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「自分を愛せ!」が暑苦しい人へ
「自分を愛せないと人は愛せない」
「自分に自信がないと、同じく自信のない奴が周りに寄ってくる」
「健全な自尊心を持つものはそうでないものと比べて収入が云々」
「自分を好きだ」と言うのが苦手な人にとってこの手の言葉は胃痛の原因です。
確かに自分自身に呪詛の様な自己否定を与えていた頃、心身共にボロボロになっていたので、これらのことは事実であると思います。
だからと言って、
「もう、アタシのこと大好き!!ラブラブちゅっちゅ🥰」
って今なら出来るかと言うとそうでもないです。
ネガティブな根暗に生まれつくとそこら辺の思い切りにはどうしてもブレーキがかかるみたいです。
"強い"根暗がこう言った
僕は根暗なので友人も根暗が多いです。
皆んないい奴です。
中には僕以上に陰気さもトゲもある奴が、大変器用に社会に適応してたりします。
そんな友人の一人にM君がいます。
彼も相当神経質な部類だと思うのですが、今は営業マンとして部署の期待のホープとして働いています。
そんなM君がファミレスでこんな事を話してくれました。
「思うんだよ、俺以上に自分を好きな奴はいねーし、俺以上に俺を嫌える奴もいねーんだって」
M君の伝えたいことは別のところにあったと思いますが、僕はこの言葉にひどく感心してメモってしまいました。
「そうだよなぁ、好きと嫌い、どっちもあるもんだよなぁ」
と思ったわけです。
極端になるこたぁない
「自分大好き!」と豪語する人を暑苦しいとかエキセントリックとかみたいに感じてしまったり、
「自分なんか消えてしまえ」と自傷行為に走る人に「そこまでいってもうたか〜」と思ってしまったり、
そうなるのってどっちのベクトルにせよ極端だからだと思うんですよね。
そして極端と思えるのはどっちについてもある程度だったら分かるのになぁという思いがあるから。
つまり「どっちであるとどうか」の議論以前に、
「誰しもどっちもそれなりに持ってる」という理解が大事だと思うんです。
「ポジティブに自分を愛そう」マインドを身に纏うと疲れるんだったら、無理にそうしていなくてもいい。
でも、だからといって無理に「ネガティブに自分を呪い続けよう」マインドに走らなくてもいい。
そのくらいで良いと思うんです。
鏡に映ってる自分がいつもより調子の良い顔だったら、
「今日の僕はハンサムさんだなぁ」
人とお喋りする時、焦って早口になって吃ってしまったら、
「相変わらず人付き合い下手だなぁ」
それくらいで良い気がします。
なんにせよ何かを強く思ってなきゃいけないと自分をがんじがらめにするのは息苦しいもんですし。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
良かったら連載中のマガジンも読んでぐださい。
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