年の子たちの人生相談にも乗り、死にたいと繰り返す若者たちに人生の奥深さを伝えているが、何よりもその気持ちは強く共感したから今の俺があるんだろう。
これまで世界中を周り、あの頃からは想像もできないくらいの人生の真っただ中で動き回る自分だが、10代の時はそうはいかなかった。来る日も来る日も良きイメージを持てずに、今考えたら自分から闇の世界へどっぷりハマって、むしろ出ようともしていなかったのかもしれない。
人生思ったままにしかならない。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」、引き寄せの法則「ザ・シークレット」、イ・ソユン氏の「THE Having」でも言う通り、量子力学的に見てもその人の強く思ったイメージが目の前の人生、ひいては世界を創り出す。
だれがどんなものや人に見せられて感動や憧れを抱くのかは違うと思うけど、僕の場合は常識を覆す有言実行のかっこいい大人の姿としてプロレスが確かにそこにあった。
25年後の俺と17歳を生きる人との今
武藤さんに憧れ、いまや新日本のトップスターとなった内藤選手もその幸せを体感している。一つの時代が終わり、新たな時代に託された。
最近見つけたヴィジュアル系のロックバーでBASSを弾き、何が好きだったと昔の憧れを語る中でも似たような経験をした。
何か知らんけど感情や性格まであの時に戻る不思議な感覚。今では人とのコミュニケーションも大好きになれたのに、17歳の頃の自分は本当に自分も周りも世界をも大嫌いだっからこそ、全くできなかった感覚。
そんなものを今相談相手の若者たちから感じる。
勿論素直に受け取ってくれる人もいれば、俺の話を聴いていたのかと思うくらい一方的西へのあこがればかり話してくる子もいる。
無理もない。俺自身、そういう大人と身近で出会うことが出来なかった。どんなことをしたいとかも特になく、とにかく目の前に置かれた現状を呪った。今思えば自分の欲しかったものしかなかったはずなのに、全くそれらを素直に受け入れられなくて、どこまでたってもスネていた。
今だからこそあの時ドリアンさんが言っていた「ゆっくりいこうぜ!」という言葉がすんなり落ちる。自分にはどう逆立ちしてもできないことを蹴散らしていく闘魂三銃士の方々が眩しくて、現実逃避で重ねていた。
けどこれも早かれ遅かれ、諦めずに生きてりゃいつか必ず気付くこと。
何年後かわからんけど、確実に言えるのはそれらの気付きは明日か、今すぐにだって得られる学びと変化が必ずある。それだけは断言できる。
それらを見せて想像させてくれる大人が遠くにも近くにもいることに、今宵は改めて感謝したい。そして武藤選手、38年間お疲れ様でした!
さあ今からでも、更に自分のセカイを広げて混ざれ。