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♯5 会話とオーダーメイドを巡る旅〜short finger 渡部まみさんを訪ねて〜 第四回

個人でカシミヤのセーターを作る

寺田:渡部さんは手編み以外にも、工場で作られているオリジナルのセーターなども販売されていますよね?ご自身で編むこととは色々違いがあると思うのですが、そのあたりを教えていただけませんか?

渡部:CA&Co.は、モンゴルの工場と直接やりとりをしている方の力を借りて作っているんです。元々、その方はカシミヤを作って売っているお店を鎌倉でやっていて、お客様に出すDMを作る人を探しているときに、たまたま主人のサイトを見つけて連絡してくれたんです。それで主人が、その方のオンラインやHPなどを手がけるようになって。
その後、その方からニットの仕様書を書ける人を探しているという話が出て、主人が私を紹介してくれて。それから、たまに呼ばれたら仕様書を書いて、なんて仕事をちょこちょこ続けていたんです。
そんなことをしているなかで、私にちょっとした事件があって。元々大好きで、一生ここのブランドのカシミヤを着ていこうって思っていたブランドがなくなる話を耳にしたんです。私、本当にはじめてブランドがなくなるって聞いて、動揺したんですよね。
元々、私はカシミヤがすごく好きで。自分で編み物をしているとすごく肩が凝るから、着込むでしょ。だけど、着込めば着込むほど肩が凝っちゃって、大変なことになるんですよ。そうすると軽くてあったかいカシミヤをちょっと着るくらいが楽なんです。それでアパレルのときから買っていたカシミヤをずっと着ていたんですよ。そのうちにn100(エヌワンハンドレッド)っていうすごい好きなブランドが見つかって。そのブランドのニットは、自分のサイズぴったりで、「これよ、これ!」と思って、ずっと着ていたんです。
それがなくなるって聞いて、どうしよう…ってなってしまって。
それで、もう自分で作るしかないって思って、その方に相談したら「やってみたら?」って、言ってくださったんです。
はじめは、その方の生産ラインのなかで、私がほしいと思うものをほんの少しだけ作るっていう感じでやっていたんです。それから、だんだん買ってくださる方が増えて、まとまった数をオーダーできるようになってきて。それが、この3〜4年かな。
はじめは本当に自分が着たいものがなくなっちゃって、どうしようって途方に暮れていたところからはじまったんです。それも、たまたま出会いですよね。

寺田:スタートはご自身で着るものがなくなっちゃった、困った、というところからだったんですね。

渡部:そうなんですよ。そのブランドのものは、いまだに大事に着ているくらいで。10年くらい前に買ったカシミヤのセーターは、つるつるになってしまっているけれど、やっぱり大好き。良い先輩方が良いものを作ってくださって、本当に感謝しています。そのおかげで、自分もこういうことが始められたから。
「一人でカシミヤを扱う」っていうのは、アパレルの人からすると意味がわからないことなんですよね。アパレルの同期は「まみちゃん、カシミヤやってるってどういうこと!?」ってびっくりしています。
カシミヤって、普通のアパレルでは商社やOEMを通して、中国の内モンゴルの工場のカシミヤを扱うことが多いんです。一回何トンとか、そういう風に発注しないとダメなわけで。それで、やっぱり日本でカシミヤを個人で扱うのはすごく難しくて。
その女性は、元々、モンゴルと直接やりとりをしているアパレルで働いていたんです。それで、そこから独立したときにすごく仲良くしていたモンゴルの工場が、「あなただったら直接仕事をするよ」って言ってくれたそうなんです。そんな方と知り合えたから、私はたまたま個人でもカシミヤのニットができたんですよね。普通に考えたら、カシミヤは個人でやるためのルートがないんです。

