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静かな海を泳ぐ

朝から濃い霧の中に包まれていた。視界はたった10mあるかどうか。とても遠くのものは見える気配がない。風は穏やかだが、それがいけなかった。海霧が海峡に溜まり消え去らないのだ。
風もなく、波もない。ひたすら船は見えない海上を行く先の見えないどこかへ向かって進ませる。聴こえるのは船のエンジン音と、船が走る波飛沫の音だけ。
何時間経っただろうか。船はゆっくりと岬の方へ出た。するとあの視界を奪っていた海霧が忽然と消え去った。風がここだけ流れている。上空にはまだ厚く、重い雲となって海霧が残っていたが、遠くが見えるだけで周辺の景色が一変した。
見えた遠くの海では黒い何かが見え隠れしている……。シャチだ。シャチが泳いでいる。あれだけ船を走らせ出会えなかったのに、今までどこにいたのだろうか。
シャチは呼吸をするため静かに海面を切るように背びれを見せる。息をする音は耳を澄ましても遠く届かない。でもそこに、いる。その事実がすべて。

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