見出し画像

あなたはどっちの先生?

僕の母は英語教師です。
本人は謙遜するでしょうがベテランと言っていい経験を持ってます。

気づけば業界は違えど僕も先生になっているので、色々考えてしまうわけです。

目につくのは愛すべき「出来ないちゃん」

母がいつも話題に出すのは愛嬌はあるけど英語が苦手な生徒です。
性格上そういうのがほっとけないのでしょう。

人格が疑わしい子を除いて、そういう「良い子なのに大変な子」にどうやって単位をあげるかに苦心している背中が印象に残っています。

そんな母は忍たま乱太郎の土井先生が好きらしいです。うーん、なるほど。

大事な思い出

そんな母が大事に語る思い出があります。
かつて教えていた高校の卒業式を訪ねると、母を見つけるなり駆け寄って来て、その子のお母様と共に感謝を伝えてくれた生徒さんがいたらしいです。

その子は英語が相当苦手だったのですが、母の尽力もあり、志望する美術大学に合格出来るまでのレベルにまでは成績が伸びていったとのことでした。

母の教師としての信念が形を成した出来事となったのだと思います。

"優秀な先生"からのイヤミ

この様に母は赤点の子を60点〜70点くらいまで引き上げられる先生と言って良いのだと思います。

そんな母にこんな言葉をかけた先生がいるそうです。

「先生のやってることは大した手間じゃないでしょうし」

相手は所謂上位の大学に進学する生徒を相手に教鞭をとる先生だったとのことです。

赤点の子が平均点をとることと、優秀な子が早慶に合格すること。
学校の進学実績に残るのは当然後者ですが、果たして前者が軽んじられるべきなのでしょうか。

「それはお前の身内びいきだ」と言われればそれまでなのですが。

最後の砦たらんとすること

もう一つ印象的なエピソードがあります。
担当するクラスにいくら言っても聞かない生徒がおり、こともあろうに授業中に教師(母)にタックルをしてきたそうです。

そのこともあり、その生徒達は夏頃に停学になりました。

「正直いい気味でしょう、度を超してるもの」

と僕が言うと母は

「どうかしら、この時期に外に出歩いて危険な目に遭ったら大変よ」

と、返してきました。

どこまで行っても、教師として相手に理解の目を向けようとする姿勢を感じました。
不器用だと断じることも当然出来るでしょうが、そんな安い言い方で済ませて良いのかと考えてしまいます。


どちらの先生?

読んでて分かると思いますが、僕は母の教師としてのあり方には賛同しています。
そして自分もそうありたいと思っています。

僕の仕事に置き換えれば、プロを育成できるボイストレーナーこそが実績上は優れていると取れるでしょうが、引っ込み思案な人をカラオケで楽しく歌える様にさせてあげることもまた素晴らしいことだと感じます。

これはもうなにが正しいとかの問題ではないのでしょう。どうありたいかの問題です。

実績を言い訳することなく真っ直ぐ追う事にも、効率化のための取捨選択や血反吐を吐かんばかりの努力が必要でしょう。
そして、教えた生徒がまた立派な功績を成せばそれは教師として社会に多大なる価値を還元した事になります。

ですが、その裏に思うようにならず泣きや怒りの泥を被る生徒がいるならそこに理解の目を向けることも一つの教師のあるべき姿だと思います。

皆さんはどっちの先生でしょうか。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?