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大きな成功がきっかけで入るスランプというモノがある

最近は野村克也という人間の思想にメロメロで、色々と野村克也の本を読んでいる。

そんな中で「これだよな」と思う箇所があった。

プロ野球の監督だった野村克也は、ヒット専門で、ホームランバッターではない選手がまぐれでホームランを飛ばした時、選手に「怒る」という行為をするらしい。

その理由として、多くのヒット専門型のバッターがホームランを打ったことでスランプに入ってしまうからだと言うのである。

これは興味深い。一般的な世間論として成功を重ねて、自己肯定感を得てどんどん前に進んでいく、というのが言われがちな昨今の中で「成功がスランプの入口になる」という思想はしっくり来た。

ヒットがメインのバッターがなぜまぐれホームランをきっかけにスランプに入ってしまうのか。

まず、過去にホームランを飛ばした事で「あの大きな成功がまた体験できるかも」という期待をしてしまい、自分の能力に見合わない大きな行動をするようになる。

大きくバットを振ってしまうとか、追わなくて良いボールを追いかけてしまう。つまり欲が出てしまう。

そうやって上手く行かなくなってくると「前の自分はホームランを打てていたのに」という思考にシフトしてくる。

そうなってくると過去のホームランを打てた自分をどうやって再現するかという考え方になってくる。

もうこの時点で弱いのである。過去の自分をいかに再現できるか。この考え方はあまりにも弱すぎる。なぜなら思考が真似の発想だからである。マネをするという時点で劣化した模倣にならざるを得ない。

そのホームランをまぐれで打った時には自分がどう上手く打てるかしか考えていなかったから上手く行った。つまり今に集中していたワケである。

今に集中する人間と、過去の模倣で過去ばかり見る人間。パフォーマンスの違いはここで明確に分かれる。

かくして人間は、大きな成功を通してスランプに突入する。成功体験を重ねて成長するという一般的な世論はこれにて崩壊するワケである。

この状況を僕はクリエイティブの現場でよく見る。漫画の世界でも音楽の世界でもこれだけ上手く行ったのになんでダメになっちゃったんだろう。という言われ方をするクリエイターがいっぱいいる。

そうじゃないんだな。成功こそがスランプの入口。これを言う人間は決して多くはない。けれど、大きな成功こそが人間の意識を曇らせる。ここに気をつけなくてはならない。

心が強く持てば、という話でも無いらしい。本によるとイチローですら1試合で2回ホームランを打った後には3試合連続ノーヒットだったらしいのだ。

デカすぎる成功には気をつけたほうがいい。

人は成功を簡単には忘れられない。成功は時にして成長を止め、過去に人を縛る悪となる。

成長の難しさはまさにここにあると思う。創作をする人も、何かの技術を磨く人も、一度成功の持つ危うさについて考えて見て欲しい。

それじゃあまた。


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