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日日多謝

ここ最近なぜかアマプラでハマってしまったNARUTOを追いかけ、結婚記念日にかみさんと淡路島ニジゲンノモリまで行ってきた。一緒に出かけることがほぼなくなっている我らにとっては物凄い有難い日になった。とっくに終わっているアニメに今更ハマり、決してタイムリーではないその受け皿がまさか関西にあるのもまた巡り会わせ。

そんな俺ももう42歳になった。周りの仲間含めて嬉しい言葉をかけていただき、誠に多謝である。誕生日というものは実に久々の人らの幸せまで運んでくれるプレゼントなんだなぁ。

こんな相変わらずな自分ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

京都から高速で二時間。夢の島に辿り着き歓喜のアーシング


一昔前を今見る楽しさ

憧れの火影岩にて。夜までいたかった想いを胸にレンタカーを返しに行く

これまでにも「IWGP」「ハリーポッター」「鬼滅の刃」など、へそ曲がりな僕はリアルタイムではなく、ブームが去ってからタイムラグを帯びて一足も10足も遅れて人知れず名作にどっぷりつかるのが好きみたいだ。
今はまさにNARUTO疾風伝。いじめや差別、戦争の中で諦めずに大事にしているものを守る名作だ。さすがドラゴンボールやワンピースと並ぶジャンプ代表作。今更ながらここ数か月毎晩見ている。これもまた今風の楽しみ方なのかもしれない。

悲運な人生を背負い、激動の時代に生まれた人々が、諦めずに平穏な暮らしを夢見て命がけで生きる物語。人にものを教える偉大なる師匠の愛、様々な価値観と状況の中で采配していくリーダーシップ、壮絶なバックグランドのトラウマから成長していくキャラの立った登場人物、憎しみの連鎖が絶ち切れない戦争が繰り返される理由など、かなりのシンパシーを受ける。

それでも大事なのはいつだって一緒で、そこに愛はあるのかどうか。いつまでもひねくれて拗ねてる奴、何があっても信念を曲げない諦めざる者、温かくいつでも支え導いてくれる大人たちと、それに憧れ精進する若者たち。

熱いなぁ。やはりこうでないと話は面白くない。どんなに残忍な敵キャラでも悪ではなく、それ相応の理由もあるということを考えさせられる哲学的な話。だから今自分が置かれている人生ともぴったり合わせられるからこちらまで沢山気付かされる。そんな見方も面白い。


ココロオドル看板。お時間もお金も足りないな。

好きな時に、好きな人と、好きなことをしに、好きな場所へ行ける。

こんなことが俺らは自由にできる。
それでも、この人生でどれだけそういう時間を楽しめているだろう。
少なくともこの価値を、共に感じることができる人たちの中にいることができて幸せなのだ。
けれどももちろんそれらを共有できない人もいる。だからこそ面白いもんで、じゃないとこの価値は人々の中で上がっていかないのだ。
未だに熱中する人が多い名作叱り、僕らがこの世界のいい処を見つけるにはそんな時間も足りないくらいだ。
そんな共感を与えてくれる人や物語に出会えること自体が、その段階でもう既に幸福なんだろう。

敬愛する師匠の鏡「伝説の三忍」自来也様にやっと会えたの


関わってくださる皆様に感謝

最近であった心友から有難いサプライズをいただく

毎年嬉し恥ずかしいのが誕生日。この歳まで変わらず祝ってもらえるのが何より。そして大好物のテガミもいくつかもらえた。振り返りとこれからの展望が出来る節目なんだろうか。少なからずとも日頃の自分のしてきたことが反映される機会、今年も気付きと学びが多くあった。

これまでの付き合いと新しい出会い。日頃会っている人も会えずにいる人も、これを機にまた繋がり直せるのもまた有難い。

今の自分の波動にあった人しか関われないとはよく言ったものだが、ホンマそう。ここ西の都で毎日飽きずに刺激をもらい続けることができるのは日々関係性を築いてくれている大事な人たちのお陰様。未だ至らぬ点の多いことには反省の連続だけど、それでも気楽に励まし合える時間をいただいている。これだから人間は面白い。何歳になっても全て自分次第なのはみんな一緒なのだ。これまで戦争が終わらない世の中でも、それでも人は生きる。戦争もないのに死を選ぶ人が多い国でも。毎日なんかしかを選んで今がある。だからこそこれからも自由と愛と感謝を忘れずに生きたい。

そして忘れちゃいけないのが墓参りと両親への感謝だと思い、慌ただしい都会から人里離れた京都の北部へ一人向かった。

食べたかった味噌豚骨チャーシューをわざわざ淡路島まで食べに行く

新しい歳に見たいもの

物心ついたころから海を目指して歩いてた畑道@丹後神崎

夏になると京都の田舎に行っていた。ここでは祖父が開いていた海の家を継いだ母親が、今でも父親と二人で夏になったら切り盛りをしている。

パニック発作のため車に乗ることを控えている父が西舞鶴駅まで迎えに来てくれた。海に向かう車内ではこれまで聞いたことのない弱音を話してくれた。あくまで俺の反応はしっかり受け止めてくれなかったが、これでも10年以上口をきかなかった俺らにとっては上出来な時間だった。互いに歳をとった証拠だな。

浜に着いたらもう夏一色で、海開きまでに間に合わせようといそしむ浜茶屋をわき目に多くの人が既に海に入っていた。70前後の両親も体ボロボロにしながら細々と準備を進める。準備から手伝うのは初めてだったが、こんなことを二人でやってきてたのかとあっけにとられるほど炎天下の中での作業は止まらない。休憩のたびにまだ冷たい海に体を突っ込めては、近くにある墓参りも済ませて海と空にも手を合わせる。勿論こんなときしかじっくり話せない両親にも。
相変わらず言い合いばかりの中の悪い二人だったけど、そんな二人を見ていて自分がはっきり見えた。俺の親だけあるわ。身も心も元気がなくなったように見えたけど、なんか逆にそんな相変わらずなやりとりに安心した。おれもまだまだこんなことすら知らないことだらけや。

両親が営む丹後半島にある海の家の手伝いに。ハードな現状に愕然とする

新しい歳の抱負は、出来たらもっと挑戦できる場をつくる。周りの顔色に合わせるのはもう疲れたな。周りのニーズよりも俺のニーズを大事にしてなかったことに気付いたかも。そして想像力もチャクラももっと高める。

足りない所を見るより、在るものをもっと大事にする。新たな出会いは求めず、あちこち行かなくても引き寄せ合いたい。それくらいの影響力を放つ。

人と比べず、これまでやったことのない講座もつくる。この際ズームでもいい。仲間の門出にも協力して、これまでのつながりを活かしたリアルイベントも復活させる。まだまだやりたいことは止まらないが、なんと言っても船の再出航だ。

これもまた周りの人がいて成り立つ夢という名の生き甲斐。
自分に負けずに、これからも共に生きよう。
愛しき一つのものたちと。

俺の育った丹後半島の海にご先祖様の墓参りを兼ねてご挨拶。新たな決意

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