環境の変化と我々に求められる事

前回述べましたが、大きな環境変化は我々の行動にも変化を求めてきます。
しかし、よく考えてみるとこの社会環境の変化に伴い、我々に求められる事(定年制度)はかなり理不尽です。
企業社会がビジネスマンとしての我々に期待することは「社会(企業)への貢献」でしょう。
社会(企業)に貢献するために様々な努力と能力を求められてきました。
その貢献に応じて報酬としての給与や地位が与えられ、さらに大きな貢献ができるという方式でした。
その間に我々が獲得した知識・経験・能力は
今まで少なくとも企業の期待に応えるものだったはずです。
ある日を境に消滅するものではありません。

にもかかわらず、企業では所定の規定に基づいて
一律に我々の処遇を大きく低下させます。
昨日と同じ能力・知識・経験を持ちながら、
その発揮に期待しないということを意味するのです。

人事制度とはその働き(貢献)に応じて
その処遇を適正に決定するためのもののはずです。
にもかかわらず、ある日を境に「貢献することを期待しない」ということになるのです。
従って、このブログの冒頭で述べた
「給与が下がった、だからその分しか働かない!」という人物のつぶやきは極めて論理的であり、妥当な意見といわざるを得ません。

しかし、本当にそうでしょうか? 我々はなんのために働くのでしょうか?

○働くことの意味
なぜ働くのか? 人により状況によりいくつか考えられます。
1.お金を稼ぎたい
  :生活の安定、豊かに暮らしたい、趣味を続けるため、
   将来に備えて、欲しいものを買いたい 
2.能力を伸ばしたい(試したい)
  :仕事を通じて高い技術や知識を見に着けたい、
   今まで学んだ事を生かしたい 
3.人に認められたい(称賛されたい)
  :周囲の人(親・友人・親戚・家族等)から褒められたい、
   認められたい 
4.周囲の人(親・友人・親戚・家族等)を楽にさせたい、安心させたい
等々

これらの欲求は人として自然な欲求でしょう。
ではいわゆる定年後もしくは定年延長による働くことの意味は
どこに重点があるのでしょうか?

最近の文化人類学によると現生人類(ホモサピエンス)と
他の人類種との遺伝子的相違は殆どないそうです。
それどころか、例えばネアンデルタール人は体力的能力においては
現生人類より優位にあったと考えられるそうです。

にもかかわらず他の人類種は絶滅し、ホモサピエンスのみが生き延びてきました。
その理由は「言語の獲得」だそうです。
つまり、単に音声を通じてのコミュニケ―ションではなく
「言葉」を獲得することで、相互の意思や感情を含む情況を共有し
「協同体」を構成できたからだそうです。
昔から人は社会的動物といわれてきましたが、我々人類の根源として
「共有、協働」という価値観が保たれているようです。

企業もまた「協働、共有」を根源とする社会です。
我々はその価値観「共に働く、共に感じる」ということから
切り離されることは出来ないようです。
つまり「人」とは一人では生きることができない存在のようです。 
                
次回はここから我々が今後どうあるべきかを考えてみたいと思います。
海雲 龍人

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