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ずっと何も書いてませんでしたが、何か書こうと思います。

どうも、お久しぶりです。知ってましたか、平均的な社会人が1分にインプットできる日本語文字の総数は600-700字らしいですね。飛ばし読みを含めれば、おおよそ1000字ぐらいというところでしょう。

なぜ開始早々「1分に読める量」に関して話してるかと言いますと、noteって何を書けばいいのかなと色々悩み、考えていた時のヒントがこれだったからです。noteの利用者が一日にこのアプリを利用している時間を考えた場合、むしろ一般的な人はよっぽど面白い内容でなければ、1日の貴重な時間を使って、3000字(又はそれ以上)もの長文をいちいち読もうとはしないでしょう。それを読む人は、よっぽどのファンか、ただの暇人なのかもしれないです。

自分の執筆時間から考えた場合、論文や記事もどきの長文を書くのはそれなりの時間を費やす。例えば、自分の経験に基づいた中国の現状などを3000字程度で書くとすると、まずは自分の経験に基づくイメージや考えをベースに一度ネットで調べて、間違えが無いかを確認します(もちろんバイアスは含まれますが)。それから文字打ち込み、全体を書きを得たら二、三回読み、気になる部分を直す。それって結構時間がかかるんですよね。多分4時間ぐらい、又はそれ以上、いつも使ってました。それで毎週投稿するのは、そこそこ真面目な(?)院進希望の学生をとしては、時間の使い方が贅沢すぎます。

じゃnoteをやめるのか…と考えた時に、「1分」っという数字が目の前に浮かびました(小泉調)。そうだ!短くすれば、読みやすいし、書きやすい。何より、そもそも誰も自分のような素人が書いた国際関係についての考察なんかを読むより、その辺の真っ当な学者が書いたものを読めばいい話しなので、需要なんて無いのです。そこそこユニークな経験談も、3000字となれば、読むのを躊躇します。

では、1分程度でサクッと読んで、楽しめる・読まれるものを書こう。楽しめる・読まれるとは何だ?それは自分にのみ提供できる価値を提供すること。それは何か?自分なりに考えついたのが「思考」です。

哲学者アーレントは、思考とは「自分との対話」であるとする。すなわち思考のプロセスそれ自体が弁証法的で、内在的なのです(このような考え自体西洋哲学の伝統を前提としてますが)。その思考のプロセス自体を誰かが観察することは不可能です。何を言いたいのか?まあ簡単言い換えれば、自分が考えてることは誰も分からない、わかることができない。「自分が考えてる事」という自分にしか無いものを公にする事でなんらかの価値を提供できるのではということです。

まあこのちっぽけで凡庸な脳みそで考えつくものなど限られている。それでも、自分が考えてることを皆に共有し、それに対する共感や批判、そこから始まる議論など、色々面白いことが生まれるのではと思ってます。

まとめると、これからは600-1000字程度の短いnoteを長めのツイート感覚で書きたいと思います。以前よりは随分読み易くなると思うので、くだらないものばっかり書くかもしれませんが、皆さん是非気が向いた時に読んでくださればと思っております。自分のノートを通じてあなたの一日になんらかの「新しさ」を提供できたらと思います!今後ともよろしくお願いします!

ではまた!

写真: 最近訪れた横浜のラーメンミュージアムのラーメンに関連する漫画の展示

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