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祭り

地元で4年ぶりに祭りが開催された。
最後に祭りが開かれたのがコロナ前の2019年の10月。
当時大学3年生。1週間後に陸上の引退レースを控え、酒を飲むことや、祭り後の疲労等を考え、行くのを迷っていた。ただ、大学生ということもあり、日程的にも精神的にも余裕があったため、まぁ少々のことはええわという心持ちで地元に帰ったことを思い出す。それを最後にしばらく祭りは休止していた。そして今年祭りがあるという情報は聞いていたが、東京を拠点に活動している僕からして、帰るのしんどいな〜と今年は出ないと言っていた。
ところが、神輿を担いでるではないか。何があったのか。

「おみゃ〜何しょんな。暇しょんなら帰ってけぇ。」
1日目の前夜祭を終え、打ち上げも締めにかかろうかというPM11時に広島から電話がかかってきた。
「明日何しょん、帰ってきぃや。」
2人の幼馴染の声が聞こえた。

2人の同級生からの電話を聞いた時には少し揺らいでいたが、4年ぶりに地域の人に会えるし、何しろ、電話をくれた2人に久しぶりに会えるってことを考えると行かない理由はないと、トイレで思った。というか、面倒より、帰ってこいって言葉を待ってたのかもしれない。
(もし、ここで帰らんかったら次はいつになるかわからんし、加えて、次帰る時に地域の人がおれのこと覚えてないだろな。)
よ〜し、帰ろう〜。

予定より遅くなったが、朝東京を発ち、広島に向かった。
着いた頃にはあと3時間で祭りも終わるというところだった。
4年ぶりに会う人たちはこの人誰?っていうのと、名前何だったけな〜というのが多かった反面、幼少期からお世話になった大人、同級生、馴染みのある年下はほんと何も変わってなくて、合流した時も、
「もうちょいはよ帰ってけえ」といじられた。
「お前らが帰ってけぇ言うから帰って来たんやで」と、自分をヒーローのように仕立て上げたが、「言われんでも帰ってけぇ」と一蹴される。
そうそうこの広島弁で捲し立てられる感じ。

そしてフレッシュな状態で帰ってきた僕は神輿に潜る。
親譲りの身長もあり、神輿はいつも先頭だ。神輿の先頭は人目につきやすいのもあって、「お〜い、帰ってきたぞ〜」と言わんばかりに胸を張る。そんなのも束の間、顔が男梅になる。神輿が重すぎる。
(4年ぶりといえ、こんなに重たかった?
5時間の移動で体が凝り固まっていたとはいえ、こんなに重たかった?
これ1日大人は担いでたのか??)
直前に飲んだビールも回り、顔が一気に熱くなる。
重い、重すぎる。肩甲骨外れそう。
「空いとる人、1番前来て!」見かねた船頭が声をあげる。
そして一回り年上の人とチェンジすることになった。
(まじで、おれは何しに帰ってきたんや。)

よ〜し次こそは頑張るぞと、神輿に潜り、音頭に呼応して自分を奮い立てる。そこからは何とか耐えに耐える。
終盤を迎え、ボルテージも上がる。ただ、相変わらずめちゃくちゃ重たい。
境内に入り、担いだ状態で走りながら1周する。これがまた体にズシンズシンとくる。歯を食いしばり、わっしょいと声をあげる。終わりが見えてきた。
神輿を祭壇の前に置き、1周ダッシュをする。
(あ〜身軽だ、身軽だ〜。おれは帰ってきたヒーローだ〜。)
そして祭壇の前に整列し、2礼2拍手1礼をする。
少しの静寂の後、お疲れ様でした〜!と拍手が沸いた。

「ありがとうな。」
あまり喋ったことのないおじちゃんに肩をポンポンとされた。
(いや〜こちらが言いたいくらいです〜。少し担いだだけでヒィヒィ言ってたおれになんて言葉をかけてくださるんだ。1日担がれて、お疲れなところお気遣いありがとうございます。。)
この言葉を聞いて、あ〜帰ってきてよかった〜と胸が熱くなった。

祭り後、公民館で打ち上げがあった。祭りの時にはまともに話せなかった人とも久しぶりに話せたり、何より、頬が筋肉痛になるほど笑った。
年齢関係なくフランクに話せるこの感覚が懐かしくて、ずっとこの空間なくなってほしくないな。

打ち上げ中

少し堅く書こうか。
今年は久しぶりの開催ということもあり、幼稚園〜小学校の子たちはそもそも祭りが初めてだった。それに加えて、子供会が消滅して、地域のつながりがより希薄になりつつあった。
そこで、8月、9月に太鼓の体験会を開いたり、1週間前から、町民が集まって練習や、準備をされていたと聞いた。
その中、地元にいる兄貴や同級生がいて、頼もしく動いていた。
そういう人たちのおかげで自分も帰って居場所があったし、祭りも無事開催できたことを思うと、本当に感謝している。

そしてこれから地域が活性化するには僕たちの世代がもっと自我を出して活動していくのもそうだが、いつでも帰ってこいよ〜、という空気感と実際に帰ってきたぞ〜という両方も大事になるんじゃないかなぁと思う。
自分の行動を正当化するような言い回しにはなったけど、本当にそう思った。微力ながらもいることに意味があると痛感したからだ。

実家にいる時は祭りに出るのが当たり前と思っていたけど、離れると、今年はいいかなぁ〜って他人事の気分にもなる。
だから、帰ってけぇって言ってくれる地元の友達のありがたみと、よ〜帰ってきたなと言ってくれる地域の方々の優しさが身に沁みた。

「おみゃぁ、広島弁全然使わんの〜。標準語ばぁで気持ち悪いわぁ。東京に染まってしもうたの〜。」

この言葉を地元で聞けたのは、嬉しかったのかもしれない。

なんたろーに。


2019
2023

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