私が扱っているカシミヤは、外モンゴルのものなんです。工場長自ら、何百キロとトラックを走らせて、遊牧民のところに原毛を買い付けに行くところから始まります。そこでは遊牧民の人が飼っている山羊の毛を採っているので、本来のカシミヤのあるべき姿という感じがして、そういうところが良い。外モンゴルはロシアの横だからとても寒いので、カシミヤの毛もあったかい。カシミヤとしてのものの良さがあるんですよね。
ただ、糸を作る技術は、まだそこまで発達していなくて。いわゆる梳毛糸(そもう ※毛足の長い原毛を引き揃え、短い毛を取り除かれて紡がれた糸。毛羽がなく、滑らかで光沢がある)ができないんですよ。その点ではどうしても、日本の紡績屋さんで作った糸が良いなって思います。
うちは一番薄くても、紡毛の12ゲージっていうふわふわってしてるものが多いんですよね。本当は14ゲージとか16ゲージっていう、超ハイゲージの梳毛のカシミアができたら良いなって思ってるんですけど。そこまでは、モンゴルの技術が高まっていなくて。ただ、今はヤクの毛も使える。そこの強みを出していこうかなって。
外モンゴルの糸って、ロシアやヨーロッパやアメリカに、ほぼ行くそうなんです。原毛をそのまま買って、糸にして◯◯糸として売るっていうのがあって。原毛は同じなのに、糸を紡ぐ技術で、もう全然、糸としての表情が違うんですよ。イタリアで作ったものはつるんとしていて綺麗なんですね。モンゴルだと優しくて素朴な感じ。日本だと繊細で。顔がまるっきり違って、それも面白い。
うちの場合はモンゴルの素朴な良さが絶対に出るので、それが生きるデザインにして、やっていこうかなって。

来た波に乗る

寺田:これって順番が違っていたらできなかったことですよね?
たとえば、カシミヤのセーターを作りたいという気持ちが先で、「それじゃあ!」って動き出したら、なかなか難しかったのかなと思いました。元々のつながりがあったから、スムーズに進んだのかなと。

渡部:そうなんですよ。そう考えると、TOWN(タウン)っていうブランドも、同じような流れなのかもしれないですね。
私が葉山で活動していたとき、東京でアパレルの仕事をしていた同期のパタンナーの木地谷(きちや)くんが結婚して、鎌倉に移住してきたんです。そのタイミングで、彼も独立したんですよね。
独立した当初、私の家でお茶を飲んでいるときに、主人が「型紙出せるんでしょ?」って声をかけて。プロッターっていう実物大の型紙を出せる機械を持っているなら、型紙を販売したらどう、なんて話になって。
その頃、私は葉山のアトリエで洋裁教室をやっていて、生徒さんから「こんな洋服の型紙欲しいな」って声を聞いていて。そこから主人が思いついたみたいなんです。
木地谷くんも、良いね!ってなってくれて、TOWNが始まったんです。そんなTOWNも、なんだかんだで本を出版したりと一人歩きしていってくれているから、面白いですよね。

寺田:これも、きっちりした企画から始まったわけではないんですね。

渡部:そうそう。木地谷くん暇でしょ?プロッターあるでしょ?型紙販売したら喜ばれるんじゃない?なんていう思いつきから(笑)。
はじめは、私はあまり関与しないで、こういうデザインあったら良いんじゃないかなってことだけ伝えていましたね。当初は、主人と木地谷くんの二人でサンプルを作ったりで動いていて。それからイベントとかをするようになって、私もTOWNの方にしっかり関わっていくようになっていきました。

イベントでたまたま紹介していただいた文化出版の編集の方がTOWNのことが気になってくれたみたいで、そのあと「本を出しませんか?」って連絡をくださって。
そのあとも、TOWNの本でチェック&ストライプさん(※リネンやコットンのオリジナル生地、雑貨などを販売するお店)の生地を使わせていただいたご縁で、チェックさんでもワークショップをさせていただけるようになって。つながりができて、今でも仲良くさせていただいています。
私は、なんとなく落ちているものは全部拾っていくタイプで、絶対無駄にしないみたい(笑)。流れに乗るっていうのを大切にしていて、「来た波には全部乗っていこう」っていうのが信条なんです

寺田:拾ったものが、自分が経験してきたことや、自分ができることにつながってくるのがすごいですね。

渡部:この前、主人と話していたんだけど、主人は全然違うことにもポンって飛び込める人なんです。それを一気に勉強して自分のものにできる。だけど、私はそういうことができなくて。自分が今まで勉強してきたことの延長でしかできないんですよ。今さらITの仕事をしてって言われてもできない(笑)。いまだに昔学校で習ってきたことの延長でやっている感じです。そういうことしかできないんだけど、そこはちゃんと捨てずに大事にしていく。それが、きっと私の良いところなんだろうなって話になりましたね。新しいことはできないけど、ちゃんとしがみつくよねって。しがみつくのも大事じゃない?って。
全然違う畑から飛び込める人って憧れるけど、それは私には本当に難しくて。

めぐる来ること

渡部:話は変わってしまうけど、私が急に松本に帰ってきたタイミングで父が病気であることがわかったんです。やっぱり遠くにいたら、なかなか気になっちゃうばっかりで帰って来れないから、本当にタイミングが良かった。私がこっちに帰ってきて1ヶ月後に病院に行ったらわかったので。
それに、たまたま私が縫い子さんを探していたタイミングで、縫うことができる母の手が空いていて。
父が病気だと、母もそれが心配で落ち込んちゃうじゃない?でも、縫う仕事があるなら、気が紛れるし、父にも優しくしてあげられる。そういうのもなんかタイミングっていうか、めぐっているのかななんて思って。本当に不思議ですよね。

寺田:後付けのような気がしてしまうこともありますけれど、でも、やっぱり何かこうタイミングとかが噛み合ってくるようなことって、きっとあるんですよね。

渡部:そう、母も現役でバリバリ縫ってくれてね。

寺田:自分の経験やできることが仕事になるって良いですよね。それは年齢云々ではなくて。

渡部:年金生活になると、お金のことってどこかで不安があるんじゃないかと思うんです。母に縫製をお願いすれば私が縫製代をお支払いできるから、母もそれで張り合いが出ているみたい。「なんか買ってあげるわ!」なんて言って(笑)。心の安定とかを考えると、人は多少はお金が必要なんだなって思いますね。

寺田:働いて社会に関わる。そこから収入を得られるって、大事なことですよね。

渡部:今、もう一人縫い子さんが北海道にいて。ずっと仕事をお願いしているんですけど、その方も親御さんの介護が始まったりして、前よりも縫える量が減ってしまったんですね。そのタイミングで母に仕事をお願いすることができたから、それも良かったなって。
私は編む方に集中したいから、できるだけ縫うことは控えようと思っていて。だから、もう一人くらい縫い子さんを探しているところです。私は縫い始めたら、どんどん縫っちゃうんだけど、それはダメだなって。私、あんまり上手くないし。holo shirts.さんの縫製を見ると、もう美しすぎて…はい、すみませんって(笑)。窪田さんに会ったときには、「どうやって縫ってるの?」って、いつも思わず聞いちゃうもんね。

編集後記

渡部さんとお話した2時間半を文字に起こしていった結果、全4回、約25,000文字と、だいぶ長いインタビュー記事になりました。
もっとコンパクトにまとめるべきなのか?などなど…試行錯誤しながら書いてきましたが、最終的には、お話した内容はほぼカットしませんでした。
思わず、話が逸れてしまった。
そんなところにこそ、渡部さんの作品の魅力、渡部さんの人となりが垣間見れる。そう感じた、僕なりの結論です。

今回のインタビューをこうして形にできたのは、渡部さんの気づかい、思いやりに依るところが大きかったです。記事を書く僕のこと、その先の読み手のことを考えて、上手く先回りして話を展開してくださった場面が多々ありました。記事を書いていくなかで、「この話題をサッと切り出してくれたおかげで、ここまで掘り下げて話を聞くことができたな…」と、渡部さんの配慮に頭が下がりました。

常にその先にいる人のことを気づかう渡部さんの姿勢は、こうしたコミュニケーションだけでなく、もの作りにも確かに現れています。
渡部さんが作るニットを手にすることで、渡部さんならではの「人ありきのもの作り」を多くの方に感じてもらいたい。
それが、会話とオーダーメイドの仲間として、渡部さんの一ファンとしての僕の願いです。

心温まるサポート、もしいただけたらイベントでご来場者に配布する印刷物の充実や、出展者に美味しいものを差し入れしたいと思います。